漫画サンデー元編集長が舞台裏を語る! 上田康晴「マンガ編集者 七転八倒記」 ACT.13 春風駘蕩の人・杉浦幸雄②
※本ページは、2013年11月~2015年5月にeBookjapanで連載されたコラムを一部修正、再掲載したものです。
▼プロフィール
上田康晴(うえだ やすはる)
1949年生まれ。1977年、実業之日本社に入社。ガイドブック編集部を経て、1978年に週刊漫画サンデー編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に週刊漫画サンデー編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。
ACT.13 春風駘蕩の人・杉浦幸雄②
それは今から14、5年前、夜の10時ごろだったろうか。銀座の安酒場で打ち合わせを終えた私とS・Hは、家路を急ぐべく銀座の裏通りを駅に向かって歩いていた。その時、私たちの行く先に陽炎のように左右に身体を揺らしながら歩いている見慣れた姿があった。「ひょっとして杉浦先生では?」とSが言ってきた。半信半疑ではあったが、夜目がきくS・Hが言うのだから間違いない。しかしこんな夜遅くに、ひょっとしてお忍びでどこかに向かっているかもしれないと勝手に思い、声をかけてよいものか躊躇していると、S・Hはすでにその陽炎の前に回り声をかけていた。やはり杉浦幸雄氏だった。杉浦氏は私たちが誰であるかすぐに分かったらしく、「これはこれは漫画サンデーの方々、飲みに行きますか」と嬉しそうに誘ってくれた。仕事上で私たちから酒席にお誘いすることはあっても、杉浦氏から誘われたのは、この日が初めてだった。巨匠の誘いに気後れ気味の私だったが、酒でエンジンのかかっていたS・Hは、むしろこの誘いを歓迎していた。結局、この日は漫画家がよく出入りしていた『ベレー』と三味線の名手が経営する『小うた』という老舗に案内され、すっかり御馳走になってしまった。
ちなみに『小うた』については、「週刊漫画サンデー」初代編集長・峯島正行氏の著書『さらば銀座文壇酒場』によると次のように書かれている。
「我々が銀座に出入り始めた頃としても、不思議といっていいくらい変わった酒場で、最初に行ったときは仰天した。それは、飲む席で腰かけて、マダムとホステスの弾く三味線によって、小唄を歌えるところにあった。もちろんマダムを初め、ホステスは和服であった。全部とはいわないまでも主だった女性は三味線が弾け、小唄が歌えるという昭和35年当時でも、『いまどき珍しい』所であった。店内の装飾も伊藤憙朔の設計ということで、和風に統一され、繭玉がぶら下がっていたりした。こんな酒場が出来たのも、マダムの(柴)小百合さんが小唄柴派のお師匠さんで、後に同派の家元になるくらいの腕前だったからだ。」
峯島氏は仰天と書いていたが、それ以上に驚いたのは私たち。どう考えても安酒場が似合う私たちが来てはいけない店だった。全く場違いな私たちは“小唄”のなんたるかも知らず、ただひたすら出されたビールを黙々と飲んでいた。周りを見渡すと、大会社の重役か社長らしきお客が、マダムの三味線で小唄をうなっていた。杉浦氏はというと、すわり心地が悪そうに飲んでいる私たちには全く気にとめず、我が家に帰ったようにリラックスし、楽しそうに飲んでいた。
実は、『小うた』の前に『ベレー』で御馳走になっていたとき、私たちは帰るタイミングをはかっていた。『ベレー』は創刊時の「週刊漫画サンデー」でもおなじみの横山隆一氏が名付け親で漫画集団のたまり場と聞いていた。そんなわけで『ベレー』は、往時の店のにぎわいを想像するだけでも楽しく、気さくに飲める店だったが、『小うた』となると私たちにとってはレベルが高すぎた。さすがに銀座で長年遊んできた巨匠にはよく似合う店で、その顔の広さ、銀座の奥の深さに脱帽の夜だった。その『小うた』なら杉浦氏を置いて先に失礼しても面倒を見てくれると判断した私たちは、頃合いを見計らって早々に退散した。少々慣れない店で疲れたが、大人の銀座デビューを果たすことができた?
また、こんなこともあった。編集部で比較的気軽に飲める銀座のクラブに杉浦氏をお誘いした時のこと。ホステスからサインを求められた杉浦氏は、快くウイスキーのコースターの裏にペンを走らせた。よく見ると女性を描いている。単なるサインだけと思っていたホステスは、その美人画に喜んだ。しばし全員でペンの動きを注視していると、ふと指が止まった。いったい何があったのか?待つこと時間にして3、4秒であったろうか、思慮があってのことだろう、と顔を覗き込むと、ペンを握ったまま杉浦氏は寝ていた。実におおらかな先生だった。
1960年代に「週刊漫画サンデー」に連載された横山隆一『百馬鹿』より。©横山隆一
私が杉浦氏を知ったのは、1973年(昭和48年)の頃だった。実業之日本社から創刊されて間もない「週刊小説」(1972年創刊)のアルバイトだったころである。「週刊小説」編集長は、「週刊漫画サンデー」初代編集長の峯島正行氏であった。今思えば、峯島氏とは不思議な縁である。この時私が将来、峯島氏が立ち上げた「週刊漫画サンデー」の編集長になろうとは思ってもいなかった。(つづく)