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敗戦後の日本を、マンガで元気づけた上田としこ。その激動の人生を、村上もとかが描いた傑作!

敗戦で落ち込んだ日本を、ブギで元気づけた歌手の笠置シヅ子。彼女をモデルにしたNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』が、いま大きな話題となっています。同じように激動の時代を生き、マンガを描いて子どもたちを励ました女性がいたことをご存じでしょうか。

上田としこ(後にトシコ)は、戦前から戦後にかけて活躍した女流マンガ家の草分けです。1957年より、代表作の『フイチンさん』を発表。満州(現・中国東北部)を舞台に、おさげ髪の陽気な中国人少女・フイチンさんを描いて人気となりました。

『フイチン再見!』は、マンガ家の村上もとかが膨大な資料と取材をもとに描いた「上田としこ伝」です。その名場面から、激動の時代を駆け抜けた上田としこの人生を紹介します。

フイチン再見(ツァイチェン)! 著者:村上もとか

村上もとかを虜にした『フイチンさん』の原点

幕末医療マンガ『JIN―仁―』で知られるマンガ家・村上もとか。少年時代の彼は、近所の女の子から借りた「少女クラブ」(講談社)で、上田としこの『フイチンさん』を読んで夢中になったと言います。

まだ幼かった村上少年は、作品の舞台である満州とフイチンさんの世界に、強い憧れを抱きました。それから50年余りが過ぎて、マンガ家となった村上もとかは、上田としこの人生をたどる作品を描くことになります。

大正6(1917)年、生後間もない上田としこは満州・ハルピンで働く父のもとへ渡りました。それはロシア革命が起きた年のこと。混乱から逃れようと、反革命派のロシア人やユダヤ人が集まって、当時のハルピンは国際都市と化していました。そのような環境で、とし子はのびのびと育っていきます。

忍び寄る、戦争の足音

ハルピンの小学校を卒業した上田としこは、東京の女学校へ進学。当時、女学生の間で人気だった抒情画に夢中になって、人気画家の松本かつぢに弟子入りしました。同年代の少女マンガ家・長谷川町子と競いながら、絵の修行に励んでいます。

しかし、昭和12(1937)年に起きた盧溝橋事件を契機に日中戦争が始まります。日本が戦争一色に染まっていく中で、上田としこは赤いコートにパーマネント・ヘアーの姿で街を闊歩。「贅沢は敵」だと糾弾されますが、としこは自分の信念を貫こうとしました。

マンガを描いて少年兵を励ます

そんな中、上田としこは「マンガの心」で自分なりに戦うことを決意します。満州に渡ったとしこは、スケッチブックを手に満蒙開拓青少年義勇軍を慰問。マンガを描いて少年兵たちを励ましました。

戦局は、悪化の一途をたどります。昭和20(1945)年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下され、ソ連軍が国境を越えて満州国へ侵攻。戦犯として父親が連行される中、としこは命からがら日本に引き揚げました。

焼け野原となった東京で再スタート

終戦後間もない日本では、人々が娯楽に飢えていました。粗悪な紙を使ったカストリ誌をはじめ、雑誌の創刊が相次ぎます。上田としこは、焼け野原となった東京でマンガ家として再スタートを切ります。

まだマンガ家という職業も、女性の社会進出さえも認められなかった時代のこと。としこは、最愛の人との出会いと別れ、数々の試練を乗り越えて、代表作の『フイチンさん』をはじめとする少女マンガを生み出していきました。

上田としこの人生は、少女マンガの歴史そのもの

激動の時代に、少女マンガ家という道を拓いた上田としこ。村上もとかが描いた『フイチン再見!』は、一人の女性の物語であり、少女マンガの歴史そのものでもあります。上田としこの活躍を知っている世代はもちろん、これからを生きる若い読者にも勇気を与えてくれる作品です。

上田としこの『フイチンさん』も、復刻愛蔵版が刊行されているのでオススメです。明るく大らかなフイチンさんの姿に、元気をもらえますよ!

執筆:メモリーバンク / 柿原麻美

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