読めば心に海が広がる 青色のマンガたち
雑誌などの印刷文化を背景に、発展してきた日本の商業マンガ。モノクロ(白黒)印刷を中心とした、独自のテクニックが築き上げられてきました。
もちろん雑誌にも、カラー印刷、2色印刷などのページはあります。しかし印刷コストを抑える目的もあって、色のないモノクロームの世界がボリュームを占めてきた次第です。
色のない世界に色味を感じさせるため、マンガ家たちは様々な苦労を重ねてきました。モノクロの画面のはずなのに、目の前に海や空の青さが広がる――そんな体験をしたことはありませんか。爽やかなブルーを感じる名作コミックを紹介します。
山の向こうに広がる海の青色
吉田秋生は『カリフォルニア物語』『吉祥天女』『BANANA FISH』など、数々の代表作をもつ少女マンガの巨匠です。確かなデッサン力と繊細な心理描写で、多様な人間の姿をリアルに描いています。
そんな彼女が鎌倉を舞台にしたのが『海街diary』。第11回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、マンガ大賞2013、第61回小学館漫画賞を受賞した名作です。
祖母が残した鎌倉の古い家で暮らしていた香田家の三姉妹。幼い頃に別れたきりだった父親が亡くなったことで、新たに異母妹を迎えることになります。四姉妹となった彼女たちの原点には、鎌倉の海の風景がありました。
神奈川県の鎌倉市で暮らす香田 幸(さち)、佳乃(よしの)、千佳(ちか)の三姉妹のもとに、父親の訃報が届きました。彼女たちが幼い頃に、父の浮気が原因で両親は離婚。父が家を出ていって以来15年、彼と会ったことはありません。
そのせいもあるのでしょうか。次女の佳乃は、肉親であるにもかかわらず“父の死”を悲しむことができません。その想いは、長女の幸、三女の千佳も同じこと。
さらに家を出た後の父の足取りが、三姉妹の困惑を深めます。浮気相手の女性との間に一人娘をもうけた父ですが、その女性とは死別。残された娘を連れて、今の妻と再婚したというのです。看護婦として働いている長女の幸は、夜勤のため葬儀に参列できないと言います。代わりに、佳乃と千佳が葬儀に行くことになりました。
『海街diary』©吉田秋生 / 小学館 1巻P056より
佳乃と千佳が、父が晩年を過ごした山形の温泉町に行くと、一人の少女が出迎えてくれました。それは、香田家の三姉妹にとっては“異母妹”に当たる浅野すず。彼女は中学生と思えぬ落ち着きぶりで、佳乃と千佳を驚かせます。
すずと対照的なのが、父の現在の妻である陽子。喪主であるにもかかわらず、葬儀で取り乱してしまいます。父親は、一人では生きていけない「あぶなっかしい」女性が好きだったのかもしれません。夜勤を終えて葬儀に駆けつけた幸は、父の最期を世話したのは陽子ではないと見抜きます。
父の晩年を世話したのは浅野すず。香田家の三姉妹は、すずに「一番好きな場所」を聞きます。すずが案内したのは町を一望できる高台。彼女は“父親が好きだった場所”だと説明します。三姉妹は、広がる山の向こうに“海の青色”を連想して、“鎌倉に似ている”と評します。父は、海街・鎌倉を忘れていませんでした。三姉妹とすずは異なる環境で育ちましたが、“海”という見えない絆によって結ばれていたのです。
宇宙を思わせる深海ブルー
15世紀頃から、ヨーロッパ諸国による新航路、新大陸の開拓が進みました。航海技術の発展がもたらした「大航海時代」の到来です。
それから人類は、未知の領域の開拓を続けてきました。現在は人工衛星の登場によって、地球上のほとんどのエリアがつまびらかとなっています。
しかし、地球の表面積の約70%を覆う“海”については、まだ分からないことが多くあります。特に、海全体のうち約95%を占める “深海”は、未解明だというのです。五十嵐大介の『海獣の子供』は、未知なる深海の神秘にマンガで挑んでいます。
『海獣の子供』は、第38回日本漫画家協会賞優秀賞、第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した名作です。著者の五十嵐大介は、多摩美術大学で学んだ経歴の持ち主で、絵画のように繊細で重厚な描写を得意としています。
『海獣の子供』では、細かいペンタッチを重ねて“海の青色”を表現しています。波立つ海面や、珊瑚に囲まれた浅い礁池(しょうち)、魚が回遊する海流など、多様な海の表情を描き分けているのです。その描写は、未知の領域・深海にまで及んでいます。それは、宇宙の漆黒の闇に似た深海ブルー。
今から約46億年前に生まれた地球。マグマに覆われていた表面が冷え固まり、水蒸気が雨となって降り注いだことで“海”ができたと考えられています。こうして誕生した原初の海を舞台に、生命の扉は開かれました。『海獣の子供』では、その神秘のドアを開ける“鍵”として、海に深い関わりをもつ三人の子どもが登場します。
『海獣の子供』©五十嵐大介 / 小学館 1巻P066より
中学生の安海琉花(あずみるか)は、自分の気持ちを言葉にするのが苦手です。ハンドボール部の練習中、チームメイトの行動に腹を立てた彼女は、相手に手を出して怪我を負わせてしまいました。夏休み中の部活参加を禁じられた琉花は、行き場所を失ってしまいます。
琉花は単身東京へ向かいますが、その道すがら一つの夢を見ます。それは、小さい頃に水族館で見た不思議な光景。水槽を悠々と泳いでいたエイが、突然無数の光とともに消えてしまったのです。それはまるで“幽霊”のようでした。
夜になって東京にたどり着いた琉花。一人の少年が、暗い東京湾の水面に飛び込むのを目撃します。彼は、かつて琉花が見た“幽霊”と同じ光を放っていました。少年の名前は「海」。「空」という少年とともに、フィリピン沖合で保護されたという謎の多い子どもです。驚くべきことに、この少年たちは“ジュゴンの群れ”とともに海中で発見されたといいます。琉花と海、空の三人が出会ったことで、世界に様々な異変が起こり始めます。
モノクロームの世界が色づく感動
マンガ家の後藤可久士(かくし)は、ある「隠し事」をしています。彼が描いているのは、ちょっぴり下品なマンガなのです。
後藤にとって、一人娘の姫ちゃんは大切な存在。親バカな彼は、姫ちゃんに仕事がバレることを極端に恐れています。しかし、彼が仕事を隠すようになった背景には、さらに大きな「隠し事」がありました。
本作は、『さよなら絶望先生』で第31回講談社漫画賞を受賞した久米田康治による作品です。ブラック・ユーモア満載の久米田ワールド。その合間に、家族の再生の物語が紡がれていきます。
マンガ家の後藤可久士の代表作は『きんたましまし』。ちょっと下品な作品です。彼は、一人娘の姫ちゃんが生まれた瞬間から、職業を隠していくことを決めました。
姫ちゃんの目をごまかすため、サラリーマンのようにスーツ姿で出勤。旧山手通りにある古着屋で、Tシャツ&短パンに着替えてマンガ家に変身する毎日です。
後藤は、姫ちゃんが仕事場に来ることも想定し、自著の単行本も手元に置かない周到ぶり。後藤が手掛けた原稿は、鎌倉にある倉庫に隠されていました。しかし姫ちゃんが18歳になった誕生日、パンドラの箱が開きます。姫ちゃんの手で倉庫の扉が開けられると、白い原稿が舞い散ります。海辺の青い風景の中に――。
『かくしごと』©久米田康治/講談社 1巻P004より
『かくしごと』は、後藤 姫が小学生だった“過去”と、彼女が18歳となった“現在”の2部構成のストーリーテリング。
過去編はモノクロのページで、後藤可久士の日常をコメディ・タッチで描きます。現在編は、父の隠し事を知った姫が“家族の足取り”をたどるストーリー。過去編とは対照的なフルカラーで、感動の物語が描かれます。その色調は“海”を想起させる優しいブルー。
読者は、マンガのモノクロ原稿にも色味を感じることができますが、それはイマジネーションがなせる業です。どんな色を感じるかは、見る者の心理状況によって変わってきます。物語の進行とともに明かされる後藤家の悲しい過去。果たして後藤父娘は心の傷を乗り越えることができるのでしょうか。ラストには、読者の心が色づくような感動のマンガ体験が待っています。
8月31日の空はどこまでも青い
8月31日――それは夏の終わり。学生の多くにとっては、新学期前の最後の休日になることでしょう。つまり、夏にやり残したことを成し遂げる“ラスト・チャンス”の日なのです。
高校生の鈴木くんと高木さんは、8月31日に出会いました。しかし一日が終わっても、新学期が来ることはありません。二人は、繰り返す時間の中に閉じ込められたのです。
繰り返されるループの中で、記憶を繰り越せるのは二人だけ。終わらない夏休みに、鈴木くんと高木さんは思い出をいっぱい積み重ねるのです。青春真っただ中の二人を描く、どこまでも青いラブ・コメディを紹介します!
8月31日を繰り返すようになって、1ヵ月が経ちました。男子高校生の鈴木鷹也と、女子高生の高木佳夏。二人だけが、このタイムループ現象に気づいています。
二人は記憶を繰り越せますが、それ以外は0時を迎えると元に戻り、また同じ8月31日が始まるのです。
鈴木くんは、地元の名門男子校・北栄の生徒。頭脳明晰の彼は、自分なりにタイムループについて分析したと言います。ループの原因はおそらく「未練」。鈴木くんは、この夏一つの宿題を自らに課していましたが、それが実現できなかったと言うのです。
『8月31日のロングサマー』©伊藤一角/講談社 1巻P006より
鈴木くんは、スマホのメモアプリに「高2の夏のTo Do」として目標を記録していました。その内容は「彼女を作って童貞を捨てる」こと。スマホの画面を見せられた高木さんは、思わず言葉を失います。二人の間を、沈黙とともに夏の風が通り抜けていきます――。
東大を目指しているという鈴木くんは、どこまでも真面目な優等生。しかしシリアスな外見とは裏腹に、頭の中は女子への興味でいっぱいなのです。そのギャップの落差が読者の笑いを誘います。高木さんのことを好きになった鈴木くんですが、想いが実る日は来るのでしょうか。
一方の高木さんは、半年前に彼氏と別れたばかり。直球過ぎる鈴木くんを「キモッ」と感じる瞬間もありますが、憎からず思っているようです。さらに眼鏡を外した彼の顔が好みで、ちょっとドキドキしている様子。毎回二人はいい雰囲気になるのですが、鈴木くんの“夏の課題”を達成できぬまま一日は終わりを迎えます。こうして二人の青いロングサマーは、明日も続いていくのです。
トロピカル・カクテルのような海の色
静かな青い海の底に、ひっそりと佇む小さなバーがありました。色とりどりの海藻やサンゴの奥に隠れた名店。その名は「バー・オクトパス」。
マスターはタコで、8本の足を自在に操ってカクテルをシェイクします。来店するのは、人見知りの人魚に関西弁のぐじ、おしゃべりなチンアナゴ、コワイ顔をしたサメ軍団、警察に追われるウミガメなど。今宵も個性豊かなお客様が訪れます。
美味しいお酒と、心地良い音楽が流れる空間で、至福の一時を楽しみませんか。『バー・オクトパス』の著者は、マンガやイラストレーションなどを手掛けてマルチに活躍するスケラッコ。優しいタッチの線画で、青い海の底を描いています。
夜になって、海の底にある小さなお店にほのかな明かりが灯りました。知る人ぞ知る、この店の名前はバー・オクトパス。
今日は水が澄んでいて、海の遠くまで景色を見通せます。気分がよくなった女性客は、マスターにハイボールのおかわりを頼みました。カウンターに座るその脚は、人間のものではなく“魚の尾びれ”。彼女は人魚のお客さんなのです。
店名の通り、この店では“オクトパス”ことタコがマスターです。人魚の注文に応えてハイボールを作ります。マスターは八本の脚を器用に使い、アイスピックで氷を割りながら、同時にウィスキーをカクテルメジャーで計ります。その手際の良さに、人魚はいつも見とれてしまうのです。
『バー・オクトパス』©スケラッコ/竹書房 1巻P012より
本作の著者・スケラッコは、多摩美術大学でグラフィックデザインを専攻していたそうです。原稿の上に描かれるのは、紙の余白を生かしたオシャレな画面。モノクロの画面ですが、淡いグレーの塗りが明るい青色を見る者に感じさせています。
この店には様々な客がやって来ます。ある日、熱帯魚の客が「ブルー・ハワイ」を頼むと、マスターは、ラムやブルーキュラソー、パイナップルジュース、レモンジュースを入れてシェイカーを振ります。
グラスに注がれたブルー・ハワイは、南国の海を思わせる淡い青色。そのかわいい佇まいを見て、人魚も魅了されてしまいます。『バー・オクトパス』には、個性豊かな海の仲間と美味しいお酒が待っています。お酒が大好きな人も、そうでない人も楽しめる海底酒場。ぜひ本書を読んで、まったり至福の時間を過ごしてみてください。
モノクロの世界に感じる色彩
モノクロのマンガに色味を感じさせるには、読者のイマジネーションを利用するしかありません。『海街diary』で紹介したのは、山形県の風景。それでも鎌倉を連想するセリフが入ることで、読者はそこに海の青さをイメージします。『海獣の子供』『バー・オクトパス』では海中の様子が描かれますが、ペンタッチやトーン等の工夫で、読者に海の青さを感じさせています。
『かくしごと』『8月31日のロングサマー』は、ともに“時間”が鍵となる作品。前者の作品では、過去編と現在編の切り替えにページの色味をうまく生かしています。後者では、“終わらない夏”の演出として、色鮮やかなカラー描写が巧みに使われているのです。
モノクロページには、“色を使えない足かせ”がありますが、マンガ家たちは様々な工夫を盛り込んで読者に色味を感じさせています。ちょっとマニアックな読み方かもしれませんが、モノクロームの世界に演出された色彩に注目しながら楽しんでみてください。
執筆:メモリーバンク / 柿原麻美 文中一部敬称略