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『ゆうれい犬と街散歩』いつか忘れてしまうこと、傷つけてしまう者の傷つき

田舎者が都会の暮らしを見つめるとき、ある程度の「傷つき」は避けられない。

たとえば家賃が高い。金を稼がないと生活できない、資本主義社会の競争に飲み込まれて生きるしかない現実に直面し、東京に実家がある人の余裕を目の当たりにして落ち込む。そういうときわたしは、都市の電力を賄うため自分の地元に建設された原子力発電所のことを思いだす。

ゆうれい犬と街散歩 著者:中村一般

『ゆうれい犬と街散歩』は、都会出身の「私」がイマジナリーフレンドのゆうれい犬と対話しながら東京の街をぶらつく漫画である。三軒茶屋、中野、高円寺、鮫洲、北千住、奥多摩が散歩の舞台だ。

見ていなかったもの、忘れてしまうこと

実際に東京の街を歩けば、田舎者が想像する高層ビルだらけのイメージとはちがい、昔ながらの商店街や人の温度を感じられるような風景がたくさんある。当たり前だが、東京のひとつひとつの街にも人や動物や植物が暮らしているのだ。

作中の散歩では、街角や建物、裏路地などにそういう暮らしの断片をつぎつぎと発見してゆく。その発見はあまりにも小さくて、多くの人は「目に入っていても見ていない」ものである。そしてわざわざこうして描かれていなければすぐに忘れてしまうものばかりだ。

本作に出てくる街や建物、風景の細やかな描き込みを見ていると、その気が遠くなるような作業の手間を想像して感嘆すると同時に、そこを何気なく通っているだけでは見えていないものがたしかにあるな、と実感する。

恵まれすぎている者の傷つき

三軒茶屋に実家があり都会者の自覚がある「私」は、北千住や奥多摩を歩く回で、正直な気持ちをゆうれい犬に吐露する。

恵まれた環境に生まれ育ち苦労を知らない自分は、存在するだけで人を傷つけているのではないか、という「傷つけてしまう者の傷つき」。こんなに想像力のあるやさしい人が傷つかなきゃいけない世の中って一体なんなんだろう……。

傷つく資格なんてないと言われかねない、だからこそ誰もケアしてくれない「私」の気持ちについて、ゆうれい犬と対話しながら折り合いをつけていく各シーンから、作者の誠実さが痛いほどに伝わってくる。

他者との交わりを忘れないうちに

地元で原子力発電所の建設がはじまり、そのCMがさかんにテレビで流れはじめた頃、わたしは小学生だった。子どもながらに「ここって日本のなかで最悪どうなってもいい場所なんだ」と感じ、憂鬱と怒りが入り交じった傷つきを覚えた。

いま都会でお金さえあればほとんど不自由のない便利な暮らしをしていると、そのわたし自身の傷つきからもなんとなく遠ざかってゆく。人間は、実際に経験した痛みすら忘れてしまうのだ。

散歩は、自分がふだん交わらない世界で暮らす他者(人や動物や植物)が実際に存在することを教えてくれる。『ゆうれい犬と街散歩』には、そういう忘れたくないけれどいつか忘れてしまう一瞬の交わりが、丁寧に記録されているのだった。

執筆: ネゴト / サトーカンナ

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