【推しマンガ】遊女のわだかまり、祓います! 江戸最大の遊廓が舞台の和風ファンタジー
江戸最大の遊廓・新吉原。そこは男と女、そして生者と死者の情念が渦巻く場所でした。三浦屋の濃紫(こむらさき)は、売れっ子遊女として人気絶頂にありました。しかし気がつくと、見知らぬ神社に迷い込んでいたのです。
そこは“浮世”と“冥土”の狭間にある鎮守の社。いつの間にか、生死を分かつ境界線を渡っていた濃紫は、“あお”と名乗っていた童女(わらめ)時代の姿に戻っていました。
この神社を訪れるのは、美しくも悲しい過去を背負った遊女たち……。あおは、宮司の楽丸とともに、遊女の想いを紐解いて、その魂を救済に導きます。読む者の心も洗われる、感動の和風ファンタジーを紹介します。
江戸最大の遊廓・新吉原
吉原は、江戸幕府によって公認された遊廓。当初は、日本橋の近くに開設されましたが、明暦3(1657)年に起きた明暦の大火の後、浅草の日本堤へ移っています。
移転以前を“元吉原”、以後を“新吉原”と呼んでいますが、『あおのたつき』は新吉原を舞台にした作品です。
最盛期には約3千人の遊女を抱えるほど、隆盛を極めた吉原遊廓。多くの遊女は、年季奉公という形で働かされていました。定められた年限を働くか、遊女として買われた金額を返済できれば、解放されるシステム。しかし数多くの遊女たちが、感染症や栄養失調などが原因で、若くして命を落としたといわれています……。
『あおのたつき』©安達智/マンガボックス 1巻P004_005より
江戸時代、参勤交代制度によって大勢の大名の家臣が在府していました。いってみれば、江戸は大量の“単身赴任者”の町。さらに地方からの出稼ぎ人も集まって、男性の数が女性よりも圧倒的に多かったといわれています。
そんな事情もあって、幕府公認の遊廓・吉原が誕生。赤い格子越しに、沢山のかんざしで飾られた髪型で、あでやかな着物をまとった遊女が並びました。
しかし、廓(くるわ)勤めは「苦界十年」といわれる厳しいもの。この花街は、常に生と死が隣り合わせにあるのです。遊女の間では、こんな噂がありました。「新吉原京町二丁目 羅生門河岸の角 九郎助稲荷 その奥に」「強く霊験のご利益を求める者だけが迷い込む 浮世と冥土の境に近いところが あるとか ないとか…」
花魁姿の童女
新吉原の九郎助稲荷の奥に、強く霊験のご利益を求める者だけが訪れることができる神社がありました。ここは、冥土にある吉原遊廓を管轄とする鎮守の社。神社の祭神である白狐と、狐耳の宮司・楽丸に守られています。
高級遊女から、蕎麦一杯と同価で廻される鉄砲女郎まで、様々な遊女が売られている吉原遊廓。そんな彼女たちも死んでしまえば、等しく冥土に行くことになります。
さて、今日も一人遊女が死んだという報せが届きました。楽丸は白狐とともに、鳥居まで彼女を迎えに行きます。そこに現れたのは、花魁(おいらん)姿の童女。あどけない顔をしていますが、その髪は花魁風の髷(まげ)に大きく結われていました。
『あおのたつき』©安達智/マンガボックス 1巻P016_017より
遊女は、三浦屋の濃紫。わずか六歳の時から廓暮らしで、童女の時は“あお”と呼ばれていたといいます。まだ死んだ実感が湧かない彼女に、楽丸は冥土の花街を案内。あおの目に飛び込んだのは、大蛸や獣、ろくろ首など異形の者の姿でした。
楽丸は、冥土の者たちは「思い思いの姿をしている」と説明します。脚気(かっけ)で死んだ者、盗み食いを理由に折檻されて死んだ茶挽き女など……。それぞれが、生前の想いに囚われた姿をしているというのです。
あおは何故、童女の姿をしているのでしょうか。楽丸が死んだ理由を尋ねると、あおは動揺してこう答えます。「なんでわっちが そんな場所にいるんだよ…」「金を… もっと金を稼がないと…!!」 どうやら、あおは“金”にわだかまりがあるようなのです……。
白粉の下に隠された遊女の悲しみ
鎮守の社に、次のお客が現れました。それは、巨大な遊女の首。白粉(おしろい)を仮面のように厚く塗りたくり、髪型は流行遅れの勝山髷に結っています。
「丸髷に大きく結うのが流行りだというのに いや… あれでも遊女か?」 あおは、遊女の姿にしばし眺め入ります。楽丸は、あおの遊女ならではの鋭い観察眼に感心し、遊女の話を一緒に聞いてくれないかと頼みます。
“心付け”を用意しているという楽丸に、あおは協力することにしました。「地獄の沙汰も金次第」とはいいますが、あおは気安く引き受けて大丈夫なのでしょうか……。
『あおのたつき』©安達智/マンガボックス 1巻P022_023より
あおが茶を入れると、遊女の首は泣きながら語り始めます。遊女の名前は「富岡」といって、生前は「醜い顔の女郎」だったというのです。
富岡と同じ里から来た「きよ花」は、将来を約束された“器量良し”。見世(みせ)の稼ぎ頭として、優遇されたといいます。一方の富岡は、その醜さゆえに冷遇され、きよ花に嘲笑されたというのです。
「わっちは 所詮引き立て役」と嘆く富岡を見て、あおは彼女が嫉妬心の塊であることを見抜きます。そして「手前(てめえ)の劣等感が膨らみ過ぎちゃいねえかえ?」と、富岡を挑発するのです。怒りの余り、顔を引きつらせた富岡……。あおと楽丸は、彼女のわだかまりを祓うことはできるのでしょうか!?
現代社会に通じる救済の物語
富岡の事件をきっかけに、あおは鎮守の社に奉公することになりました。あおはワガママな性格ですが、死んでも死に切れない遊女の気持ちはよく分かります。
いつしか遊女の魂を救う仕事は、あおの生計(たつき)の手立てとなりました。廓勤めの時と違って、今度は誰に奪われるわけでもありません。あおは、死後の世界で自分の天職を見つけたのです。
一人の人間として苦悩を抱え、鎮守の社を訪れる遊女たちの姿は、時を超えて私たちの共感を誘います。心震える救済の物語として、ぜひ一読をお薦めします。
執筆:メモリーバンク / 柿原麻美