漫画サンデー元編集長が舞台裏を語る! 上田康晴「マンガ編集者 七転八倒記」 ACT.20 東京・銀座 実業之日本社
※本ページは、2013年11月~2015年5月にeBookjapanで連載されたコラムを一部修正、再掲載したものです。
▼プロフィール
上田康晴(うえだ やすはる)
1949年生まれ。1977年、実業之日本社に入社。ガイドブック編集部を経て、1978年に週刊漫画サンデー編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に週刊漫画サンデー編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。
ACT.20 東京・銀座 実業之日本社
「週刊漫画サンデー」(以下、略称のマンサン)編集部は銀座にあった。よって、夜の編集会議はぜいたくにも銀座、ただし安飲み屋で始まった。Y編集長は、銀座をこよなく愛していた。“東京・銀座 資生堂”をまねて、雑誌を送付する紙封筒には、“東京・銀座 実業之日本社”と社名の前にあえて銀座を入れたほどである。「漫画雑誌の編集部が銀座にあるのは、いかがなものか?」なんて、妬みにも似た声をたびたび耳にしたが、会社が昔から銀座にあったことは、誇りであった。
実業之日本社の創業は1897年(明治33年)。私が通勤している頃の社屋は、銀座1丁目にあった。古いビルのころは、有楽町の駅からむき出しのビルの壁面が見えた。かつて歌手のなぎら健壱氏は、新幹線で有楽町駅を通過するときに、車窓から実業之日本社の社名とともに壁に掲げられた垂れ幕が見えた、と言っていた。このように駅にも近く銀座の繁華街にも近い、絶好の場所に会社はあった。
銀座という街は、品格があり一流のモノであふれていた。とは言っても、私が銀座を身近に感じたのは映画館くらいで、最新の映画を手軽に観ることができたのは嬉しかった。
新作の映画は、お金と時間の許す限りよく観て回った。年に100本近く映画を観ているという先輩がいたが、それも映画館が会社の近くにあったからではないだろうか。新田たつお氏原作、横山やすし主演の『ビッグマグナム黒岩先生』を舞台挨拶付きで観たのは、銀座東映だった。まだ新田氏と出会う前のことだった。
『ビッグ・マグナム黒岩先生』より ©新田たつお/双葉社
新作ばかりではない。会社の近くには『並木座』という古い上質な日本映画を上映していた映画館があった。宮本輝原作、小栗康平監督の『泥の河』を観たのもこの映画館だった。
また、出版社には様々な試写会の案内も来た。ある日、私は先輩から『E.T.』
というスピルバーグ新作の試写会が夕方からあるから行って来いと言われた。なんの予備知識もなく、ちょっと早めに試写会会場である丸の内ピカデリー(現在の有楽町マリオン)に行った。ふつう試写会というと余裕で椅子に座って観ることができるはずなのだが、なんと試写会場はすでに超満員。招待状があるのに立ち見とは!? スピルバーグの新作ということで、マスコミ関係者が予定より多く集まったようだ。しかも、スピルバーグの舞台挨拶というサプライズまであった。しばらくして館内は暗転、プラネタリウムのような星空のシーンから林の中を激しく行きかう車のライトのアップがワイドスクリーンに映し出されると、私は立って観ていることを忘れ、スピルバーグの世界に引き込まれていった。今でも鮮明に憶えている。終わった時には、館内から感動の拍手が巻き起こった。スピルバーグはやはり一流の表現者であった。試写会でこのような拍手を聞いたのは、後にも先にもあまりない。
前にも書いたが、赤塚不二夫氏は手塚治虫氏から常に言われたことは、一流のモノに接しろ、だったという。一流の音楽や本、一流の映画と。「『第三の男』をビデオではなく映画館で観なきゃ、この映画の良さがわからないよ」と赤塚氏によく言われたが、言外に一流のモノに対するこだわりを私に伝えたかったのかもしれない。
私が実業之日本社に在籍していたころ、『黒澤明の遺言―いげんー』(都築政昭著)という書籍の編集を手掛けたことがある。黒澤氏も一流にこだわった人だった。
この本のなかで、黒澤明氏は手塚氏と同様に一流のモノに対するこだわりについて次のように語られていた。
―黒澤明の元で長く助監督を務めた堀川弘通監督は、彼の生活振りを次のように回顧する。彼は「一流のものを見ろ」と言いますよ。そうしないと、ニセモノとホンモノの区別がつかなくなる、と―中略―ウイスキー党の彼は、最高の洋酒を飲み、肉に目のない彼は最高のステーキ肉を食べ、座右に高級な骨董品(根来塗りや信楽の壺など)を集め、読書もトルストイやドストエフスキーなど最高級の文学を常に読む。トルストイの『戦争と平和』は三十回も読んだという―
炯眼(けいがん)をもってニセモノとホンモノを峻別できる年になっても、いまだ迷いつづけている私だが、黒澤明氏のぶれない透徹した生き方にはただ感心するばかり。この書籍の編集を通して、一流のモノに対する見方を身近に感じることができただけでも満足だった。
余談だが、ありがたいことに2012年4月の朝日新聞に美術家・横尾忠則氏がこの書籍に関して、次のような感動の書評を寄せてくれた。
―家が近いのを理由に黒澤さんの晩年の数年間、時にはアポなしで訪ね、黒澤さんの映画談議に時間を忘れて長居をしたものだ。その時に聞いた話の大半が本書から再び黒澤さんの肉声になって耳元でする。だから本書は僕には垂涎の書と言える(以下略)―
また、新田たつお氏も黒澤明氏のファンであった。漫画の編集を退いて、書籍の編集に携わっていた時期、新田氏も好きな黒澤明を書籍として企画・編集できたことは、ちょっと嬉しかった。
実は、新田たつお氏も大変な読書家であり(書店の本のにおいが好きで、時間があると書店で本を家探ししている)、映画もこよなく愛していた(最近はDVDを大型スクリーンで観ること多いようだ)。それが、傑作を生み出す源泉でもあった。一流のモノに影響された揺籃期があってこそ数々のヒット作を生んだのではないかと今でも思っている。