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漫画サンデー元編集長が舞台裏を語る! 上田康晴「マンガ編集者 七転八倒記」 ACT.17 「週刊漫画サンデー」出張校正室

※本ページは、2013年11月~2015年5月にeBookjapanで連載されたコラムを一部修正、再掲載したものです。

▼プロフィール
上田康晴(うえだ やすはる)
1949年生まれ。1977年、実業之日本社に入社。ガイドブック編集部を経て、1978年に週刊漫画サンデー編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に週刊漫画サンデー編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。

ACT.17 「週刊漫画サンデー」出張校正室

 週刊漫画サンデー(以下・略称でマンサンとする)は、毎週火曜日に発売、編集会議は毎週月曜日の午前中と決まっていた。火曜日に発売される雑誌見本はすでに刷り上がっており、編集会議ではまず雑誌の出来具合の話から始まる。校了班にとっては、この時間帯は針のむしろに座る思いだった。
 毎週、木曜日と金曜日は、最終の締切で、それまでの会社内での入稿作業では間に合わず、大日本印刷所内の校正室でおこなわれていた。入稿作業には2日かけ、早折(早版)と遅折(遅版)に分けておこなわれた、これは校了から製本までをスムーズに運び発売日に遅れないようにと印刷所の事情を考慮したシステムであった。
が、このシステムをいとも簡単に破る先生がいた。古くは、大御所・手塚治虫先生。手塚プロダクション社長の松谷孝征氏は、かつてマンサン編集部で手塚先生の担当をしていた。同じ時期、マンサン6代目編集長・Nも編集部員として松谷氏と原稿獲得のためタッグを組んでいた。いよいよ締切が迫り、原稿の進捗状況を確認すると、ラスト1枚の原稿用紙に描かれてある絵は半ページ分だけ。ならば、描かれてある半分だけでもと切り取り、残り半分はまた取りに来るとして、印刷所に車を飛ばした、なんてことはよくあったそうだ。時には、締切に間に合わず減ページ掲載となり、残りのページを代わりの漫画原稿で埋める、なんてこともよくあったという。

 新しいところでは、松森正氏。遠藤憲一主演でTVドラマにもなった人気連載『湯けむりスナイパー』は、とにかく担当者泣かせであった。連載のはずが、徐々に連載から落ち始め、最後は、松森氏の進捗状況に合わせて掲載、なんてことになっていた。この先生もこだわりの職人だった。一度、マンサンの表紙を依頼したときのこと。これがなかなか仕上がらない。やっと出来上がった絵を見てみると、主人公の髪の毛が1本1本丁寧に描きこんであった。これじゃーいくら時間があっても足りない。まさに職人気質、と言いたいところだが、雑誌は時間との勝負。以来、表紙はすでに描かれてあるイラストをトリミングし直し、使用していたと思う。
 マンサンの出張校正室は、市ヶ谷にある大日本印刷本社の一角に用意されてあった。校了班は毎週、木曜日と金曜日は市ヶ谷の校正室で夜を明かした。
 そんなわけで、拘禁状態がつづくとイライラが募り、ちょっとでも編集のミスを見つけると、校了班から怒りの電話が飛んできた。しばらくして、校了班のアシストを命じられた私は、週のうち2日から3日を市ヶ谷の大日本印刷所で過ごすことになった。このときはじめて、校了班の気持ちがわかった。この生活は、私が編集長になってからもつづいた
 毎年4月になると新入社員が入ってくる。1週間のうち半分近くは印刷所暮らしのため、ともすると新入社員の顔も知らないことがあった。もちろん新入社員も私の存在を知らない。あるとき、マンサンに新入社員が入ってきた。「月曜日の編集会議になぜアルバイトの人が大きな顔して出ているのかな?」と新人が誰かに聞いていた。私のことである。ことほど左様に、週刊誌の校了をしていると会社からは忘れられ、社内事情に疎くなるものである。
 マンサンには社員だけでは手が足りないため、常に4,5人の学生アルバイトがいた。これはマンサンの長年の伝統で、早稲田大学の漫画研究会の面々が来ていた。東海林さだお氏をはじめ弘兼憲史氏、やくみつる氏、国友やすゆき氏、さそうあきら氏、ラズウェル細木氏、けらえいこさん、安倍夜郎氏と錚々たる漫画家がマンサンアルバイトの経験者だった。また、漫画家以外にドラクエの堀井雄二氏、エッセイストとして活躍中の堀井憲一郎氏なども学生時代にマンサンのアルバイトとして汗を流していた。
 凄い面々がアルバイトとしていたんだなぁ、とこれを書いていて改めて感心してしまった。このような面々を顎で使っていたのかと思うと、汗顔の至りである。
 さて、話は戻り再び大日本印刷出張校正室。マンサンの校正室は、市ヶ谷の校正室の中でも比較的広く使いやすい角に部屋があった。当時は、朝日新聞の雑誌「朝日ジャーナル」と一緒に使っていた。「朝日ジャーナル」と校了日が重なったときは、マンサンは撤退、他の部屋への移動を余儀なくされた。格の違いを感じたものだ。そういえば、夜遅く当時の編集長であった筑紫哲也氏がほろ酔い加減で校正室に入っていく姿を時折見かけたっけ。
 校正室での仕事は、あまり報われることはない。とにかく誤字脱字なく、台割(本全頁の構成と内容を16ページや32ページなどの用紙の折単位ごとに区切って、ページ構成できるようにした表。本や雑誌の設計図みたいなもの)どおりに原稿をチェックし入稿することに神経を尖らせていた。無事これ名馬、1字でも誤字脱字でもあるものなら、マンサンの発売日から1週間は周囲からチクチク嫌味を言われる。当然、読者からもミス指摘のハガキが届く。このような時は、ジッと耐えるのみであった。
 さらに校了班に要求されることは、原稿が入るまでの間、何時間でもひたすら待つことに慣れることであった。そのあたりのことは、次号で。

関連書籍
湯けむりスナイパー 画:松森正 作:ひじかた憂峰
課長島耕作 著者:弘兼憲史
パロ野球ニュース 著者:はた山ハッチ
幸せの時間 著者:国友やすゆき
コドモのコドモ 著者:さそうあきら
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