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【漫画家のまんなか。vol.21 村上もとか】「“病”と“戦争”。人類普遍の課題に挑みたい」村上もとかが、幕末医療漫画に再び挑む理由。

トップランナーのルーツと今に迫る「漫画家のまんなか。」シリーズ。今回は、『JIN―仁―』『龍―RON―』などの感動作を手掛け、希代のストーリーテラーとして知られる村上もとか先生にお話を伺います。

村上先生が描くのは、モータースポーツやボクシング、登山、武道、歴史ものなど、実に幅広い世界です。作品のジャンルは、興味があるものを描くうちに広がったと言います。

旺盛な創作意欲の原点と、これまでの漫画画業、さらに現在「グランドジャンプ」(集英社)で好評連載中の幕末医療漫画『侠医冬馬』への思いをお話しいただきました。

▼村上もとか
1951年、東京都生まれ。望月あきらのアシスタントを経て、1972年「週刊少年ジャンプ」に発表した『燃えて走れ!』(原作:岩崎呉夫)でデビュー。1982年、『岳人(クライマー)列伝』で第6回講談社漫画賞少年部門受賞。1984年『六三四の剣』で第29回小学館漫画賞少年部門を受賞、1996年『龍―RON―』で第41回同賞青年一般部門、1998年 第2回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞している。幕末の医療をテーマとした『JIN―仁―』では、2011年に第15回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞、テレビドラマ化されて多くの反響を呼んだ。2014年、漫画家・上田トシコの人生を描いた『フイチン再見(ツァイチェン)!』で第43回漫画家協会賞優秀賞を受賞。2024年現在、「グランドジャンプ」にて『侠医冬馬』を連載中。

侠医冬馬 著者:村上もとか 共同作画:かわのいちろう
JIN―仁― 著者:村上もとか
龍―RON― 著者:村上もとか

『JIN―仁―』で描いた幕末の江戸

『JIN―仁―』は、現代の脳外科医である南方 仁(みなかた じん)が江戸時代、それも幕末期にタイムスリップしてしまうというお話です。“タイムスリップもの”は面白いのですが、無闇やたらに使うと荒唐無稽になってしまう。その辺りの匙(さじ)加減をどうするかが、とても難しい。幕末にタイムスリップした仁は、自らの不用意な行動が歴史を変えてしまうことを認識している。しかし、目の前に瀕死の患者がいたら「医師として、救わなければ」と思うのが自然です。だけど、本来死ぬ運命の人間を救った時点で、既に歴史を変えてしまったことになる。ほんの小さな歴史の改変――小さなものがいくつも重なれば、その後の歴史は大きく変わる。この物語は“タイムパラドックス”もテーマの一つにしているわけです。

理由も分からず、風雲急を告げる江戸にタイムスリップした南方 仁。そこに暮らしているのは確かに私たちの先祖ですが、文化や生活様式が現代とは異なる“異郷”とも言うべき地です。そこで生きていくためには、何かの力を持たせなければなりません。そこで私が彼に与えたのが“脳外科の医術”です。

私が『JIN―仁―』を描く時に最初に考えたのは、“スーパードクターもの”にはしないということ。連載を始めた2000年代には、“神の手”と呼ばれるスーパードクターものが人気を集めていました。私が創造した南方 仁は大学病院勤務の脳外科医ですが、優秀であっても突出したカリスマドクターではない。もっとも、仁が身につけている現代の医療知識と技術は、幕末期においては飛び抜けたものであったのは事実です。読者の興味は、仁が幕末の江戸にあってどんな活躍を見せるのかに集中する。私自身もそこに興味を感じて描くわけです。それだけに、施術の描写はリアルに描かなければ、読者はついて来てくれないばかりか、描く意味もなくなってしまう。私は各方面の医師の方たちにお話を聞いて回ったものです。

アオカビから作った“原始的ペニシリン”

ネタばらしをしてしまうようですが、仁と坂本龍馬の交流がこのお話の“肝”と言うべきもの。現代に生まれた仁は、龍馬が刺客に額を斬られて死んだことを知っています。なんとか龍馬の命を救いたい仁。この物語の冒頭、負傷した青年武士・橘 恭太郎の開頭手術をするのも、その伏線と言って良いかもしれません。恭太郎に急性硬膜外血種を取り除く手術を行う仁ですが、手術に用いる道具が足りません。仁は、恭太郎の妹である橘 咲(さき)に、大工道具のノミや金槌、鋏(やっとこ)を用意させて大手術を行っています。

現代の医学知識と技術を持っていても、その手には手術用具がなければ意味がありません。それに気づいた仁は、幕末の職人たちの手を借りて様々な手術用具を作ります。幕末には、鉄砲鍛冶から転身した腕のいい職人たちがいて、器用に仁の言う手術用具を手作りしていきます。龍馬を救うための手術用具を、お話の中で少しずつ用意していったのです。

それは医薬品についても同じです。遊郭・吉原の花魁(おいらん)・野風に頼まれて、先輩女郎・夕霧の治療をすることになった仁。瘡毒(そうどく)、今で言う梅毒ですが、治療にはペニシリンの摂取が必要です。アオカビから作るペニシリンですが、まだ江戸時代には発見されていない。でもアオカビは江戸時代の日本にもあるわけで、ひょっとしたら“原始的なペニシリン”が作れたかもしれないと思いつきました。医療監修の冨田泰彦先生にうかがうと、これまでに他の漫画作品で描かれた天然のペニシリン製作シーンを教えて下さいました。でも先生は、いずれの作品も「設定上、無理がある」と言われたのです。

この作品に挑んだ契機として、『江戸の性病 梅毒流行事情』(苅谷春郎、三一書房)という本を読んで、心を動かされたことがありました。官許である吉原でも、遊女の寿命は24、25歳程度と短いものでした。艶やかな遊郭の裏では、苦しんで死んでいった女性たちがいた。「現代の医師をタイムスリップさせて彼女たちを救いたい」という思いで始まった本作ですが、その大前提が崩れてしまう大ピンチ――。

その時に助け船を出してくださったのが、薬学の花木秀明先生でした。江戸時代にある物で原始的ペニシリンのレシピを書いていただきました。漫画はフィクションですが、何らかの説得力を持つ理屈がないと絵空事になってしまいます。江戸時代の醸造と言うと醤油作りがあります。その職人であるなら、カビのこともよく分かるはず――と、原始的ペニシリン作りに醤油の蔵元を参加させることにしました。すると、この老舗が仁の大スポンサーになるという副産物が生まれて、物語に厚みが加わったのです。

漫画のラストを飾ったハッピーエンド

『JIN―仁―』は、2009(平成21)年と2011(平成23)年にテレビドラマ化されています。漫画の連載とテレビドラマの放映が並行した時期がありましたが、放映時間の都合もあってドラマの方がストーリーの展開が早い。ラストについては、テレビドラマの方が先に公開されるわけです。ドラマ化にあたっては、プロデューサーの方が物語のテーマをよく分かってくださっていたので、「テレビなりの見せ方で、ドラマをヒットさせてください」とお願いしてありました。ドラマをどう締め括るかについても、先方にお任せしてあった。感動のラストにしていただいたと思っています。

さて、我が方(漫画)のラストをどう締め括るかが問題となりました。テレビドラマの二番煎じはできません。どんな味つけにするか、ギリギリまで悩んだ記憶が残っている。だけど、たまたま劇場版アニメ『トイ・ストーリー3』を観て、すごく微笑ましいラストだと思ったのですね。涙を誘いながらも、みんなハッピーに終わっている。「あっ、この手がある」と思いました。

漫画は、ある意味で“絵空事”です。タイムスリップした人間が元の時代に戻る時、移動先の時代(幕末)で愛し合った女性と、悲しい別れをしなければならない決まりはありません。「元の時代に帰ってきても結ばれてもいい」「そういう方法がないか」と考えて、一つの答えに辿り着きました。最終回のアイディアがギリギリに浮かんで、ホッとしたのを昨日のように思い出します。テレビドラマとは全く違うラストですから、読者の方にはぜひ注目して読んでいただきたいと思いますね。

日中を股にかけて活躍した男、龍―RON―

『龍―RON―』は私の最長の作品で、15年以上にわたって描いていました。昭和初期から昭和20(1945)年の終戦まで、日中を股にかけて活躍した青年・押小路 龍(おしこうじ りゅう)を描いた物語です。私が幼い頃から、中国大陸に寄せていた関心と憧れから生まれたものです。

中国大陸の東北部に「満洲」という国があったことに気づかされたのは、*上田トシコ先生がお描きになった『フイチンさん』を読んだことにあります。さらに叔父が残した戦前の少年少女向け百科図鑑の中に満洲国の地図があったことも手伝っている。日本、朝鮮、台湾が赤色で印刷されていたのに対し、満洲はピンクで印刷されていました。ここが『フイチンさん』の活躍する舞台だと、小学校低学年の私は初めて満洲という存在を知ったのです。
(*上田トシコ=1917年~2008年。少女漫画の黎明期に活躍した女性漫画家の一人)

それから満洲に関する書籍に興味を持って読んでいました。今日の日本人が、ものすごい勢いで忘れていった歴史です。しかし、「日本が海外にここまで深く関わっていた何十年かがあったことを、記録として残しておきたい」「いつの日か、この世界を漫画に描けたら」とも思いました。私が幼い頃に読んだ『敵中横断三百里』(山中峯太郎)や『夕日と拳銃』(檀 一雄)などの小説の影響もあったのか、記憶を失った主人公の龍を馬賊、馬隊の頭目にしました。この設定をする際、『夕日と拳銃』のモデルとなった伊達順之助のご長男であり、拓殖大学などの教授を歴任された伊達宗義先生にアドバイスをいただいている。満洲国の国策企業として、多くの映画を手掛けた「満映」こと満洲映画協会。その二代目理事長であった甘粕正彦のエピソードも、伊達先生に教えていただいています。

懐かしかった、長春のオープンセット

私が戦前のことに興味を持ったきっかけは、父の存在にありました。話好きの父は、戦前のいろいろな風物について話をしてくれたのですが、父が語る戦前の風景は生き生きと “色彩”を持って私の心に響きました。それは、父が元々絵描きを志望していたからかもしれない。私たちが知る戦前の風景と言えば、モノクロでコマ落としのニュース・フィルムのようにカタカタ動くみすぼらしいものでした。ところが父が語る世界は、私たちが今見ている世界と少しも変わりがない。それよりはるかにきれいな風景に思えて魅了されたのです。これを表現するには、映画では金がかかり過ぎる。「私が漫画として描くべきじゃないか」と、若い頃からぼんやりと考えていました。

1985(昭和60)年に『六三四の剣』の連載終了後、2か月の休みをもらい、そのうちの1か月間をかけて中国東北部に取材旅行に出かけました。中国の開放政策で古い建物が壊されつつあると聞いたからです。私は子どもの頃、父が映画関係の仕事をしていたことから撮影所を遊び場のようにしていた。そのため撮影所に興味があったんですね。満洲の首都・新京があった地は、現在の中国吉林省長春市に当たります。ここには観光資源として満映の撮影所跡が残っている。中国の撮影所のセットは、建物を丸ごと一軒建ててしまうのが通常です。ところが満映時代のオープンセットは実質表側だけ、裏側は支える骨組みだけの“日本風”でした。「こんなところに戦前のものが残っている」と感慨を覚えたものです。

龍をめぐる二人の女、小鈴と田鶴てい

押小路 龍をめぐる二人の女性が、小鈴と田鶴ていです。小鈴は龍の幼馴染みで祇園の女。一方のていは東北の貧農の娘。押小路家は男爵の家柄でしたが、ていは下働きに雇われています。最初、小鈴を映画女優にする予定でしたが、芸妓を女優に仕立ててもドラマに意外性がなくて今一つ面白くない。さらに描き進めているうちに、ていを描くのが楽しくなってきたこともある。オードリー・ヘプバーンの映画で有名な『マイ・フェア・レディ』ではありませんが、この娘を女優にしたらもっと面白くなると、京都へ取材に向かう新幹線の中で思いついたのです。

私は最初に、主人公の生い立ちや何やらの“大嘘”を考えておき、“後はお任せ”というやり方です。キャラクターたちの動き次第で描いています。ていが関わる映画の話なぞは、その典型です。初期の映画は、歌舞伎と同じように男性が女性を演じた。しかし次第にカメラの性能が上がり、ことにトーキーの登場で女性が女性を演じるようになる。実際、花柳界の芸者さんや華族の女性たちが女性役を演じています。今では、女優ではなく“女性の俳優”と言うべきかもしれませんが、女性が女性を演じることにも歴史があるのです。

上田トシコの青春期『フイチン再見(ツァイチェン)!』

『フイチン再見!』は、『龍―RON―』の取材で上田トシコ先生をお訪ねしたことから生まれました。生後40日で満洲ハルピンにわたって、中等教育を受けるために日本の女学校に留学した上田先生。体調の悪化でハルピンに戻り、終戦後に日本に引き揚げてきたとお話ししていただきました。そのお話を聞いて、『龍―RON―』とは違った“満洲”が描けると思ったものです。

フイチン再見! 著者:村上もとか

フイチンさん』は、1957(昭和32)年から1962(昭和37)年にかけて「少女クラブ」(講談社)で連載された上田先生の代表作。ハルピンを舞台に、リュウタイ家の門番の娘・フイチンが活躍します。彼女が住む世界は、日本人だけでなく、ロシア人、ユダヤ人、中国人、モンゴル人、朝鮮人が住む国際都市です。コスモポリタン(国際人)でハイカラな上田先生の青春時代は、そのまま漫画になっていた。そんな思いで、「上田先生を主人公にした、伝記漫画を描きたい」とお願いしました。

「高齢なので監修はできません」。上田先生はその時86歳。一度は断られましたが、どうしても描きたかった私は、2013(平成25)年に何とか連載にこぎつけることができました。上田先生のお話をうかがったのは、先生のご自宅のそばの喫茶店。「ここが我が家の応接間」とおっしゃって、コーヒーと美味しいケーキを薦めていただいたのが良い思い出です。

フイチンさんは、上田トシコそのもの

私には姉が3人おりましたので、家の書棚には少女雑誌や少女小説が並んでいた。少年時代の私は、読む物がなくなればそれに目を通していました。そのためもあって、女性が描く漫画も抵抗なく読めたのかもしれません。私は向かいの家に住む1歳年下の女の子と仲良くなりました。彼女の家は裕福だったので少女雑誌を買ってもらっていた。そこで「少女クラブ」や「少女」(光文社)など、当時人気の少女雑誌を見せてもらっていたのです。

その中でも、上田トシコ先生の『フイチンさん』は出色の出来でした。「こんなに主人公、それも女の子が跳ね回る漫画はない」と思いながら夢中になりました。だけど『フイチン再見!』の作中で、いざ “フイチンさん”を描こうと思っても上手に描けない。我が家の応接間には、上田家からいただいた『フイチンさん』の原画を飾ってありますが、実に線が走っています。この線を再現するのに苦心しました。くるくると良く動く主人公は、上田トシコ先生そのものだと思って、『フイチン再見!』を描いています。

生活資金を得て、投稿作品作りに没頭した青春時代

私は高校生の頃に、同人誌活動に夢中になっています。この活動を通じて、私は漫画の描き方を学んだのかもしれない。その時の仲間の紹介で、『サインはV!』(原作:神保史郎)、『ゆうひが丘の総理大臣』をお描きになった望月あきら先生のアシスタントとなりますが、ここで実践的な漫画技法を学びました。

高校を卒業して横浜の職業訓練校卒業後アシスタントになりましたが、望月先生がご病気になったためプロダクションは解散してしまいます。わずか3か月のアシスタント生活でしたが、その後アルバイトをしながら投稿作品作りに没頭しています。狙いは、手塚治虫先生が主宰していた「COM」(虫プロ商事)。この雑誌が新人に門戸を開いていたからです。

第1作『海のこえ』が佳作に入選しましたが、第2作の『サーカス』が編集部の目に止まり、もう1作描きなさいと言われて描いたのが『蟻の住む町』。この時に同時に入選したのが能條純一さん。編集部で彼の原稿を読ませてもらいましたが、実に大人っぽいテーマで驚かされたのを覚えている。ところが「COM」が「COMコミックス」になって編集方針が変わり、載ることはありませんでした。

いきなりの週刊誌連載で、地獄の締め切りを知る

それならば――と投稿先を「週刊少年ジャンプ」(集英社)に変更。月例に『奴隷』を、手塚賞に『原潜くろはや』を送ったところ、入選は逃したものの編集部から声がかかったのです。潜水艦や兵器を器用に描いていたところが目に止まったのか、当時の編集長から「原作付きのレース漫画を描かないか」と誘われました。

23歳という若さで亡くなったカーレーサー・浮谷東次郎の生涯を描く『燃えて走れ!』(原作:岩崎呉夫)ですが、私のデビュー作になりました。読み切り作品を一本も描かないままでの週刊誌連載。それがどういうことかも分からず、私は「ハイ、やります」と答えていた。そして地獄が私を待っていた。一本を描くのに9日かかりました。しかし一週間は7日しかない。締め切りは毎週やって来ます。手伝いの人をお願いして頑張ったものの、連載は10週で終えることになりました。締め切りの恐ろしさが骨身に染みたデビュー作でした。

バラエティーに富んだ、私の作品たち

私はF1グランプリで『赤いペガサス』、剣道で『六三四の剣』、ボクシングで『ヘヴィ』、日本文学で「私説昭和文学」シリーズなどを描いている。そのためか、人からは「多種多様なテーマをお描きですね」と言われることが多くあります。私自身は基本的に自分が嫌いでない世界、それが私にとって興味がある世界であれば挑戦するのにやぶさかではありません。よく知らない世界でも、調べれば何とかなるものです。若い頃の私は、それまで手つかずで、出版サイドが「受けない」と言うジャンルのものでも描いていきました。

六三四の剣 著者:村上もとか

「岳人(クライマー)列伝」シリーズにしてもそうでした。感動的な登山小説がたくさんあるにも関わらず、漫画の素材にはなっていませんでした。学生時代に登山をやっていた方が、私の担当編集者となってくれたこともあって、漫画化が実現しました。登山成功の感動をシンボライズしたシーンにこだわって描けば、読者も感動してくれるはずです。そういったシーンが私の中に浮かんでいる。その感動を担当編集と分かち合いました。

岳人列伝 著者:村上もとか

再び描く医療漫画『侠医冬馬』を語る

私が今描いているのは『侠医冬馬』です。かつて私は幕末を舞台にした『JIN―仁―』を描いていますが、この作品は時代劇というよりSFファンタジーとも言えるものです。私自身は元々“江戸時代の医療もの”に関心があって、吉村 昭先生の一連の医療小説に目を通していました。当時の医療従事者は、病原菌の正体も分からずギリギリのところで一所懸命努力を続けていた。そんな方たちがたくさんいたことも分かっていた私。もう一度、医者ものを描こうと考えたのは、実際の当時の医者の姿を描き足りないという思いが残っていたのでしょうか。

江戸時代の医者の多くは武士でした。漢方医療に飽き足らず、蘭学、西洋医学を学ぶ者も、手にはメス、腰には刀を帯びる二刀流だったのです。しかし幕末には尊王攘夷の嵐が吹き荒れました。蘭学、西洋医学を学ぶ者は、攘夷論者の刃の恐怖にさらされたのです。そこにスポットライトを当てて、二刀流であった医療従事者の世界を描いてみようと思ったのです。

永遠に続く“病”と“戦争”との戦いを描きたい

『侠医冬馬』の舞台を大坂に定めたのは、大坂は商都であるとともに学都だったからです。京都に近く、さらに出島のある長崎にも瀬戸内海を通じて直結していた大坂。それだけに西洋からの文物の流入も早かったのです。また主人公の松崎冬馬を、幕末の騒乱を引き起こした薩摩藩とは真逆の立ち位置にありつつ、ともに江戸から遠いという共通点があった松前藩の出身にしています。それは、そこから見た日本、大和の国は違った見え方をするのではないかと考えたからです。

私は、冬馬を『JIN―仁―』で登場させた大坂中之島の医塾・合水堂(がっすいどう)と、その近くにあった緒方洪庵(おがたこうあん)の蘭学塾・適塾の両方で学ばせています。合水堂は、世界初の全身麻酔による手術に成功した華岡青洲(はなおかせいしゅう)が開いた医塾・春林軒の分校です。このことは現代の大阪の人にも忘れられており、歴史の発掘にもなりました。

医者の最大の敵は、言うまでもなく“病”と“戦争”です。世界中で感染が拡大した新型コロナウイルス、そしてロシアによるウクライナへの侵攻。さらに中東を襲う暗雲も拡大している現在です。人類の“病”と“戦争”との戦いは永遠に続くと思われます。私はそれをテーマに描ければと考えているのです。

取材・文・写真=メモリーバンク *文中一部敬称略

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