育てる楽しさ、食べる楽しさを知る。農業マンガ特集
仕事の楽しさや苦労を描く“職業マンガ”は、マンガの一大ジャンルです。世の中にある仕事の数だけ、マンガの可能性は広がります。今回紹介するのは、私たちの生活を支えてくれる“農業”をテーマにした作品です。
農業マンガは、生産者の視点で描く作品から、農業専門の大学や高校、学術機関を舞台にした作品、卸(おろし)など流通をテーマにした作品まで、幅広く拡大しています。
“農業=青果の栽培”と連想する人が多いかもしれませんが、“農業”と一口に言っても様々な種類の仕事があるのです。今回は、いろいろな角度から農業に取り組んだ作品を集めてみました。育てる楽しさ、食べる楽しさを知る、農業マンガの世界をご案内しましょう。
百姓=貴族!? 過酷だけど贅沢な農業を知る
北海道の農業高校を舞台にした人気マンガ『銀の匙 Silver Spoon』。その作者である荒川弘は、自身も農業高校の出身です。卒業後の七年間は、北海道十勝にある実家で、酪農と畑作に従事していたといいます。
その体験談を収めたエッセイ・コミックが『百姓貴族』です。牛を飼い、野菜を作り、クマに怯え、エゾシマリスに翻弄される――年中無休で働き、苦労が絶えないハードな仕事の実態を、荒川ならではのコミカルな筆致で紹介しています。
「農家の常識は社会の非常識」って本当? マンガを読んで笑って、泣いて、ドキドキして、農園の仕事を追体験してみましょう。
荒川弘は、自らを「父方・母方ともに代々北海道開拓農民の血筋という濃縮100%百姓」と称します。荒川の実家は、酪農と畑作の両方を手掛けていました。主な生産物は、牛乳とじゃがいも。
マンガでは、近年牛乳の消費量が減っていることを理由に、生産調整があったことが説明されます。行政の判断ではありますが、余剰の牛乳は処分するようにという、生産者にとっては身もふたもない話なのです。
牛乳タンクから、汚水槽へ流されていく牛乳を見るのは切ないもの。荒川の農園では、一カ月分30tの牛乳を捨てて、40頭の親牛のうち4頭を処分したといいます。「牛乳は世界を救う!!」と、牛乳の宣伝トークを繰り広げる荒川弘。牛の姿で描かれる著者のアツイ酪農愛に、読者は思わず牛乳の未来を考えさせられます。
『百姓貴族』©荒川 弘/新書館 1巻P012より
七年間の農業生活に区切りをつけ、荒川弘が都会に出て一人暮らしを始めると、家賃の高さや、都会の農業事情に驚かされたといいます。そして何よりビックリしたのは、野菜の値段の高さ――。
十勝の実家では、イモは無料でした。さらにダイコン、カボチャ、ヤマイモ、キャベツも、お金を出して買ったことはありません。あらゆる野菜を、物々交換で手に入れていたのです。
いってみれば、荒川の家は“百姓貴族”。冷凍庫は、100%国産牛肉で満たされていました。農業は、年中無休の大変な仕事。さらに熊の恐怖にさらされたり、いろんなハプニングも起こります。しかし苦労した分、おいしい食に恵まれる魅力的な一面もあるのです。爆笑のエピソードと合わせて、リアルな農業エッセイを楽しんでください。
野菜に人生を賭ける職業マンガ
仲卸(なかおろし)業者の八百森青果に入社した、エリーこと卯月瑛利と、大虎倫珠(のりたま)。二人の新入社員の奮闘を描くのが、仔鹿リナの『八百森のエリー』です。
八百森青果の出勤は、早朝2時~3時。労働時間は平均12時間で、休日は日曜と休市日という条件です。さらに、夏は暑くて冬は寒く、日焼け・霜焼けは当たり前の業界。夜遊びすることもままならない生活のため、離職する人も少なくないといいます。
どんなに仕事がキツくても、野菜に人生捧げられますか!? 仲卸を通じて成長するエリーとのりたまの凸凹コンビが、全国の食卓へ野菜をお届けします!
エリーこと卯月瑛利は、大学の農学部で学んでいました。彼が後川教授とともに開発した新種“ゆうさく米”が評判となり、大学には農家から問い合わせが殺到! 周囲の人たちは、成績優秀かつ農業一筋のエリーが、農業試験場に就職するものとばかり思っていました。
しかしエリーが、選んだのは仲卸の道。彼女の結衣や、教授の期待を裏切っての選択でした。大学に残り、研究を手伝うように懇願する教授に対して、エリーはこう答えます。「仲卸の仕事は『繋ぐ』ことです」と……。
仲卸は、生産者や市場(元卸)、スーパーなどの販売者の真ん中に立つ仕事。各者を、野菜を通して「繋ぐ」ことをやってみたいというのです。エリーが大学で学んだのは「日本の農業は素晴らしい」ということ。それを「届くべきところに届けたい」というエリーの情熱に、教授も泣く泣く彼を送り出しています。
『八百森のエリー』©仔鹿リナ 1巻P028より
3月のある日、エリーが青果市場にやって来ました。まだ入社前でしたが、会社の仕事を手伝おうというのです。そんな彼が、同じく新入社員の大虎倫珠(のりたま)と意気投合。のりたまは、金髪リーゼント頭のヤンキーですが、苺農家の出身で青果への情熱はエリーに引けを取りません。
八百森青果の先輩社員・タカシは二人を歓迎し、仲卸の心構えを説明します。「必要な商品を」「必要な数量」「必要な場所に」「必要な時間に」届けること。さっそく、エリーとのりたまの二人は「スナップエンドウ100ケース」の準備を手伝うことになりました。
しかし、荷受けの担当者が運転するフォークリフトが、スナップエンドウの箱に突入! 商品の大半が傷物になり、「必要な商品を」「必要な数量」揃えられなくなってしまったのです。そこでエリーは、“逆転の発想”で難を乗り切ろうと提案します。果たして彼の作戦は、成功するのでしょうか――。気になる結末は、ぜひマンガで見届けてください!
着眼点がユニークな菌類学マンガ
天谷洸輔(あまたにこうすけ)は、憧れのクラスメイト・奈良麻衣子と同じ大学を受験。どんな大学か知らぬまま、彼女と過ごすキャンパスライフを夢見ての選択でしたが、そこは「実学主義」をモットーとする日本有数の農業大学でした。
合格して喜んだのも束の間、奈良麻衣子は学部が違うため別のキャンパスに通うことが判明。天谷は、入学初日にして自らのキャンパスライフが終わったことを悟るのです。
しかし、それは“終わり”ではなく“始まり”でした。天谷は、不思議な少女・深山舞子と、奇妙なキノコ教授と出会ったことで、菌類学の奥深い世界を知ることになります。食べて美味しい、見てかわいい!? キノコをめぐるアカデミック・コメディが開幕です!
「俺のキャンパスライフ終わった」。放心状態で、キャンパスの敷地に寝転ぶ天谷を、見下ろす少女がいました。それは、憧れの奈良麻衣子と同じ名前の深山舞子。
不思議な子で、天谷のことを「ベニテングタケの王子様」と呼ぶのです。天谷は、少女に誘われてある研究室に入ります。部屋の主は、キノコ柄のスーツに身を包み、口ひげを蓄えた謎の紳士。森林資源利用の林産化学教授で、名前は三枝(さえぐさ)といいました。
舞子はまだ小学生ですが、キノコのことをよく知っています。ベニテングタケは、赤い地色に白い斑点模様。学名は「アマニタ ムスカリア」といいます。髪の毛を赤色に染めて、天谷(アマタニ)と名乗る青年を、舞子は「ベニテングタケの王子様」と勘違いしたという訳です。
『三枝教授のすばらしき菌類学教室』©Yura Kouhi 1巻P032_033より
天谷は、キノコの知識はほとんどありません。そんな彼に、三枝教授は「どんなきのこも 一度は食べれるって」と解説します。
ドクツルタケを食すと、腹痛と嘔吐・下痢の症状が出たのち、一週間後に血へどを吐きながら死に至るといいます。ドクササコを食べた場合は、体の末端部にモルヒネすら効かない激痛が起きるといいます。三枝研究室に置いてあるのは、そんな危険なキノコたちの模型――。
どんなキノコでも口にすることはできますが、食べなければ死ぬことはありません。「一度は食べられる」といったのは、三枝教授なりのジョークだったのです。ダンディだけどちょっぴりダークな教授と、謎の小学生の案内で、不思議な世界の入り口に立った天谷青年。その先に待つキノコの奥深い魅力を、あなたも学んでみませんか。
農村の食事が心の傷を癒す
『リトル・フォレスト』は、東北の小さな集落を舞台に、畑仕事をして暮らす若い女性・いち子の生活を描いた作品です。季節の実りを食すことがテーマの作品で、一話ごとに自然の糧(かて)を使った料理が作品を彩ります。
『リトル・フォレスト』の作者は、『海獣の子供』で海の神秘を描いた五十嵐大介。自然を描く名手が、山里の食風景を心温まる筆致で描きます。
東北に移住して、実際に農業を体験したという五十嵐大介。体験者ならではのまなざしで描かれた、リアルでおいしい農業の世界をのぞいてみましょう。
いち子は、都会で暮らしていましたが、訳あって故郷の小森(こもり)に帰ってきました。小森は、東北地方の農村の中にある小さな集落です。
故郷で彼女を待っていたのは、作物を自分で育てて、季節の食材を食す日々。さらに、市販されている調味料やお菓子も自分で作る、自給自足の生活でした。母から教わった生活の知恵を思い出したり、村の人に学びながらの生活の中で、いち子は心の傷を癒していきます。
いち子の家の脇にはグミの木が生えていて、毎年沢山の実をつけていました。しかし、彼女はグミを好きではありませんでした。若い実はシブくて酸っぱいし、小さな実は種が大きくて食べにくい。完熟しても、ヌルっとした触感と、甘い味が好みではなかったのです。
『リトル・フォレスト』©五十嵐大介/講談社 1巻P010_011より
見向きもされず、地面に落ちたグミの実は、腐って靴を汚します。いち子は、そんなグミの実を鬱陶しいとさえ思っていたのです。しかし街に出たものの、恋に破れて帰ってきた今の彼女にとっては、ただ枯れていくだけのグミが寂しく思えたのです。
いち子が恋人と積み重ねた時間は、みんな無駄だったのでしょうか。グミの木に、自分の姿を重ねた彼女は、実を集めてジャムを作り始めます。彼女はグミの種を取りながら、彼にジャムを食べさせてあげるつもりの自分に気づきます。そんな雑念を振り払って作業を続けると、「料理は心を映す鏡よ」という母の言葉が思い出されてきました。
グミのジャムは、いち子の心の色――。どんな色に、仕上がったのでしょうか。食べることは、生きること。農村を舞台にした、食と生命の物語から1st dish「グミ」のストーリーを紹介しました。本作に流れるゆったりとした時間を、ぜひお楽しみください。
マンガ家屯田兵によるリアル開拓記
「日本一の手作りカレーでおもてなし!」 編集長に与えられた指令のもと、マンガ家・横山裕二は、食の王国・十勝に農園を作るべく単身移住しました。
北海道の十勝地方は、日本最大の畑作・酪農の産地。その1年間の農業産出額は、約2500億円といわれる豊かな地域です。世界に誇る一大生産地ですが、未経験者がイチから農業を始めるのは簡単なことではありません。
まずは農地の入手で、法律の壁が立ちはだかります。やがて土地を購入するものの、そこは枯草だらけの荒地でした。気分は、明治時代の屯田兵!? 北の大地を舞台に、マンガ家の無謀な挑戦がスタートします。
「週刊少年サンデー」(小学館)に、『サンデー非科学研究所』を描いていた横山裕二。人気マンガ家に、ルーツや制作秘話を取材するルポルタージュ作品です。その手腕が認められたためか、編集長から農業の実録マンガ『十勝ひとりぼっち農園』の執筆を依頼されています。
あだち充や青山剛昌など、『サンデー非科学研究所』で取材した著名マンガ家たちに、“日本一のカレー”を作ろうというコンセプトで始まったプロジェクト。その連載は、農地探しと開墾から始まります。
少し難しい話になりますが、農地とは「農地法」によって規定された土地のこと。簡単にいえば、「農地借りるのスゲー難しいっぽい」という事情があるのです。著者は、正攻法で農地を借りることを諦めて、農地じゃなくても“家庭菜園できる土地”を不動産屋で探します。
『十勝ひとりぼっち農園』©横山裕二/小学館 1巻P024_025より
不動産屋に駆け込んだ横山裕二が紹介されたのは、農地でも宅地でもない「市街化調整区域」。そこなら、家庭菜園規模の農業ができるといいますが、その場合は“貸借”ではなく“売買”になるといいます。
「カレーって もっと、簡単に作れるものじゃなかったっけ……?」 農業マンガを描くために土地を購入するという、まさかの展開が著者を襲うのです。
なんとか農地を購入し、新米農家・横山裕二の生活がスタート! しかし、荒地の開墾や天候、害獣の問題などが、彼を待ち構えています。悲しいことに、彼の畑作りが困難であればあるほど、マンガの内容は盛り上がるのです。捧腹絶倒&勉強になる、新感覚農業マンガを応援しましょう!
専門分野ならではの魅力を持つ農業テーマ
第一次産業の中でも、私たちの生活に関わりが深いのが農業です。しかし日本の食料自給率は、およそ40%しかないといわれています。つまり残りの60%は、海外からの輸入に頼っているのです。
生産力の低下、人手不足などの問題が挙げられますが、簡単に解決できるものではありません。しかし、毎日野菜や果物、畜産製品を口にする身としては、他人事では済まされません。
マンガは、社会の在り方を考えるきっかけを与えてくれます。農業という専門的な分野が持つ楽しさ、そして苦労を、分かりやすく伝授してくれるマンガの数々。ぜひ楽しみながら読んで、これからの農業の在り方を考えてみてください。
執筆:メモリーバンク / 柿原麻美