【マンガ大好き芸人・つじくんの突撃インタビュー!】『言葉の獣』鯨庭先生編
マンガ大好き芸人・つじくんによる「突撃インタビュー」も第三弾となりました!
今回お話を伺うのは『言葉の獣』作者である鯨庭(くじらば)先生です。
作品タイトルのキーワードとなっている「言葉」や「獣」に対する、鯨庭先生の想いを伺いました。
▼つじくん
吉本興業所属のマンガ大好き芸人。マンガを6000冊所有しており、自身でも4コママンガをTwitterなどで発信中。現在放送中のテレビ番組【川島・山内のマンガ沼】などにも出演し、2021年電子書籍にてエッセイ「マンガのようにはいかない芸人」を発売。
▼鯨庭先生
短編集『千の夏と夢』でデビュー。自身のTwitterでのツイートと描き下ろしのイラストを収めた書籍『呟きの遠吠え』が発売中。『言葉の獣』で初の長編作品を手掛ける。
『言葉の獣』が生まれるまで
つじくん:『言葉の獣』の連載及び、第1巻刊行おめでとうございます。人の心と文学、知的好奇心を細部まで冒険していくような物語で、読んでいてすごくワクワクしました。
鯨庭先生:ありがとうございます。そう言ってもらえて嬉しいです。
▼『言葉の獣』あらすじ
詩が好きな高校生・薬研は、クラスメイトの東雲が言葉を獣の姿として見ることが出来る共感覚を持っていることを知る。
「この世でいちばん美しい言葉の獣を見つけたい」と話す東雲の願いに協力し二人で探していく物語。
つじくん:『言葉の獣』の「言葉が獣の形で見える」という設定は、どうやって思いついたんですか?
言葉が獣の形で見える東雲は言葉の獣をスケッチブックに描き留めていた。
鯨庭『言葉の獣』1巻第1話より
鯨庭先生:私は動物を描くのが好きで、本当は動物しか描きたくないくらいまで思っていて(笑)。
連載するとなったら、動物が主体のストーリーじゃないと身がもたないな、と。
そこで現実の動物よりもっと自由度があって、主体におけるような設定にしたいというのと、詩や言葉も好きなので「動物」と「言葉」という二つの好きなものをかけ算して作っていきました。
つじくん:東雲が<生息地>と呼ばれる言葉の獣たちが棲む不思議な場所で、薬研が虎の姿になりますし、他に人間が出てこないのも、人間をあまり描きたくないというところから来てるんでしょうか?
鯨庭『言葉の獣』1巻第1話より
鯨庭先生:それもありますが、「ふたりぼっち」と言いますか、「2人」という関係性が好きなんです。
私はたくさんのキャラクター間で交わされる関係性を描くのが苦手で、極力主要キャラを絞って少人数でどんどん関係性を深めていくことに重点を置きました。
つじくん:薬研を虎の姿にしたのは、どのように思いつかれたんですか?
鯨庭先生:虎は縦線の虎模様から「文字の獣」と呼ばれてるというのが由来です。
つじくん:第1話でも描かれてるエピソードですね。
鯨庭『言葉の獣』1巻第1話より
鯨庭先生:最初は、東雲も虎に変身させようかなと思ってたんです。けれど、それだと動物ばかりになってしまうので、東雲はそのまま人間の姿になりました。
あとは、詩というものに対して苦労をしている点にもリンクさせたいと思い、『山月記』の李徴もイメージしています。
つじくん:『山月記』の詩は有名ですよね。
鯨庭先生:国語の授業で必ず習うのかなと思って、『山月記』のエピソードを作りました。谷川俊太郎氏の詩を使った理由も、多くの人に知られているからなんです。
つじくん:『生きる』の言葉の獣を、東雲が初めて見たエピソードですね。
東雲は小学校の授業で谷川俊太郎の詩を朗読した時「生きる」の言葉の獣と対面した。
鯨庭『言葉の獣』1巻第4話より
鯨庭先生:『生きる』は私も東雲と同じように、小学生のときに国語の授業で音読したのでずっと印象に残っていました。
学生時代に読んだときはわからなかったけど、今読んだら噛み砕けるものって少なからずあると思うんですよ。そういう作品を登場させることで「あの詩はこういう意味だったのか」と思い返すきっかけになれたらという思いもあって。
何か題材として物語などを話に乗っける際は、なるべくみんなが知っているものを取り上げているつもりです。
つじくん:空想上の動物の魅力を教えてください。
鯨庭先生:龍やグリフィンは空想だからこそ、その人によって描き方が全然違うなって思っていて。
例えばヒポグリフ(グリフィンと雌馬の間に生まれたという伝説の生物)は、いわゆる鷲みたいな、くちばしが黄色くて白い頭のハクトウワシのイメージが先に出てくると思うんですけど、『ハリーポッター』に登場するヒポグリフは、おそらくオウギワシがモデルで頭に飾り羽根があるくちばしが黒い鷲なんですよね。
鷲の種類だけとってもビジュアル面など全然違うものが描かれたりするので、自由度が高いんですよね。それが魅力かなと。
つじくん:なるほど。確かにハリーポッターのヒポグリフは礼節を大事にする感じで、誇り高い生き物でしたよね。
鯨庭先生:そうですね。認めた人にお辞儀をするという習性は、多分作者であるJ・K・ローリング独自の設定だと思うんですけど、そういう発想を知るのが楽しいです。
オリジナルの部分を踏襲しながら、描き手が脚色していろいろな設定やビジュアルを変えたりできる。自分でも「私のグリフィンはこういう生き物にしよう」とか、そういうことができるのが面白いんです。
つじくん:キャラクターについてもお聞きします。『言葉の獣』を読んでいて、先生自身の内面は東雲に近いのかなと思ったんですけども。
鯨庭先生:東雲と薬研は、自分自身を二分割した感じです。人にあんまり興味がないので、キャラクターを作れって言われると本当に困っちゃって。
よく「身近な人をキャラクターに当てはめるのがいい」って言われるんですけど、正直、友達とかをキャラクターに当てはめても、他人だからわかるわけないじゃん、とずっと思っていました。
けれど、自分がどうするかならわかる。「自分」と一言でいっても一面だけじゃない、人間はすごく多面的な生き物ですよね。それらを当てはめていきました。
つじくん:確かにそうですね。
鯨庭先生:家でリラックスする自分と、外で他者と関わる自分って全然別人ですよね。そういういろんな自分を分割してキャラに置き換えています。
東雲はあまり協調性がなかったり、自分の世界に浸って楽しむ部分。薬研は、大好きな詩を、他人に否定的に言われて落ち込む部分とか。
東雲は嫌なものは無視しちゃうけど、薬研は「なんで嫌なんだろう?」とちゃんと目を向けて考えることができる子、っていう正反対な自分を当てはめていっている感じですね。
つじくん:確かに、誹謗中傷の獣とかもそうですけど、薬研が向き合おうとしなかったら、そこでお話自体は終わっちゃいますもんね。
<生息地>に突如現れ東雲を襲う「誹謗中傷」の言葉の獣。
鯨庭『言葉の獣』1巻第2話より
鯨庭先生:そうですね。東雲は1人で<生息地>にいたときは「気持ち悪いのを見たらもう無理」とシャットアウトしていて、それ以上の学びはなかったけど、薬研が登場したことによって、今まで無視していたものにも触れざるを得なくなっていく。そういう化学反応を描こうと意識しました。
東雲は「誹謗中傷」に関わりたくない意志を薬研に示す。
鯨庭『言葉の獣』1巻第2話より
つじくん:『言葉の獣』を作る上で、一番苦労された点ってなんですか?
鯨庭先生:ストーリーライン的な部分は苦労というか、すごく危ない橋を渡ってるなって思いながら作っていますね。
私にとって『言葉の獣』が初めての長編で、短編を描く時と比べると先が長すぎてこれからどうなるかわからないんです。
1から10まで全部決めてから連載するっていう方もいらっしゃるらしいんですけど、私はそれができなくて完全に見切り発車で。大体の道筋は決めているんですけど、本当にどうなるかって自分でもわかんなくて……。
つじくん:道筋に向かって2人を導くというよりは、2人が歩いていく道筋を見守ってるみたいな感覚ですか。
鯨庭先生:そうですね。後方で書記係として頑張ってる気分です。
つじくん:「いちばん美しい言葉の獣」の言葉や姿というのは、もう決まってらっしゃるんですか?
鯨庭『言葉の獣』1巻第1話より
鯨庭先生:一応決まってるんですけど、どんな姿をしていてどんな生態なのかはまだわからないですね。もしかしたら違うものになるかもしれないので、本当にどんどん物語を突き詰めていかないとわからないって感じです。
つじくん:はぁ〜〜、いいですね。楽しみです。
鯨庭先生:私も楽しみです。2人と一緒に冒険している気持ちで描いています(笑)。
心が震えた瞬間
つじくん:東雲が「美しいって心が震えることだと思う」って熱弁してたシーンがあったじゃないですか。普段あまり大声で主張するシーンが描かれていないぶん、心の底から思って出た言葉なんやな、と感じられて印象深かったです。ちなみに、鯨庭先生の心が震えた瞬間などはありますか?
鯨庭『言葉の獣』1巻第4話より
鯨庭先生:私は「アンパンマンマーチ」を聴くといつも新鮮に感動してしまいます。
つじくん:『アンパンマン』の有名な主題歌ですよね。
鯨庭先生:はい。聴くといつでも涙が出ますね。歌詞が単純なようで哲学的で、それこそ心が震えるんです。「アンパンマンマーチ」って、幼児向けのアニメの曲なのにみんな絶対1回は考えるような根源的なテーマを歌っていて。
つじくん:人生そのものに対する問いですよね。俺、今日何のために生きてたんだろうとか、こんな毎日会社通う人生でいいのかな、みたいな。
鯨庭先生:大人というか、ある程度いろんなことを吸収してから改めて聴くと、生きることに対して易しい言葉使いで本質的な部分をわかりやすく語っているので、心に響くのかもしれません。
Twitterのつぶやきは、天然の詩
つじくん:人の目を意識せず、心にひっかかったことをそのまま言葉にしたものを、薬研は「天然の詩」と呼んでいますよね。
薬研がTwitterでつぶやいてた「もし水になれたなら」の詩は、鯨庭先生の過去作『呟きの遠吠え』でも公開されている言葉ですよね。
あれは天然の詩として生まれたのか、詩を書こうと意識してできたのか、どっちなんですか?
共有のTwitterアカウントを使い薬研は創作した詩を、東雲は自身が描いた言葉の獣の絵を公開することになった。
鯨庭『言葉の獣』1巻第3話より
鯨庭先生:私にとってツイートは本当にただの「つぶやき」で、詩を書こうと意識してはいないです。でも、綺麗だな、と思った気持ち自体は発信していきたいなとは考えていて。なので、意識と無意識の半々で書いています。
つじくん:天然の詩の生まれ方とはちょっと違いますね。
鯨庭先生:Twitterで、ご本人はふとしたことを話しているだけなのかもしれないけど、私にとってすごくポエティックなつぶやきを発見する瞬間がたまらなく好きです。その気持ちをいつか漫画にしてやる、と思って『言葉の獣』で形にしました。
自分の「言葉の獣」に向き合うきっかけになって欲しい
つじくん:最後に、読者にメッセージをお願いします。
鯨庭先生:女子高生2人が言葉の獣と出会いながら「言葉」を考察して、彼女たちなりの答えを探し当てていく話ですが、それが正解なんだって思い込まないでほしいです。
私が提示してる「言葉の獣」は、漫画内ではこういう形だけど、読者の方たちによって言葉の姿や解釈、意味は当然違っていきます。
「自分の言葉の獣って一体どんな姿をしてるんだろう」「今当たり前に言葉っていうものを使ってるけど、なんで当たり前に使えるんだろう」など、疑問に向き合って考えるきっかけになればすごく嬉しいなと思います。
鯨庭『言葉の獣』1巻第1話より