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『ひらやすみ』ノンキに暮らす人にこそ、覚悟を感じることがある

阿佐ヶ谷を歩いたことはあるだろうか。駅前に大きなスーパー、2分歩けば立派な神社。大通りを一本入った商店街にはレストランに飲み屋、古本屋など個人経営の店が並び、派手でなくとも暮らしやすい。ブラブラ歩くうちに気づけば高円寺に出てしまう小さな町だ。

ジャパニーズドリームを携えた人びとの目が煌めき、”成功”した者が代わるがわる街頭ビジョンをさらう”東京”のごく近くにありながら、流れている空気がずいぶん違う。『ひらやすみ』はそういう都会の輝きと乾きのイメージとは離れた、のんびり田舎暮らしならぬのんびり東京暮らしを表情豊かに描いたマンガである。

ひらやすみ 著者:真造圭伍

阿佐ヶ谷の平屋にやってくる人びとの群像劇

本作の舞台は東京・杉並区の阿佐ヶ谷にある平屋。主人公・生田ヒロトは29歳のフリーター。人柄の良さが取り柄の彼は近所のおばあちゃんと仲良くなり平屋を譲り受けることに。そこに大学進学で上京した18歳のいとこ、なつみ(なっちゃん)が越してきてふたり暮らしが始まる。

役者を辞めて気ままに暮らすヒロトと美大に通いつつマンガ家を目指すなっちゃん。結婚と妻の出産で環境が変わるヒデキ、仕事に振り回されるOLよもぎさん、自分を信じるのが苦手なあかりちゃん。平屋に集まる登場人物たちが、夢とかお金とか自由とかの間で生きていくようすが、誰のものでもないやさしい視点で描かれていく。

『ひらやすみ』はまず日常を描くマンガとしてたまらない。庭の虫の声や古本の匂いまでしてきそうな描写が気持ちよく、実際の阿佐ヶ谷の町並みが登場するのも楽しい。とにかくいいヤツのヒロトと偏屈なおばあちゃんのやりとりに、気を緩めると毎回泣かされてしまう。

東京で気ままに生きる「覚悟」

本作の背景を大きく流れる話題の1つは、ヒロトが役者を辞めたことである。東京育ちでないヒロトにとって地元を離れ夢を追うのはひとつの「覚悟」であったはずだ。それをすっぱりと辞め、でも実家には帰らず東京で暮らすヒロト。夢追い人にあふれる東京で夢も、結婚や安定した収入という”幸せ”も追わないヒロト。

地方出身者にとって、東京で勝ち負けを気にせずノンキに暮らすのは、自分に無理を強いながら夢を追いかけることより実は難しい。おばあちゃんの平屋は住居の不安を消してくれたけれども、周りと比べたり寂しくなったり、お金に困ったりすることもあるだろう。ヒロトはなんにも考えていないようで、そういういろいろを受け入れていく「覚悟」があるように見える。

23区のはしっこで生活を噛みしめる

多くの人がイメージする東京、つまり23区は東に寄っていて、西にいくほど地方に劣らぬ広大な自然が広がる。杉並区は23区の最西端だ。

ヒロトたちの暮らす平屋がそんな杉並区阿佐ヶ谷の位置にあるのは、ちょっと象徴的ではないか。田舎にも都会の一等地にも属さない中間地点の土地でこそ、人びとの小さな葛藤が色濃く立ち上ってくるように思えてならない。

東京にいながらも、夢や人生の意味に囚われてしまわずに日常のうれしさや悲しみ、周りの変化を豊かな心でただ受け止めて暮らすこと。劇的でない生活を楽しむこと。その難しさと奥深さを知る人にとって、この作品は単なる「日常系」を超え記憶に残るマンガになるだろう。

執筆/サトーカンナ(https://twitter.com/umaicupcakes

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