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漫画サンデー元編集長が舞台裏を語る! 上田康晴「マンガ編集者 七転八倒記」 ACT.40 やがて笛が鳴り、僕らの青春は終わる

※本ページは、2013年11月~2015年5月にeBookjapanで連載されたコラムを一部修正、再掲載したものです。

▼プロフィール
上田康晴(うえだ やすはる)
1949年生まれ。1977年、実業之日本社に入社。ガイドブック編集部を経て、1978年に週刊漫画サンデー編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に週刊漫画サンデー編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。

ACT.40 やがて笛が鳴り、僕らの青春は終わる

 私は実業之日本社で5人の編集長のもとで編集のなんたるかを叩き込まれた。特に印象に残っているのは、「週刊漫画サンデー」初代編集長・峯島正行氏。

 私が峯島氏のもとで訓練を受けたのは、「週刊漫画サンデー」時代ではなく、峯島氏が「週刊小説」の編集長時代だった。峯島氏は「週刊漫画サンデー」を1959年(昭和34年)に立ち上げ、1972年(昭和47年)に「週刊小説」を創刊している。週刊誌を2誌も立ち上げたということで業界でも評判の編集長だった。新雑誌の創刊にあたっては、外から評判の編集長を招へいし、新たに編集部を立ち上げるというのが、よくみられるパターンであったと思うが、峯島氏は生え抜きの社員で、全く畑違いの経済誌の編集者であった。今にして思うとちょっと驚きである。会社の英断に感服。
 「週刊漫画サンデー」編集長を経て「週刊小説」を立ち上げたころには、鬼編集長としてその名前は社内に轟いていた。実際、峯島氏は噂通り怖かった。まだ駆け出しの私は格好の餌食だった、と思う。出来上がった原稿にキャッチフレーズや前号までのあらすじを書き添え、まず編集長にお伺いを立てるのだが、ある日、私の書いたキャッチフレーズを見た峯島編集長は、「子どもの作文じゃないんだゾ。やり直し!」と怒鳴り、同時に葉書の束が飛んできた。茫然としている私に周囲は、何事もなかったかのように仕事に専念していた。私はかなり落ち込んだ。そんな苦い思い出を峯島氏に話したところ、ただ笑うだけで、全く覚えてはいなかった。昔の鬼編集長の面影は消え、好々爺となっていた。
 次に思い出すのが、「週刊漫画サンデー」の3代目、5代目と2度に亘って編集長に就いたY氏。同じ雑誌の編集長を2度務めた人は後にも先にもY氏だけではなかったろうか。私はY氏が5代目編集長時代に漫画編集者として、だいぶ鍛えられた。思い出すのは編集後記。シューチョーというペンネームで毎号機知に富んだ文を書いていたのが印象的だった。ここでその中の一つを紹介しよう。 「『分別』とは『ふんべつ』と読んで、四十男の代名詞かと思っておりましたところ、はからずも街角で『分別ゴミ』という看板にぶつかり、なぜか一瞬ドキリとして、分別を失ったる心地がいたしました。
 隣りには『粗大ゴミ』ともありました。粗大なる神経にそこでにらまれているようで分別の上敬遠して遠まわりしておる昨今デス。(シューチョー)」(1975年、3月29日号より)
 毎号の編集後記、ネタに困るとこのような雑感を書いていた。『分別』というお題に落語の枕詞よろしく自虐的にネタを展開しているところは、なかなかのウデ前。
 また、誤字脱字にはうるさい編集長だった。漫画誌だから多少大目に、なんて甘さは微塵もなかった。誤字をみつけると容赦なかった。印刷所の輪転機を止め刷りなおしたこともあった。「上田、勝負だ」と言って私が見終わった校正紙をチェックし始めた。「週刊漫画サンデー」の兄弟誌「サンデーまんが」の校了の時だった。「あったぞ、まだミスが多いな」と私は校正の甘さをよく指摘された。校了時は針のむしろだった。それを見ていた同僚は「上田さんが見終わった後から見るんだから、後出しジャンケンみたいなもので永遠に勝てませんよ」と同情してくれたが、この時の理不尽な勝負が後の校正作業において役に立った。今では感謝をしている。
 そして忘れてはならないのが、私の前任者、漫画サンデー6代目編集長・N氏。とにかくお酒をよく飲んだ。お酒が好きというよりはお酒の場が好きだったというのが正解かもしれない。N編集長とは、よくつるんで飲んだ。編集という仕事にはお酒はつきもの、特に漫画編集者の条件はまずお酒が飲めること、というのが編集長の持論だった。入社試験の面接の折も「お酒は?」と必ず聞いていた。N編集長は、一見気難しい作家みたいな顔をしていたが、一滴お酒がはいると陽気なヨッパライにガラリと変身。歌も上手く、箱崎晋一郎の『熱海の夜』をよく聴かされた。そんなざっくばらんな上司に部下は安心して心を開いていった。人の長所をうまく引き出す天才であった。人心の掌握に長けていた。フレンドリーな雰囲気の編集部を創り上げたのは、N編集長のキャラクターに負うところ大であった。
 結果、数々のヒット作が生まれた。『静かなるドン』が生まれたのもN編集長時代である。新田たつお氏の担当である私を自由に泳がせ、好き放題させてくれた。

 1995年(平成7年)、私はそんなN氏の後を継いで、漫画サンデー7代目編集長となった。「晴天の霹靂」だった。代々の編集長のこれまでの実績を考えると自信は全くなかった。幸いN編集長が残してくれた人材が脇を固めてくれたことが救いだった。彼らがいれば戦えると思ったものの、編集長としての足腰が弱いことは自覚していた。力のない自身を補うのは、何か?
 それは誰よりも体を動かすことでしかないと考えた。編集長はデスクワークに徹し漫画家の担当、校了作業は若手に、というのが本来の形であったが、あえて新田たつお氏の担当を継続し、校了作業も編集長自ら担当することにした。その分、編集部員は自由に飛び回ることができると考えた。
 「漫画アクション」の元編集者J氏にそんな私の考えを話したところ、「素晴らしいことだよ。なんたって、雑誌に掲載される前の漫画を誰よりも早く見ることができるんだから。編集長の特権だよ」と編集長が校了班を兼ねることにエールを送ってくれた。
 と、ここまで書いたところで予定の紙数が尽きてしまいました。「週刊漫画サンデー」は残念ながら2013年の2月に54年の歴史にその幕は下ろされ、この時『静かなるドン』も最終回を迎えました。当初「週刊漫画サンデー」編集長時代の私の七転八倒ぶりまでを書く予定でしたが、あまりにもエピソードが多く果たせませんでした。またの機会を乞うご期待?

 長い間ご愛読いただき、ありがとうございました。また今回このコラム連載にあたって、そのきっかけを作ってくださった鈴木雄介氏(イーブックイニシアティブジャパン取締役会長)、また連載中さまざまな助言や激励をくださった照井哲哉氏(コラム担当)に心より感謝申し上げます。(完)

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