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65歳からの本気のものづくり『海が走るエンドロール』創作の波にさらわれた先で識る、自己と現実

世界は厳しくも優しい。厳しさしか感じられない人もいるでしょう、頑張ることに疲れて一歩も動けなくなった人も。ですが、動いた人だけが知れる優しい世界があります。

『海が走るエンドロール』(たらちねジョン/秋田書店)は、夫に先立たれた65歳の女性が、美大に通いながら映画制作に挑戦する姿を描いた作品です。「このマンガがすごい!2022」(宝島社)のオンナ編1位に選ばれました。第一話が公開されるや否や、SNSでも話題となりその後も巻を追う毎に目が離せなくなるこの作品は、連載当初のシニア女性が新しいことにチャレンジする作品というイメージから、リアルガチな「ものづくり」が知れる作品と変化を遂げました。

海が走るエンドロール 1巻
海が走るエンドロール たらちねジョン

あなたはなにをしてきたの?平々凡々な人生に突きつけられる時間という魔物

主人公の茅野うみ子は、春に夫が亡くなり、数十年ぶりに訪れた映画館で、人生を変える衝撃的な出会いをします。濱内海(カイ)という映像専攻の美大生に出会い、うみ子は気づいてしまいました。自分は「映画が撮りたい側」の人間なのだと。

「今からだって死ぬ気で、映画作った方がいいよ」という海の一言に導かれ、うみ子は美大に入学し、映画制作という大海原へと漕ぎ出します。

「何歳でも遅くない」、「今からでも本気でやれば、何かできるハズ」。そう思いたい! そうあってほしい! 物語は、年齢を重ねたうみ子だからこそのラッキーパンチは存在するものの、すべては思い通りにはいきません。映画が好きで、沢山の映画を見てきた経験や、生きてきた歴史そのもの。多少のセンスや何かを映像として残したいという想いがあったとしても、物理的な年齢や時間という壁が立ちはだかります。

うみ子が大学を卒業したあと、どれだけの時間が残されているのか。体力的にも知識と経験を積むにも限界があります。試行錯誤を繰り返している時間は限られているし、映画制作は他のどんな創作物よりも面倒で、時間だけではなくお金やコネ、キャストや監督の影響力も必要で、素人が想いだけで作れるモノではありません。

現実は、とても厳しい。でもその厳しさは当然と言えば当然で、多くの人が関わる映画制作だからこそ、作る側の覚悟なしには作れないシロモノなのだと思います。

「老後の趣味」だったのが、いつしか「映画監督になりたい」に

うみ子の覚悟が決まる印象的なシーンがあります。

年甲斐もなく大学に入学したことに負い目を感じているうみ子は、大学に入学したての頃、大学で映像を学んでいる理由を自虐的に、「老後の趣味」と、嘘をつきました。しかし、この嘘で知らず知らずのうちに海を傷つけていたことを知ります。

取り返せないものがあることを知っている。そして、取り返すタイミングを作れることも…。これこそ年の功の成せる技。自分の気持ちと、映画制作にかける想いを噛みしめるように、うみ子は海に問います。

「モノを作る人と作らない人の境界線って何だろう」と問ううみ子。その問いに「船を出すかどうか」と自分の想いを語り、同時に海についた嘘を覚悟という形で撤回したのです。目の前に海があることに気づいてしまったうみ子は、船を出すことを選んだと告白したのです。

そして、うみ子もやがて知ります。本気で映画制作に向き合い、真剣に取り組むうみ子を笑う人もいなければ、応援する人、一緒に歩いてくれる仲間がいる事を。そこには、動いた人だけが出会える優しい世界が広がっているのです。

ものづくりは誰のため? 自分の心を保つための創作があってもいいじゃないか

何かを生み出すことは辛く苦しい。うみ子が“今”撮ろうとしているのは「母親」でも「妻」でもない自分自身です。自分の人生で散り積もった想いと「私」をどうにかして「誰かに伝えたい」という衝動に突き動かされています。

自分について考えるのは苦しいけれど、うみ子には伝えたいモノがある…。

自分と向き合うなんて、まっぴらごめんだと言う人もいると思います。でも、どんな創作でも、作者自身から生まれる以上、作品にはその人のカケラが入っているハズなのです。

それは、デトックスであり、広義の意味では排泄に当たると思うのです。出してしまわないと次に進めない。うみ子は、夫が亡くなった今だからこそ感じるモヤモヤをうみ子自身から吐き出し、創作というかたちで自分と向き合っているのです。

創作することは個人の自由です。どんな形であれ、自分の中から何かを生み出すことで、一番影響を受けるのは自分なのだと気づきます。

何かを生み出すことで心のバランスをとる。誰かに見られてしまう恐怖を乗り越えた先には、作る側にしか見えない自分専用の優しい世界が広がっていると思うのです。

執筆:ネゴト / そふえ

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