『天幕のジャードゥーガル』女性たちの知恵と意志が最強最大の帝国を狂わせていく
時に女性は歴史の中で男性優位の社会構造に翻弄されてきました。しかしはるか昔には、栄華を誇る地上最強の大国を自らの知恵を武器に逆に翻弄した“魔女”がいたのです。
今回ご紹介する『天幕のジャードゥーガル』(トマトスープ/秋田書店)は、世界最強を誇った13世紀のモンゴル帝国の後宮を舞台に、ひとりの奴隷少女の成長と人知れぬ闘いを描いた壮大な作品です。当時の文化習俗が丁寧に描かれているだけでなく、奴隷の女性の視点からモンゴル帝国を捉える斬新な設定は、歴史マンガに新たな面白さを提示しました。
全てを奪われた天涯孤独の奴隷少女
『天幕のジャードゥーガル』©トマトスープ(秋田書店) 第1巻より
物語はイラン東部の都市トゥースから始まります。主人公である天涯孤独の少女・シタラは奴隷として学者家系のファーティマ家に買われます。そこでシタラは教養を身につけるべく、さまざまなことを教えられ「知」の強さと可能性を知ることになります。
奴隷という身分でありながらも、恵まれた周囲の環境の中で穏やかな生活を続けていたシタラですが、ある日突然その安寧は壊されます。モンゴル帝国が突如トゥースに襲来し、シタラの全てを奪ったのです。
『天幕のジャードゥーガル』©トマトスープ(秋田書店) 第1巻より
ダークヒーロー・ファーティマ誕生!
生きる希望を無くしたシタラ。しかし主人の死の真相を知り、モンゴル帝国への復讐を誓ったシタラは、その野望を遂げるためモンゴル帝国の後宮に仕えることを決意します。
その決意を描くシーンが、とても印象的です。全てを失い途方に暮れていたはずのシタラが、笑みを浮かべるのです。このシタラの表情を見た時、私は鳥肌が立ちました。シタラのことを“怖い”と思ってしまったのです。
『天幕のジャードゥーガル』©トマトスープ(秋田書店) 第1巻より
そのシタラの表情は、是非作品を読んで確かめていただきたいです。怒りや悲しみ、復讐心、そしてかすかに見えた希望。全てを丸め込んだシタラの表情を見て、この作品のタイトルの意味が腑に落ちた感じがしました。
「天幕」は、みなさんもご存知かもしれませんが、モンゴルの遊牧民の移動式住居のことを指します。これ以降モンゴル帝国の後宮に仕えることになったシタラの闘いの場は、妃たちの天幕がメインになっていきます。
そして「ジャードゥーガル」とは、ペルシア語で「魔女」という意味。そう、幸福だったトゥース時代のシタラはもういません。シタラの決意を示すように、シタラは主人の名前だった「ファーティマ」へと名前を変えます。一人の“魔女”へと生まれ変わったのです。
『天幕のジャードゥーガル』©トマトスープ(秋田書店) 第1巻より
しかし決意を新たにしたと言っても、強大なモンゴル帝国の中でファーティマの力は微々たるものです。彼女は異教徒であり女性であり奴隷です。どうあがいても、社会の中で力を持てない属性なのです。
それでもファーティマは考え続けること、そして抗う意志を持つことをやめません。自らの「知」を最大の武器に、後宮の中でのし上がっていきます。
順応することは“正解”じゃない
ファーティマはダークヒーロー的側面を持つ主人公ではありますが、彼女の生き様は女性だけでなく、ついシステムやルールの中で思考停止しがちな我々現代人すべてに突き刺さるものがあると私は考えます。
『天幕のジャードゥーガル』©トマトスープ(秋田書店) 第2巻より
実在した人物であるファーティマの顛末は歴史的にも明らかですが、この作品では彼女がどのように生き自らの運命を切り開いていったのかを物語として知ることができます。それは未来が限りなく不透明で不穏な今の時代を生き抜く鍵となるのではないでしょうか。
“力”を持たない者にとって、一番必要なことは何なのか。その答えの一端を彼女は示していると思うのです。
執筆:ネゴト / Rihei Hiraki