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漫画サンデー元編集長が舞台裏を語る! 上田康晴「マンガ編集者 七転八倒記」 ACT.29 漫画サンデーと近藤日出造

※本ページは、2013年11月~2015年5月にeBookjapanで連載されたコラムを一部修正、再掲載したものです。

▼プロフィール
上田康晴(うえだ やすはる)
1949年生まれ。1977年、実業之日本社に入社。ガイドブック編集部を経て、1978年に週刊漫画サンデー編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に週刊漫画サンデー編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。

ACT.29 漫画サンデーと近藤日出造

 「漫画サンデー」の草創期を調べると近藤日出造氏の名前がよく登場してくる。「漫画サンデー」においてその存在は避けて通れない。
 近藤氏は、1908年長野県生まれの漫画家。師匠は岡本一平氏(芸術家・岡本太郎氏の父)。漫画家を育成した私塾「一平塾」のメンバーだった。仲間に杉浦幸雄氏、清水崑氏らがいた。近藤氏は戦前・戦後にわたって漫画集団(戦前は新漫画派集団)の中心的存在だった。
 初代「漫画サンデー」編集長の峯島正行氏は、創刊するにあたって、はじめに実業之日本社から昭和21年に創刊された娯楽雑誌「ホープ」という雑誌の主筆であった先輩の尾崎八十助氏に相談した。  雑誌「ホープ」は、B5判、口絵16P、本文48P。定価は1円50銭だった。中野好夫氏の「自由放談」や徳川夢声氏、サトウ・ハチロー氏など当時の人気著名人が誌面を飾っていた。
 尾崎氏は創刊にあたって「笑いの中にも涙の中にも、気のつかぬうちに読む人の心を揺り動かす雑誌を夢見たのである。この実現が『ホープ』となった」(実業之日本社百年史)と語っている。戦後の混乱の中に生きる一般大衆に夢と希望を与える大衆娯楽雑誌が謳い文句だった。
 横山泰三氏も、この新雑誌に登場して、世の注目を浴びた。ある意味で、漫画に関しても、尾崎氏は先見の明があった。

 峯島は当時の心境を「『私の手塚治虫』web遊歩人」の中で次のように語っている。
 「私は入社以来約10年、『実業の日本』の編集部にいて、財界人たちの動向を追っていた。その私が、日本で初めての、漫画を主とする週刊誌創刊の役目を命じられたのだから、大変であった。(中略)漫画にズブの素人である私ができるかどうか」。
 そんな不安を払拭させてくれたのが先輩の存在だった。雑誌「ホープ」は巻頭カラーに漫画を載せたりした戦後の漫画ブームのさきがけをなした雑誌だった。そんなことから社内で漫画に一番詳しい尾崎氏に助言を求めた。
 尾崎氏のアドバイスは簡潔明瞭だった。
 「漫画の週刊誌をつくるなら、『漫画集団』の主だった人々と関係をつくるのが第一だ。創刊まで時間がないから、ぐずぐずできない。まず先に漫画家を廻ってしまおう。横山隆一、杉浦幸雄、清水崑、横山泰三なんかのところに先ず行くことだ」(峯島正行著「近藤日出造の世界」青蛙房刊より)  このとき、『漫画集団』の中心的存在だった近藤日出造氏の名前は、入ってなかった。政治漫画が主な仕事で娯楽雑誌への協力は難しいだろうという尾崎氏の判断からだった。 ところが、杉浦氏を訪ねると近藤氏のアドバイスを求めることを強く言われる。
 杉浦氏曰く、「彼は『漫画』という雑誌を長い間やっていた経験があるから、漫画雑誌には一家言をもっているからな。それに近藤を味方に引き入れてしまうと強いよ。(漫画)集団の連中の協力が得やすいのじゃないかな」(同前)と。
 ここで峯島氏と尾崎氏は当初の予定を変更し、読売新聞社に席を置く近藤氏を訪ねることとなった。

 近藤氏は峯島氏たちの申し出に対して、「いま有力な出版社で出している漫画雑誌は、文藝春秋の『漫画読本』しかない。(中略)漫画の世界にとっては歓迎すべきことだし、若い漫画家の活躍する場所も広がるわけだ。今の漫画界の中心になるような雑誌を創る意欲を君たちが持っているなら、僕としても、(漫画)集団としても、応援するのにやぶさかではない」(同前)という返事をもらうことができた。
 こうして、近藤日出造氏をはじめ横山隆一氏、杉浦幸雄氏ら漫画集団のトップクラスの漫画家の応援を得て、「週刊漫画サンデー」はスタートした。
 ある日、峯島氏は当時の文藝春秋社の編集局長である池島信平氏が尾崎氏に語った話を聞かされる。
 「自分の経験から考えても、漫画の週刊誌など成り立ちにくいだろう。今のうちに対策を考えていた方がいい。その理由の第一は、今の人気漫画家は、月刊誌にも原稿が間に合わないくらい忙しい、それに彼等は、それほど勤勉ではない。そんな漫画を使って、今後誌面を埋めて行くのは困難である、ということ。第二は、人気漫画家の原稿料が高くなりすぎているので、その高い原稿料を払っては、定価の安い週刊誌としては採算がとりにくい」(同前)というものだった。
 さすがの峯島氏もこれを聞いたときは自信が揺らいだようだ。
 「これは“商売仇”を意識しての言葉だったろうが、戦中から親しくしていた尾崎に言ったのだから、あながち出まかせな言葉とも思えなかった。大雑誌記者として鳴らした池島に、そのように決めつけられたことは、三十三歳の私には、相当こたえた」(同前)
 そんな弱気の峯島氏を鼓舞したのが近藤氏だった。(つづく)

*参考文献・峯島正行著『近藤日出造の世界』(青蛙房刊)、同著『回想 私の手塚治虫』(山川出版社)、『実業之日本社百年史』

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