【推しマンガ】脱出請負人、その名はエミーリャ! “if”の世界を舞台にした、珠玉のヒューマンドラマ
SFや歴史物のジャンルには、“if(もしも)の世界”を舞台にした作品があります。現実とは異なる条件で展開された別世界――「パラレル・ワールド」といわれる舞台設定です。このテーマは、小説家やマンガ家など、創作家の空想力を掻き立てる魅力をもっています。
池田邦彦はマンガ家であり、鉄道関連の文筆家でもあります。2009年に「モーニング」(講談社)で連載した『カレチ』で、カレチこと国鉄時代の客扱専務車掌を題材にして注目を集めました。
本作『国境のエミーリャ』の舞台は、第二次世界大戦終結後の日本列島。ただしソビエト連邦と、アメリカ・イギリスを中心とする連合国によって、東西に分割統治されています――。鉄道マンガの旗手が切り開く新境地。“if”の戦後日本へ、ご案内しましょう。
東西日本に分かれたパラレル・ワールド
第二次世界大戦の終結後、アメリカや西欧諸国を中心とする西側陣営と、旧ソ連などの東側陣営が対立し、世界を二分しました。いわゆる冷戦と呼ばれる時代です。しかし、もし日本列島も東西に分断されていたとしたら、私たちの生活はどうなっていたのでしょうか……。
『国境のエミーリャ』では、大戦の勝者である連合国軍による計画で、日本列島が東西に分割されています。首都東京も分断され、東西の境界線に高い壁を建設。厳重な監視体制が敷かれて、人々の往来を拒んでいました。
ある日、東トウキョウの人民食堂で働く少女を、一人の男が訪問します。彼女に紙きれ一枚を渡して、「なんとか ならないか?」と頼むのです……。
『国境のエミーリャ』©池田邦彦・津久田重吾/小学館 1巻P020より
杉浦エミーリャ、19歳。東トウキョウの押上に住みながら、十月革命駅(旧・上野駅)の人民食堂の給仕係をしています。しかし、それは表向きの顔。もう一つの顔は、ワケありの依頼員の亡命を手伝う「脱出請負人」。組織からは、絶対に「笑わない女」といわれています。
ある日、十月革命駅の人民食堂を訪れた依頼人の中年男性。エミーリャに、アタッシュケースいっぱいの札束を見せて、亡命の手助けを依頼します。しかし男の正体は、人民警察(ミリツィア)の警官だったのです……。
橋は人生の分かれ道
西側に潜伏するエミーリャの仲間が、狼煙(のろし)を打ち上げました。男の亡命は、今夜11時に決行することが決まったのです。
約束の時間になって現れた男を、エミーリャは古い橋梁に連れて行きます。その橋の向こうは西側です。橋の上は封鎖されていますが、橋の中なら通り抜けることができるというのです。
『国境のエミーリャ』©池田邦彦・津久田重吾/小学館 1巻P024_025より
しかし、西側への脱出行は命がけ。警備隊が照らす探照灯の合間を見極めて、橋のアーチからアーチへと移り渡らなければなりません。しかも一歩踏み外したら、はるか下まで真っ逆さまです。
この橋は、大戦末期の市外戦で、砲弾を浴びて穴だらけ。エミーリャは、砲弾跡が脱出ルートになっていると男に説明します。しかし、最後の穴は塞がれていて錠が下りています。深夜0時になると、西側の情報機関員が開けてくれるというのです。
人民警察(ミリツィア)の男は、エミーリャがどのように西側にコンタクトを取っているか探ります。列車が荒川鉄橋を渡る瞬間、東西両陣営の電波の抜け道があるというエミーリャ。鉄道に造詣が深い、著者ならではのトリックが展開されます。
真実の脱出ルートとは!?
脱出請負人エミーリャは、男の正体を見抜いていました。さらに、常に手柄を独占しようとする男の態度が、人民警察(ミリツィア)内で反感を買って、孤立していることもいい当てます。
男はエミーリャに敗北を認め、当初の計画通り西側に逃がしてくれるよう頼みます。しかし、エミーリャは、開放されるのは別のルートであって、そこは他の人間が予約済みだと説明します。その脱出ルートは、「あんたには 通れないのよ」と意味ありげにいうのです。
『国境のエミーリャ』©池田邦彦・津久田重吾/小学館 1巻P034より
逃げ道を失った男は、橋の上に出て警備兵に助けを求めようとします。男が橋の上に上がると、西側の世界が視界に入りました。あと一歩で、壁を越えることができます。しかし運命の女神が、彼の行く手を遮ります。男は警備隊に見つかって、銃撃により命を落としました。
エミーリャが、別のルートが開くといったのは真実です。時刻は、午前1時。壁によって、両親と引き裂かれた少女を、西側の家族の元に送るのです。
その脱出ルートは、幼い少女一人なら通り抜けられる「ある設備」を利用したものでした。果たして、絶対に誰にも見つからない脱出方法とは……!? 驚きと感動に満ちたトリックを、ぜひご覧になってみてください。
東西を分かつ壁で、それぞれの人生が交錯する
生き別れた家族との再会を願う少女。パリの芸術に憧れる人民警察(ミリツィア)の似顔絵師。敵性スポーツとして禁じられた野球を求める元選手……。様々な人間が、エミーリャの元を訪れます。
亡命の理由は人それぞれですが、壁の向こうに想いを馳せて、自由を希求する気持ちに変わりはありません。その想いが、エミーリャを危険な任務に駆り立てるのです。
鉄道網などのインフラや、地形を巧みに利用した脱出トリックも、本作の見どころの一つです。人生が交錯する感動のヒューマンドラマ、ぜひお楽しみください。
執筆:メモリーバンク / 柿原麻美