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漫画サンデー元編集長が舞台裏を語る! 上田康晴「マンガ編集者 七転八倒記」 ACT.9 天才・谷岡ヤスジ①

※本ページは、2013年11月~2015年5月にeBookjapanで連載されたコラムを一部修正、再掲載したものです。

▼プロフィール
上田康晴(うえだ やすはる)
1949年生まれ。1977年、実業之日本社に入社。ガイドブック編集部を経て、1978年に週刊漫画サンデー編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に週刊漫画サンデー編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。

ACT.9 天才・谷岡ヤスジ①

 「漫画サンデー」と谷岡ヤスジ氏とのお付き合いは長い。1973年に『じゃる気あんのか劇場』が111回で終了し、代表作『アギャキャーマン』の連載がスタートしている。この当時、「週刊漫画サンデー」編集部に在籍していた松谷孝征氏(現在、手塚プロダクション社長)によると、谷岡氏が考えたタイトルは『アガキーマン』だった。どういうわけか入稿の際に担当の編集者がタイトルを間違え、それがそのまま訂正されずにタイトルになったとのこと。
 私が谷岡ヤスジ氏と直接かかわったのは、1994年の「漫画サンデー」編集次長のころである。谷岡ヤスジ氏は、残念ながら1999年に56歳の若さで亡くなっているので、むしろ谷岡氏の晩年といっていいかもしれない。
 その当時、長年続いていた『アギャキャーマン』をそろそろ終了にするという話が持ち上がっていた。「週刊漫画サンデー」6代目編集長・Nは、そのことを谷岡氏に伝える役目として私を選んだ。京王線明大前に谷岡邸はあった。何度か通いなれた道だったが、心は重くやたら遠くに感じた。そういえば、前にもこんなことがあった。やはり長くつづいた連載の終了を告げるためにある漫画家宅にお邪魔した時のことだった。その漫画家は机に向かってペンを走らせたまま、一度も振り向いて私の顔を見ようとはしなかった。背中に向かって話し続けることほどつらいものはなかった。そんなことを思い出すと、さらに足取りは重くなった。

 谷岡氏は私が来たことを知ると、2階の仕事部屋から階段を勢いよく下りてきた。「よう来たな、しばらく」と屈託のない笑顔で迎えられた。こう明るく迎えられては、なかなかネガティブな話は切り出しにくい。いきなり連載終了の話をするのも角が立つと思い、世間話でしばしお茶を濁す。しかし、連載終了の話をいつ切り出すか、私の心臓は早鐘のように高鳴っていた。ちょっと間があいた刹那、意を決し言った。
「実は『アギャキャーマン』の件で今日は来ました」
「おう、そうかそうか、まさか、連載をやめようなんてことじゃないよね」
 先手を打たれた。谷岡さんの勢いに気圧された私は、言わんとする言葉を飲み込んでしまった。
「いえ、違います」
 自分でも思ってもない言葉が口をついて出てしまった。
「じゃ、なんなの?」
「いまの8ページを4ページに減らしたいのですが」
 と、咄嗟に私は言っていた。
 しばし間があり、
「そうか、大変だよな、劇画はページがある程度必要だしな。よーし、この4ページでもう一度、谷岡ブームをつくるぞ」
 逆に発破をかけられてしまった。
 たぶんこの時、谷岡氏は私が訪ねてきた目的はわかっていたと思う。私がやっと連載の話を持ち出したとき、笑顔をつくりながらも一瞬悲しい顔をした。
 かつては、連載の依頼が殺到していた谷岡氏からすれば、多少人気が下火になったからといって、手のひらを返したような編集部の対応に悲しさを感じたのではないだろうか。
 N編集長によると1970年代当時は、「鼻血ブー」のギャグが大流行し、寝る間もないほどの忙しさで、原稿を催促に行くと家の屋根伝いに逃げ、よく雲隠れされたと言っていた。そういえば、「漫画サンデー」だけで、谷岡さん担当が3人いたと聞いたことがある。とにかく捕まえて描かせるのが大変な作家のひとりだったようだ。
 『アギャキャーマン』が連載スタートした時は、全8ページというナンセンス漫画では画期的なページ数(大半は4ページ)の作品だった。今思うと、たとえ4ページになっても描きつづけたいという思いがその時の態度ににじみ出ていた。実はこの時私は、谷岡氏の熱いものに誘発され、さらに言ってしまったことがある。「原稿料は8ページ分のママです」と。これには谷岡氏は大変に喜んでくれ、以後、さらに親密になれたように思う。のちにこの作品が、谷岡氏の代表作のひとつになったことを思うと、連載をやめずに良かったとつくづく思う。

 私は社に戻り、連載が当初の予定と変わりなぜ減ページ連載となったか、そして原稿料はページ単価でいえばなぜ倍になったかを微に入り細をうがちN編集長に説明したところ、酒が好きで競輪を愛したギャンブラー編集長は、私の勇み足に苦笑しながらも納得してくれた。この編集長も谷岡氏の作品に惚れていたひとり。ふだんは数字にシビアな人だが、こんな時は太っ腹だった。

 谷岡氏が癌を患っていると知らされたのは、私が連載の件で訪ねてから数年が経ってのことだった。谷岡氏は誰よりも健康に気を使っていたように思う。病気になる以前は、タバコを吸っている私を見ては「体に良くないからやめろよ」とよく説教された。そのころ谷岡氏は、自慢の三菱のジープ(たぶん1990年代のジープ2・7だったと思う)で近くにある区民プールでひと泳ぎするのが日課となっていた。
「どうだ、オレの脚、筋肉で引き締まってるだろう」
 無駄な贅肉ばかりの私の身体を見て、よく揶揄された。
 そんな健康のかたまりみたいな谷岡氏が癌に侵されていると聞いたときは、ショックだった。(つづく)

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