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漫画サンデー元編集長が舞台裏を語る! 上田康晴「マンガ編集者 七転八倒記」 ACT.32 大人の世界を描いた作品群

※本ページは、2013年11月~2015年5月にeBookjapanで連載されたコラムを一部修正、再掲載したものです。

▼プロフィール
上田康晴(うえだ やすはる)
1949年生まれ。1977年、実業之日本社に入社。ガイドブック編集部を経て、1978年に週刊漫画サンデー編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に週刊漫画サンデー編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。

ACT.32 大人の世界を描いた作品群

 1963年、「別冊漫画サンデー」に手塚治虫氏の『午後一時の怪談』という短編が載った。これが「週刊漫画サンデー」関連雑誌に手塚氏が登場した最初の作品である。その後、堰を切ったように『クラインの壺』『品川心中』『やぶれかぶれ』『華麗なるユーウツ』と大人の世界を描いた手塚作品が登場してくる。

 戦争を皮肉った話題作「人間ども集まれ」は1967年に発表される。1968年には『上を下へのジレッタ』、1974年には未完のまま終わった大作『一輝まんだら』と他にも「漫画サンデー」誌上ならではの異色の作品が次々に発表された。
 その中に、1973年に発表された『ペーター・キュルテンの記録』という作品がある。
 はじめにタイトルが気になり『ペーター・キュルテン』を調べてみると、詳細は避けるが、1920年代にドイツで実際にあった連続殺人魔とあった。私の年齢から言うとヒッチコックの映画『サイコ』を彷彿とさせるような話である。
 ヒッチコックの『サイコ』は、当時その凄惨な殺害描写にシナリオの段階で映画会社から猛反対されたという。たぶん、サスペンスあるいはスリラーを謳いながらも、それまでのヒッチコック作品にはどこかエレガントでヒューマンな安心感があったからではないだろうか。ゆえに『サイコ』はいままでのヒッチコックファンを裏切るという懸念が映画会社にはあったと思われる。しかし、映画はその意に反して大ヒットした……。
 映画がヒットしたことはさておき、作品の内容について、『サイコ』の時の映画会社の反応と同様の思いを当時の編集者は、この手塚作品に抱かなかったのだろうか。私は、「週刊漫画サンデー」に掲載された手塚作品群の中に『ペーター・キュルテンの記録』というタイトルを見つけた時、どこか手塚作品らしからぬ思いを抱いた。そして調べていくにつれ、なぜこの題材を「週刊漫画サンデー」で描こうとしたのかという疑問が湧いてきた。
 『サイコ』は1960年の9月に日本で公開されている。『ペーター…』」は1973年の作品。手塚氏が映画『サイコ』を見ていたとしてもおかしくない。とすればこの映画が作品のヒントになったのか。

 実は後日談として、この原稿に目を通していただいた担当の照井氏より、次なる情報をいただいた。それは手塚氏の子息でありクリエイターの手塚眞氏が自著『手塚治虫 知られざる天才の苦悩』(アスキー新書)の中で映画「サイコ」についての記述があったというのです。そこには「壮大なファンタジーのスリラーを現実的なスリラーに転化させることによって、ヒッチコックは自分のキャリアと映画の質を変えたのです。それと同じような方法を父もとったのでしょう」と書かれてあった。
 すでに手塚眞氏によって直接この作品に触れているわけではないが、一連の犯罪心理を描いた手塚作品の分析がなされていたことに驚いた。

 さて、話は少々横道にそれてしまったが、「週刊漫画サンデー」1966年3月9日号の編集後記に峯島正行氏は手塚氏について次のようなことを書いている。
「手塚氏は、私どもの雑誌をはじめ、大人むけの漫画についてよく研究され、その批評もよく核心をついているようで、わたしどもも、大へんに勉強になったような気がした。とにかく、ひじょうに研究熱心な方で、以前長編漫画を描いてくださったときも、推コウに推コウを重ねられ、まことに丁ねいな仕事ぶりでした」
 私はこれを読んで、最後の「推コウに推コウを重ねられ、まことに丁ねいな仕事ぶり」の箇所がひっかかった。峯島氏にしては妙に婉曲な響きを感じたからだ。このことを峯島氏に確認したところ、確かに仕事は丁寧であったが、手塚氏は締切というものについては全く頓着しなかったことを言外に書きたかったということだった。
 それで納得。そういえば歴代の手塚番経験の先輩に、その当時の苦労話を酒席でよく聞いたものだ。それは「週刊漫画サンデー」に限らず、他誌の手塚番を経験した編集者も同様であったようで、手塚氏との攻防戦はドラマを超えていたという。
 手塚眞氏の著書「『父』手塚治虫の素顔」(新潮文庫)の中にそんな編集者の悲喜劇が詳細に書かれてあった。
 「締切り通りに原稿が上がることはほとんどありませんでしたから、家の中で待つことになります。そのまま何日も、ひどい場合は一週間近く寝泊まりする人もいました。玄関の脇に編集者用の小部屋があって、おそらくスタッフを泊まらせるための部屋だったのでしょうが、四畳半ほどの和室が編集者たちの溜まり場になっていました」
 ここで手塚番の編集者たちは、麻雀や花札で時間をつぶしていたようだ。手塚眞氏にとっては、この溜まり場にたむろしていた編集者たちが社会人というものを知る最初だったというから、ちょっと気の毒のような気もする。
 いずれにしても手塚番の編集者は、ほぼ座敷牢状態を強いられていたようだ。さらに、手塚眞氏の著書を読み進めていくと、壮絶な手塚番編集者の姿に遭遇した。(つづく)

*参考文献・「『父』手塚治虫の素顔」(新潮文庫)、「手塚治虫 知られざる天才の苦悩」(アスキー新書電子版)ともに手塚眞著。

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