【推しマンガ】ここに技あり、歴史あり! 圧倒的画力で江戸の伝統美に迫るマンガ
『神田ごくら町職人ばなし』は、「THE BEST MANGA 2024 このマンガを読め!」(雑誌「フリースタイル」)で第1位、「出版社コミック担当が選んだおすすめコミック2024」(日本出版販売)で第1位、「このマンガがすごい! 2024」(宝島社)のオトコ編で第3位など、マンガランキングを総なめした話題作です。
今回は、一躍脚光を浴びている本作の魅力に迫ります。舞台は、世界有数の消費都市・江戸。18世紀、その人口は100万人を超えたと考えられていますが、人々の生活を支えたのが様々な職人たちの技術でした。
坂上暁仁の『神田ごくら町職人ばなし』は、多様な江戸の職人技をマンガに活写して、日本人のルーツに迫っています。
職人の町・神田
かつて江戸は、「未開の地」と言っても過言ではない湿地帯でした。豊臣秀吉の命で、関東に国替えした徳川家康は、慶長8(1603)年に征夷大将軍となると、江戸を日本の中枢とすべく本格的な都市開発に着手しています。
徳川の領地であった三河や遠江(とおとうみ)、駿河などから、大工・左官をはじめとする職人たちが、指導者として招かれました。そして神田や日本橋の周辺に、職種ごとに「職人町」を設けたのです。
たとえば、鍛冶(かじ)師などによる鍛冶町、藍染職による紺屋町(現・神田紺屋町)など、今も東京の神田には、地名として職人町の名残りが見られます。今回ご紹介するのは、「神田ごくら町」という架空の職人町を舞台にした作品です。江戸の職人技と心意気に会いに、歴史散歩に出かけましょう。
『神田ごくら町職人ばなし』©坂上暁仁/トーチweb 1巻P005より
『神田ごくら町職人ばなし』の「其の一 桶職人」では、一人の桶(おけ)職人の日常が描かれます。現代は使用の機会が減った木桶。しかし江戸時代には、生活に欠かせない大切な道具でした。
洗濯や水浴びのための洗い桶、食事のための食器や酒器など……。用途は様々ですが、取り分け醤油や、味噌、酢、みりん、酒などの発酵食品の多くは、木製の桶・樽(たる)を用いて造られていました。
かつて調味料や酒の製造、輸送には甕(かめ)が用いられていましたが、江戸に大量の商品を海上輸送する必要ができたことから、衝撃に強い木樽が重宝されるようになったのです。木の香りが移ると、商品の味がまろやかになると喜ばれ、さらなる木桶・木樽の発展に繋がったと言われています。
五感を使って読みたい職人マンガ
ここまで、江戸の町における木桶・木樽ヒストリーをご紹介しました。しかし、『神田ごくら町職人ばなし』では、そういった蘊蓄(うんちく)を紹介するモノローグやナレーションは、ほとんど見られません。著者の坂上暁仁は、ドキュメンタリー映像のように職人の日常をひたすら追跡しています。
ある日、木桶職人は材木屋に材料を探しにきました。この辺りでは杉材が人気ですが、杉は香りが強く「飯びつ」に不向きだと言って、サワラ材を求めるのです。サワラの飯びつであれば、米に匂いがつくことがありません。
家に帰った職人は、銑(せん)という道具で木材の側面を半円状に粗削りし、鉋(かんな)で滑らかに整えていきます。そして炊いた飯を潰して作った「続飯(そっくい)」と呼ばれる糊を木材の断面に塗り、桶状に繋いで組み上げていきます。
『神田ごくら町職人ばなし』©坂上暁仁/トーチweb 1巻P010より
坂上暁仁は、木桶の細部まで緻密に描いています。その木目は、息を飲むような美しさ――。職人が使用する刃物の冷たさや、木くずの香りまで、見る者に感じさせています。解説を抑制している分、読者は感覚を研ぎ澄ませて職人の手業に見入ることができるのです。
ここで紹介するのは音のない静謐な画面。しかし、鉋で木を削る「シューッ、シューッ」という音が伝わってきませんか――。
江戸の浮世絵師・葛飾北斎は、「冨嶽三十六景」の代表作『尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)』という作品で、桶職人と木桶の向こうに覗く富士山を描いています。北斎と同様、職人の手仕事の魅力を紹介する『神田ごくら町職人ばなし』は、現代の浮世絵と言っても過言ではありません。
江戸はリサイクル社会
桶職人の仕事は、新しい桶作りだけではありません。桶の修理、組み直しの依頼も舞い込みます。
江戸時代の日本は、リサイクル&リユースが当たり前の社会でした。現代とは異なり物が不足していたため、あらゆる資源を再利用しなければならなかったのです。庶民の暮らしも決して裕福とは言えなかったため、日用品のほとんどが再生・再販されたのです。
庶民の着る衣類のほとんどが、古着屋から購入したものか修繕したもの。鍋釜に穴が空けば、鋳掛(いかけ)屋に修繕してもらいました。古紙は紙問屋が回収し、厠(かわや)用や鼻紙用として再生していたといいます。
『神田ごくら町職人ばなし』©坂上暁仁/トーチweb 1巻P012_013より
木桶や木樽も、数年使われた後に桶職人のもとで再び組み直しをする流れとなっていました。
桶や樽に使われる木材は、生きています。たとえば酒蔵で使用される樽は、木材に住み着いた微生物が蔵元特有の味を生み出してくれるそうです。木材ならではの魅力もあって、桶や樽が大切に使われていたのです。
『神田ごくら町職人ばなし』では、カラカラに干上がった桶が、職人のもとへ持ち込まれます。しかし職人の青年は、修理をせずに「水につけておきな それでなおる」と言って、持ち主に返しています。サワラは吸水性に優れた木材。その特性に合わせて大事に使えば、桶は「百年だってつかえる」というのです。
江戸職人の技と意地
ただひたすらに、ひたむきに手仕事に挑む職人たち。マンガでは、桶職人、刀鍛冶、紺屋、畳刺し、左官など様々な江戸の職種が紹介されています。
「金や仕事なんざ どうだっていい」。本作は、精緻で美しい伝統美に加え、江戸っ子の心意気を描出。仕事に心血を注ぐ職人たちのヒューマンドラマが見どころです。
なぜ江戸という時代は、今も人の心を惹きつけるのでしょうか。それは私たち現代人の生活の中に、江戸の伝統や文化が生き続けているからかもしれません。マンガのページをめくって、愛すべき江戸の職人たちに会いに出かけてみてください。
執筆:メモリーバンク / 柿原麻美 文中一部敬称略