【推しマンガ】挫折も、希望も、ピアノが教えてくれた。右手を使えなくなった奏者の感動の物語!
かつて、ピアニストとして将来を嘱望されていた時矢 奏(ときやかなで)。局所性ジストニアという難治性の病にかかり、15歳でピアノと別離しました。突然、右手が思うように動かせなくなったのです。
奏が音楽を手放して7年後、すさんでいた生活にかすかな光が差し始めます。ピアノ好きの母子が、アパートの隣室に引っ越してきたのです。家族、友人、職場の人間関係――すべてのノイズを遮断してきた奏の生活が、再び“音”に包まれていきます。
挫折も、希望も、すべてピアノが教えてくれました。ピアノに青春を懸ける、感動の音楽マンガを紹介します。
雑音をシャットアウト
時矢 奏は、高校卒業と同時に印刷工場でアルバイトを始めました。しかし職場では、毎日怒鳴られては謝っての繰り返し。
音楽の道を諦めて7年。奏はピアノに替わる生きがいを見つけられぬまま、無為に時を過ごしてきました。印刷工場の仕事にも身が入らず、上司から叱られていたのです。
印刷の現場では、輪転機(印刷機)の騒音対策のため耳栓をつけます。奏は耳を塞ぐことで、職場の同僚との交流も避けるようになりました。いつしか彼の心は、周囲の雑音をシャットアウト。特に、ピアノに関する話題は完全に遮断するようになったのです。
『やがて、ひとつの音になれ』©草原うみ/小学館 1巻P012_013より
ある日、奏と同じピアノ教室出身の少女が、プロのピアニストとなってコンサートを開くことが分かりました。音楽にまつわる記憶を封じ込めてきた奏ですが、久々にピアノ一筋だった少年時代を思い出します。
幼少期、ピアノを習い始めた頃の奏は、純粋にピアノを楽しんでいました。しかし、すぐに自分が特別な才能をもつ人間だと気づいたといいます。
10歳で国際ピアノコンクール金賞を受賞。12歳でレコード会社と契約してCDデビュー。周囲の人々は、奏が一流のピアニストになると信じていました。当の本人でさえ、順風満帆なピアニスト人生が続くことを信じて疑わなかったのです。
プロになる夢を断たれて
ある日、奏は右手の自由を失います。コンサートの壇上で右手がこわばり、演奏を止めてしまいました。
医師の診断は「局所性ジストニア」。音楽家やスポーツ選手など、高度な身体動作訓練が要求される人を襲う病です。
奏にとってたった一つの生き甲斐であったピアノが突然弾けなくなり、自分の未来に絶望してしまいます。
『やがて、ひとつの音になれ』©草原うみ/小学館 1巻P016_017より
鳴海真琴(なるみまこと)は、奏と一緒のピアノ教室に通う少年で、ともに連弾を楽しむほどの仲良し。しかし、奏が難治性の病にかかったと知らずに、「次いつコンクール出るの?」と聞いてしまいます。
無邪気に笑う真琴を見て、奏はこう返答します。「ピアノって、そんな人生懸ける価値あるのかなって思って」「だから俺、やめるわ ピアノ」……と。
ピアノは、基本的に一人で演奏する楽器です。アンサンブル(二人以上での演奏)もありますが、練習は孤独なものになりがちです。一流を目指す人間であればなおのこと、いつもライバルと仲良くできるわけではないのです。『やがて、ひとつの音になれ』では、奏とピアノの別離、そしてライバルとの葛藤をつぶさに描いて読者の胸に訴えます。
「失敗も成功も、死ぬ時までわかんない」
奏がピアノから逃げ出して7年が経ちました。「かつての天才少年」も、いまやただのフリーター……。そう自嘲していると、奏の部屋のインターフォンが鳴ります。
ドアを開けると現れたのは、横野絵里と息子の陽向多(ひなた)の母子。絵里はシングルマザーで、フリーライターとして働きながら陽向多を育てているといいます。
陽向多は保育園児でピアノが大好き。絵里が「才能あるのかな~」と親バカぶりを見せると、奏は冷たくつぶやきます。「才能って そんな生温(ぬる)いもんじゃないでしょ」
『やがて、ひとつの音になれ』©草原うみ/小学館 1巻P032_033より
奏は、ピアノを習ったところで、将来役に立つわけじゃないと言います。そんな彼に対し、絵里は「どんな結果になったっていいじゃない」「失敗も成功も、死ぬ時までわかんないわよ」と言い返します。
人生は、うまく行かないことの方が多いもの。絵里は離婚しましたが、結婚したことを後悔していないというのです。その言葉を聞いて、奏の心が大きく揺らぎ始めます。
横野母子の部屋に通された奏は、久々にピアノに対面。そして鍵盤に向き合うと、おそるおそる鍵盤をたたき始めます。右手は思うように動かせませんが、ピアノへの恐怖心はいつの間にか薄れていました。奏は、7年ぶりに聞いた自分のピアノの音に涙を流します。
ピアノによって挫折の味を知り、そして希望を知る
『やがて、ひとつの音になれ』は、これまでコミティアなどで活躍してきた草原うみによる本格デビュー作品。商業誌初連載とは思えぬ確かな実力で、いま一番注目を集めている音楽マンガです。
人間が試練を乗り超える時、感動のドラマが生まれます。ピアノを再開した奏ですが、右手が使えない試練と、どのように向き合うのでしょうか。
ピアノは、基本的に一人で演奏する楽器。それでも、人間は孤独ではありません。奏のピアノは、隣室の横野一家との出会いや、幼なじみの真琴との再会を経て、ハーモニーを奏でるようになります。『やがて、ひとつの音になれ』というタイトルに想いを寄せながら、読んでみたい作品です。
執筆:メモリーバンク / 柿原麻美