漫画サンデー元編集長が舞台裏を語る! 上田康晴「マンガ編集者 七転八倒記」 ACT.8 販売と編集が一心同体となった
※本ページは、2013年11月~2015年5月にeBookjapanで連載されたコラムを一部修正、再掲載したものです。
▼プロフィール
上田康晴(うえだ やすはる)
1949年生まれ。1977年、実業之日本社に入社。ガイドブック編集部を経て、1978年に週刊漫画サンデー編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に週刊漫画サンデー編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。
ACT.8 販売と編集が一心同体となった
『静かなるドン』
がテレビドラマになってからは、雑誌、コミックスの売れ行きが、急激に伸びた。映像になったからといって、必ずしも雑誌やコミックスの部数には反映しない、と言っていたのは、この世界をよく知悉している映像業界の人の話だったが、『静かなるドン』に関しては、違っていた。
販売部→漫画編集部→販売部と異動を繰り返したN.Mから電話があった。漫画大好き人間の彼は、誰よりも『静かなるドン』の大ヒットを喜んでいた。
「一度倉庫を見に来いよ。すごいぞ、大型トラックに満杯の『静かなるドン』のコミックスをその目で見た方がいいよ」
うれしい悲鳴である。改めて映像の力を感じた。
また、関西支局のMから電話がかかってきた。すぐに『静かなるドン』の総集編を出そう、と言うのである。
当時、講談社からは『課長島耕作』、日本文芸社からは『ザ・シェフ』などのほか多数の総集編は出ていた。たしかに総集編の市場はあったが、この時点で『静かなるドン』の総集編は出していなかった。コミックスの売れ行きに満足していたので、さらに総集編を、という考えはなかった。そのための企画会議もおこなった覚えがない。
攻めるときは一気呵成。これがMだった。彼の麻雀の打ち方そのものだった。結果、『静かなるドン』の総集編はよく売れ、コミックス同様巻を重ねた。
このころ、販売部も編集部も猛者がたくさんいた。よく遊びよく仕事をした。既成の常識を打ち破る勢いがあった。
本来、販売部と編集部は水と油、とまでは言わないが、そんなに仲の良い関係ではない。編集部は理想に走り、販売部は現実の数字をシビアに分析して動く。だから、編集部が走ろうとしてもブレーキをかけるのが販売部の常だったが、当時は編集部と販売部が一体となってアクセルを踏んだ。そして、仕事が終われば麻雀、酒。今思うとよく金と体力がつづいたものだ。その後、この仲間たち+αで自称『練馬麻雀倶楽部』(通称・ネリマン)を勝手に立ち上げた。練馬在住もしくは隣接した区に住んでいるメンバーが多かったことから、練馬を冠にした倶楽部名になった。幹事は持ち回りで、休日にはただ麻雀をするためだけに伊豆などに泊りがけで行ったりして、親交を深めた。その後、ゴルフブームとともに麻雀は消え、看板名だけ残して中身はゴルフにシフトしていった。一時は、関西支局に異動になったメンバーまでが、大阪から車を飛ばして参加していたほど熱き絆で結ばれていた? いずれにしても、コミュニケーションは密だった。遊びながらも自然と仕事の話になるのがサラリーマンのサガ。「俺たちで会社に利益をもたらそう」という気概だけは、みんな持っていたように思う。
『静かなるドン』©新田たつお/実業之日本社
かつて谷岡ヤスジ氏の本の出版の件で、ネリマンの仲間である販売部と喧々囂々とやりあったことがある。気心の知れた仲なので、お互い言いたいことのオンパレード。酒も手伝って、一瞬嫌悪な雰囲気になることもあったが、その本が世間で評価されれば、そんな感情もさらりと流し、また一杯。実に楽しい仲間だった。
谷岡氏の本とは、『谷岡ヤスジの天才の証明』。1999年6月に56歳の若さで亡くなった谷岡ヤスジ氏の追悼企画本の提案である。最初は、雑誌で活躍してきた作家にふさわしく雑誌で出そうと販売部に持ちかけた。ところが、雑誌は短期決戦だから市場はそんなに甘くない、というのが販売部の主張。「やはり書籍で出版すれば後世に残る」という結論に達するまでには、だいぶ酒瓶が空いたと思う。この企画が最終的にGoとなったのは、企画会議での販売部部長の次のひと言だった。
「谷岡さんには、ずいぶんお世話になった。また、社として儲けさせてもらった。うちは、谷岡さんの本を出す義務があるよ」
泣けた。谷岡氏に聞かせたかった。
『谷岡ヤスジの天才の証明』は、朝日新聞などにも取り上げられ、大評判となった。編集を担当したのは、谷岡作品を愛してやまないY・TとS・H。「漫画サンデー」編集部メンバーである。本来、雑誌部のスタッフは雑誌の編集に専念し、単行本は書籍編集部が手掛けるのだが、谷岡氏の書籍に関しては雑誌編集スタッフが制作した。谷岡ヤスジ氏への熱き思いのこもった全509ページの分厚い書籍となった。装丁、中身とも素晴らしい出来だった。
次回は引き続き、谷岡ヤスジ氏について触れたいと思う。(つづく)