漫画サンデー元編集長が舞台裏を語る! 上田康晴「マンガ編集者 七転八倒記」 ACT.19 夜の編集会議
※本ページは、2013年11月~2015年5月にeBookjapanで連載されたコラムを一部修正、再掲載したものです。
▼プロフィール
上田康晴(うえだ やすはる)
1949年生まれ。1977年、実業之日本社に入社。ガイドブック編集部を経て、1978年に週刊漫画サンデー編集部に異動。人気コミック『静かなるドン』の連載に携わる。1995年に週刊漫画サンデー編集長、2001年、取締役編集本部長、2009年、常務取締役を歴任し、2013年3月に退任。現在、フリーのエディター。
ACT.19 夜の編集会議
1979年、「週刊漫画サンデー」(通称マンサン)の編集長は、5代目のY氏にバトンタッチされていた。
マンサンの編集会議は、月曜日の午前中だった。この会議では主に、その週に入る原稿の進捗状況を確認することだった。月に1回は、連載の見直しや企画提案の会議も持たれたが、午前中の眠気が覚めない時間帯からは、あまりいいアイデアも生まれなかった。
振り返ってみるに、その後ヒットした連載のアイデアは、主に夜の酒席で生まれた気がする。そういえば、漫画誌ではないが、他社の有名なエンターテインメント雑誌の編集会議も、夕方からアルコール付で開かれていたとか。
Y編集長は、夕方になると必ず「そろそろメシでも食いに行くか」と声をかけてきた。うっかり編集部内でウロウロしていると、つかまってしまう。要領のいい先輩たちは、その時間帯になると、上手に仕事を見つけて消えてしまう。この「メシでも……」という誘いは、「酒を飲みに行くぞ」という合図だったのだ。
最初は、編集長からの誘いに小躍りしたものだが、これが毎週、いやそれどころか毎日となるとさすがに辛い。たまには仲間と麻雀でもと思っても、編集長の誘いがある時は諦めるしかなかった。陰では、今度誘われた時に「じゃあ、かつ丼でも食べますか」って言ってみようか、なんて冗談を言っていた奴もいたが、それを編集長に面と向かって言った人物はいなかった。
編集長との飲み会も仕事だったのだ。最初は、親睦を深めるための単なる飲み会のつもりだったが、回を重ねるうちに自然と仕事の話になり、飲み屋は夜の編集会議室へと変貌していった。不思議なもので、お酒が入るとつい気が大きくなり、普段言いたくても言えないことが口をついて出てくる。それをY編集長は、飲みながら嬉しそうに聞いていた。
マンサンの兄弟誌「サンデーまんが」創刊の話も、そんな酒席から生まれた。表紙をだれにする?連載陣は?と会議は深夜まで及んだ。大事な表紙は、4コマ漫画がコンセプトの雑誌を創ろうということだったので、当時、マンサンで連載されていた平ひさし氏の名前を候補に挙げた。他にも何人か候補が挙ったが、最後は編集長の決断で、平ひさし氏で行こうということに決まった。
そして、月刊誌「サンデーまんが」は、平ひさし氏の表紙で1983年4月15日(5月号)に創刊された。以後、毎月15日に発売された。
後のことだが、新田たつお氏の漫画が面白い、という話を切り出したのも、恒例の酒席の場だったと思う。「お前が、やりたいのならアタックしてみろ」と言われたのが、新田氏へのアプローチのきっかけとなった。前にも述べたが、新田氏が実業之日本社の漫画雑誌に初めて登場したのは、マンサンではなく月刊誌の「サンデーまんが」だった。作品名は笑激の新連載劇画『家庭にほえろ』だった。
その後「サンデーまんが」は、4コマ漫画中心の内容から、ストーリー漫画中心の雑誌にシフトしていったために、それに伴い、いしかわじゅん氏、わたせせいぞう氏の表紙へと衣替えしていった。途中「サンデーマンガ」と誌名をカタカナに変更されたが、1986年4月号(3月15日発売)で残念ながら休刊となった。わずか3年の寿命の雑誌だったが、新田たつお氏を初め、杉浦日向子さん、近藤ようこさん、内田春菊さんなどの優れた作品がいくつか生まれた。そのことについては、改めてこの欄で記述したい。
話をマンサンに戻そう。
その当時(1979年)のマンサンを調べてみると、以下の作家陣が誌面を飾っていた。 『試衛館の鬼』小島剛夕、『会津おとこ賦(うた)』司敬、『まんだら屋の良太』畑中純、『鷺師』神田たけ志、『女神の軍団』土山しげる、『呪いの万華鏡』玄太郎・大久保昌一良、『風雲の館』川本コオ・牛次郎、『金曜日の寝室』北野英明・阿部牧郎ほか。 漫画家の名前を見るだけでも、楽しく懐かしい昭和なにおいがしてくる。
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「桃源郷~『まんだら屋の良太』版画集~」より©畑中純
文藝春秋社の「漫画読本」と同じような時期に、大人の漫画誌としてスタートしたマンサンは、ナンセンス漫画と読み物中心の雑誌だった。その後、漫画誌がナンセンス漫画から劇画主流の時代となったとき、大きく遅れを取った。マンサンにおいては、ナンセンス漫画という伝統と劇画という新しい時代の流れの狭間で激しく揺れ動いていた時期があったと聞いていた。上記のラインナップを見ると、ここにきて、やっとマンサンの新たな方向性が定まった感のする連載陣である。これも、夜の編集会議室効果であったのだろうか?