漫画サンデー元編集長が舞台裏を語る! 上田康晴「マンガ編集者 七転八倒記」 ACT.23 秋はドラマチック、近藤ようこを読もう
※本ページは、2013年11月~2015年5月にeBookjapanで連載されたコラムを一部修正、再掲載したものです。
▼プロフィール
上田康晴(うえだ やすはる)
1949年生まれ。1977年、実業之日本社に入社。ガイドブック編集部を経て、1978年に週刊漫画サンデー編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に週刊漫画サンデー編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。
ACT.23 秋はドラマチック、近藤ようこを読もう
1983年4月、「週刊漫画サンデー」(以下、マンサン)の兄弟誌・月刊「サンデーまんが」は順調なスタートを切った。しかし、創刊して半年も経たないうちに他誌と足並みをそろえたような誌面作りに物足りなさを感じ始めてきた。売上部数はそれなりに目標に近かったのだが、4コマ漫画誌に徹するのではなく、今までのマンサンにはなかった新たなストーリー漫画で勝負したいとの思いが強くなっていた。
徐々にではあるが4コマ漫画誌からの脱皮を模索し始めた。
そんな思いの表れであろうか、1983年の11月号に編集のコンビを組んでいるS・Tの企画提案で近藤ようこさんの作品が登場する。
近藤ようこさんは、文学少女がそのまま漫画家になったような人だった。漫画家にならなければ、国語の先生になったのではないだろうか、というような雰囲気を持った物静かな人だった。仕事場にお邪魔したとき、本棚にはたくさんの文学書が並べられていたのを憶えている。その文学的味わいは、作品の中にも表れていた。後にマンサンで連載となる『見晴らしガ丘にて』は、きめ細かい人間描写で平凡な日常を描き高い評価を得た。1986年には日本漫画家協会賞優秀賞を受賞している。
表紙のキャッチは、「秋はドラマチック、近藤ようこを読もう」。誰が考えたキャッチか憶えていないが、どうみても4コマ誌のキャッチとは思えない。「新しいことに挑戦したい」という当時の想いが蘇えってきた。よくこんな勝手なことが許されたものだ。人気や売上に縛られ萎縮することがなかったからこそ大胆に行動できたのかもしれない。私を含め駆け出しの人間に創刊雑誌を自由に創らせてくれた当時の編集長には、感謝だ。
そして「サンデーまんが」が見た目に大きく変わったのは、1984年1月号の表紙からだった。表紙は4コマ漫画家・平ひさし氏からいしかわじゅん氏に代わった。この時点で4コマ専門漫画誌といったイメージの看板は下ろされた。表紙だけ見ると、いしかわ氏のキャラが全面に出た、ちょっとおしゃれな漫画誌になっていた。
いしかわ氏の仕事場は吉祥寺にあった。当時からいしかわ氏は、漫画家でありながら多才な人だった。その豊富な知識と好奇心、そして多彩な趣味には圧倒された。しかし、いしかわ氏がプロレスの大ファンであると聞いたときは意外だった。知性と男臭い格闘技が同居していることに不思議さを覚えたからだ。そういえば物静かで知性的な直木賞作家の村松友視氏も『私プロレスの味方です』という本を書いていたっけ。マンサン編集部の中でプロレスマニアを自負していたS・Hさんは、その本を読むと間髪を容れず中央公論社の編集者だった村松氏に連絡を入れ、マンサンでの連載をスタートさせた。題して『村松友視のわたしプロレス党』。この連載エッセイも含蓄のあるプロレス論で評判を呼んだ。そういえばSENさんも知性派だった!?
それはさておき、いしかわ氏に話は戻るが、一方でいしかわ氏は才能ある新人発掘の名人でもあった。当時、いしかわ氏のアシスタントに天才・原律子さんがいた。いしかわ氏の薦めで1984年5月号の「サンデーまんが」に登場するのだが、締切ギリギリに原稿がアップするため苦労した覚えがある。
確か、原さんの仕事場は現在のJR大久保駅の近くだった。いまでこそ韓流ブームで街は華やかだが、当時は街自体が暗くあまり足を踏み入れたことのない場所だった。その大久保へ原稿を受け取りに行くことになり、ひとり駅近くの喫茶店で待つこと1時間。待てど暮らせど一向に現れる気配なし。携帯などという便利なものがない時代、公衆電話から電話を入れるが応答なし。結局この日は原稿がもらえなかった記憶がある。新人にしてすでにベテランの風格であった。
『物陰に足拍子』より ©内田春菊
また同じような時期、内田春菊さんを紹介していただいている。「サンデーまんが」では『シーラカンス アナライズ』という作品がデビュー作となる。内田さんとは「サンデーまんが」がきっかけとなり、その後マンサンにも登場願い、数多くのヒット作が生まれた。代表的な作品に『ヘンなくだもの』 『めんず』 『物陰に足拍子』 『鬱でも愛して』などがある。内田さんはタイトルの付け方がうまかった。タイトルを見るだけですでにさまざまな人間模様が頭の中に浮かんできた。
そして「サンデーまんが」はさらなる進化を遂げることになる。(つづく)