漫画サンデー元編集長が舞台裏を語る! 上田康晴「マンガ編集者 七転八倒記」 ACT.11 点と線の芸術
※本ページは、2013年11月~2015年5月にeBookjapanで連載されたコラムを一部修正、再掲載したものです。
▼プロフィール
上田康晴(うえだ やすはる)
1949年生まれ。1977年、実業之日本社に入社。ガイドブック編集部を経て、1978年に週刊漫画サンデー編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に週刊漫画サンデー編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。
ACT.11 点と線の芸術
かつて文藝春秋社が主催していた文藝春秋漫画賞があった。大人の漫画の世界では、一番権威のある漫画賞だった。しかし、劇画が主流となりナンセンス、四コマ漫画が主だった時代の賞だったため、1955年第一回受賞作、谷内六郎『行ってしまった子』で始まった文藝春秋漫画賞は2003年にその使命を終え、幕を閉じた。
谷岡ヤスジ氏は、一連の谷岡ギャグで1983年に受賞している。手塚プロダクション社長・松谷孝征氏によると、権威とか賞に対して無頓着だった谷岡氏だったが、この時ばかりはかなり喜んでいたそうである。実はあの手塚治虫先生も1975年に『ブッダ』『動物つれづれ』で受賞しているが、やはり文春漫画賞に対する思いは特別だったようで、喜びを素直に表現していたという。文藝春秋漫画賞に対しては、なにかと毀誉褒貶はあったが、漫画に関して懐の深い賞だったと思う。
「週刊漫画サンデー」関係の作品の中で、谷岡氏以前に受賞した漫画家に園山俊二氏がいる。1976年に「週刊漫画サンデー」連載の『ギャートルズ』ほかの作品で受賞している。園山氏と谷岡氏の共通点といえば、シンプルな点と線で大自然の中の人間を描く天才であったと、「週刊漫画サンデー」創刊編集長・峯島正行氏は言っていた。園山氏は広大な自然を背景に原始時代の家族を、谷岡氏は地平線のある田園風景の中に牛と農夫を好んでよく描いた。時代が気忙しくなればなるほど、このおおらかで牧歌的な2作品は輝きを増してくるのではないだろうか。
そのほかに、1987年にわたせせいぞう氏が『私立探偵フィリップ』で受賞している。当時、わたせ氏の『ハートカクテル』(「モーニング」連載)がブレークしていた。オールカラーのおしゃれでポップな漫画だった。一枚のイラストとしても魅力のある作品で、このような色彩感覚の漫画はこれまでなかった。大瀧詠一の音楽を思わせる画風は、見る者にちょっとリッチな気分にさせてくれた。そういえば当時、おしゃれでデザイン事務所を思わせるわたせ氏の仕事場では、BGMにビートルズがいつも流れていた。
『私立探偵フィリップ』 ©わたせせいぞう/実業之日本社
『私立探偵フィリップ』の書籍企画にあたっては、「モーニング」の『ハートカクテル』を意識していたことは間違いなかった。
しかし、この書籍が店頭に並ぶまでには大きな問題を乗り越えなければならなかった。
実は製本が終わり、見本の段階で誤植が発見されたのだ。記憶は定かではないが、たしか口絵か本文中にあったと思う。この誤植を発見したのは、私ではなく作者のわたせ氏。本来、編集者たるもの誤字脱字に関しては最大に注意をはらうもの。それを見過ごしてしまったことは編集者として恥ずべきことだった。
すでに刷り上がり製本された書籍は、出荷を待つばかりであった。
緊急に関係者が集められた。わたせ氏からは、もしこの時点で訂正が無理であれば、発売中止もやむを得ないのではないかと、言われていた。誤植に目をつぶり不良品を世に出すということは読者に対して失礼なことだ、という気持ちが強かったのだと思う。読者に対してどこまでも誠実な人だった。
ここまできて、あと一歩のところで出版を諦めてしまうのか。問題解決のためのさまざまなアイデアが出されたが、これはという決定打はなく、いたずらに時間は過ぎていった。
そんなとき制作部から「誤植のフキダシの部分にシルバー特色のシールを貼っては?」というアイデアが提案された。シールに正しい文字を印刷し、それを誤植のフキダシの部分に貼るというもの。当時の初版の刷り部数は8000か1万部だったと思う。すべてこれを手作業で貼っていくというもので、果たして可能か。当初、躊躇もあったが、とにかく実行するしかないと大日本印刷と社内の関係者が集められ、作業は進められた。今思うと私のミスのために、この気の遠くなるような作業を文句ひとつ言わずにやってくれたスタッフには感謝の気持ちでいっぱいである。
結果、この作品が文藝春秋漫画賞を受賞したのである。うれしさもひとしおであった。しかも手作業で貼ったシールが本作りの上で、デザイン的にユニークで素晴らしいと評価されたのである。何よりもうれしかった。
いま手許にその『私立探偵フィリップ』がある。あらためてシールの貼った箇所を探したが見当たらない。この書籍は、初版時のものではなく重版時のものなのだろう、すでに誤植の箇所は訂正され印刷されているのだろう。残念。今一度見たかった。(つづく)