漫画サンデー元編集長が舞台裏を語る! 上田康晴「マンガ編集者 七転八倒記」 ACT.10 天才・谷岡ヤスジ②
※本ページは、2013年11月~2015年5月にeBookjapanで連載されたコラムを一部修正、再掲載したものです。
▼プロフィール
上田康晴(うえだ やすはる)
1949年生まれ。1977年、実業之日本社に入社。ガイドブック編集部を経て、1978年に週刊漫画サンデー編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に週刊漫画サンデー編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。
ACT.10 天才・谷岡ヤスジ②
最初に谷岡ヤスジ氏が癌であることを知ったのは、現在フリーランスの漫画編集者として活躍中のT.Yからだった。彼は谷岡漫画が大好きで自ら担当を買って出たほどだった。そんなT.Yを谷岡氏も信頼していたのだと思う。最初にそれを聞いたときは、にわかに信じられなかった。ショックだったが、このことは編集部の一部の人間だけにとどめ、口外せず連載をつづけた。入院してからは、原稿の受け渡しは病室でおこなわれた。
癌の闘病記を本にしたいと言ってきたのは、まだ入院する前だった。
「売れるぞ、これで上田は役員だよ」
この時、私は「漫画サンデー」6代目編集長・Nよりバトンを託され7代目の編集長になっていた。そんな新米編集長の私を応援しようという谷岡氏のやさしさから出た言葉ではなかったか。私はこの言葉を複雑な気持ちで聞いていたが、このころの谷岡氏は、とても病人とは思えないほどエネルギッシュで、目が輝いていた。
手許に当時のメモ書きが残っている。
「先日はどーも!最終タイトルは『わがえいこうと地獄』になりそーです 色々お知恵をおかし下さい。谷岡」
本のタイトルは最初、ストレートに『おれはガンだ』だったように思う。そのほかいくつか谷岡漫画らしいタイトルが候補に挙ったが、最終的に上記のタイトルで行こう、という提案だった。とにかくこのころは、癌という憎き病をやっつけるぞ、という闘争心に溢れ悲壮感などは微塵もなかった。しかし、週刊連載をつづけながら絵筆をペンに代えての活字の執筆作業には、体力と時間が必要だった。癌の進行は思いのほか早かった。結局、書籍の中身がまとまらないうちに入院となり、闘病記の出版は実現しなかった。
それでも、「漫画サンデー」の連載原稿は病室で描きつづけ、締め切りに遅れることはなかった。病室の出入りは、「漫画サンデー」編集部のみが許された。
たしかあの日は、日曜日だったと思う。お見舞いのために病室を訪ねると、奥様がやんちゃでわがままな谷岡氏によく尽くしていた。その日は休みだったため、ジーパンにジャンパーというラフな格好で訪ねたのだが、私の姿を見るなり、「どこのアンちゃんが来たかとおもったぜ」といきなり毒づかれた。ならばこちらも負けじと、「いつまでも、そんなところで寝てないで、さっさっと原稿描いてくださいよ」と返すと、瞬間、うれしそうな顔になり何か言いたげな表情をしたのをいまでも覚えている。
谷岡ヤスジ氏とのエピソードは、一度でもあった人ならば必ず持っている。そのひとつに『ペンだこ』の話がある。谷岡氏のペンを握っている指には大豆が付いているのかと思わんばかりの『ペンだこ』があった。これが仕事人のアカシだった。編集者や若い漫画家をつかまえては、「これじゃだめだ。仕事してる指じゃねー」とよく説教を垂れた。漫画家の芳井一味氏も説教をされたひとり。以前、そのことを芳井氏に確認すると、「谷岡さんは筆圧が高かったじゃないですか」なんて、懐かしみながらからかっていたが、それを谷岡氏の前で言ってほしかった。たぶん言えなかったと思うが。
また、若手の編集者はよく御馳走になっている。原稿が出来上がるのがだいたい夕方から夜。それを待つ間、谷岡氏は気を遣いよく出前を頼んでくれた。それは必ずと言っていいほどかつ丼だった。まるでコントに出てくる刑事の取調室だったと、当時の様子を担当は、面白おかしく語ってくれた。
こんなこともあった。ある日、谷岡氏を接待するため、しゃぶしゃぶの店がセッティングされた。まだ、しゃぶしゃぶが今ほどメジャーな料理じゃないころだった。以下、その場にいたMから聞いた話。
その席に呼ばれたまだ駆け出しのM・Tは、人気漫画家・谷岡氏との会食といまだ食べたことのない料理の前で緊張していた。「どう食べるんですか?」と聞くのも恥ずかしい、かといって料理に手を付けないのも失礼と、さも慣れた手つきを装い、肉を箸でつまんだ。そして、おもむろに、しゃぶしゃぶの鍋の筒にその肉をかざした。それを見た谷岡氏が驚いたことは言うまでもない。たぶん目が点になっていたのではないだろうか。そのあとM・Tに、しゃぶしゃぶとはこうやって食べるんだぞと懇切丁寧に教えてくれたそうだ。以来、谷岡氏にしゃぶしゃぶの食べ方を教えていただいたことが、彼の自慢になっている?
これらはほんの一例であって、些細な出来事でもこのように鮮明に憶えていることは、谷岡氏が読者のみならず、編集者にどれだけ愛されていたかのアカシではないだろうか。(つづく)