あなたの身体の声を聞き逃さない!『19番目のカルテ 徳重晃の問診』から知る現代社会を写す医療の現場
身体のちょっとした変化や誰かから聞いた大病の初期症状、テレビ番組の身近な体調不良が、実は病気の予兆だった的なフリ・・・。少し調べるだけで、大病になった気になれるくらい、ネットは病気の情報で溢れています。結局どの病気にも繋がっているような気がして、どの科を受診したらいいのか分からない、決められない。そんな病院難民を救うべく、いま改めて注目が増えつつある総合診療科をテーマにした作品です。
治すのは"病気"じゃない、彼らの「生き方」そのもの
「総合診療科」って聞き馴染みがないと思っていたら案外そんなことはなく、医療ドラマでも何度か取り上げられています。問診で症状や、病歴、家族関係、仕事、食生活などから患者を総合的に診て、原因となる病気を特定していく、カウンセラーみたいなお医者さんがいます。必要に応じて専門科への橋渡しをしたり、どこにかかったらいいかわからない「外来初診」の患者に対して適切かつ迅速に「診断」をつける科でもあります。多くは総合病院に配置されている診療科です。
『19番目のカルテ 徳重晃の問診』©富士屋カツヒト/コアミックス
1巻 1話(P.15)
問診で数多ある可能性から、少しずつ原因を特定していく総合専門医が診るのは、病気ではなくその人そのもの。そこには、忙しさを理由に自分の身体と向き合わず、病院を遠ざけてしまう人、病気によって制限されるであろう生活に自分の生き方そのものを否定されると勘違いしている人など、様々なバックグラウンドを持った患者の生き方そのものを診ています。
早く楽になりたいのならこれ以上の選択はないと医者が患者に提案したところで、患者が治療方針に納得しなければ治療すらできず根治は難しい。人は、自分の自由が奪われると思い込んだり、自分に課した責任感から、傍から見ていたら馬鹿らしくなるような回りくどい選択を平気で最善だと思って取ってしまいます。
『19番目のカルテ 徳重晃の問診』©富士屋カツヒト/コアミックス
2巻 第8話(P.127)
そんなある意味不器用な生き方に耐えきれず、病気という形で出てきた身体のサインを代弁する形で丁寧に伝えていく総合診療医の領域は、病院の枠を超えて地域医療や福祉にも繋がっているように思います。
「無知」に追い込まれる前に"正しく心配する"
医者は病院に来た患者は治療できますが、病院に来ない人は治せないし、病院に来ることを強制することもできません。限られた診察の時間だけでその人の生活までサポートすることなんてもっとできません。だからこそ、保険や福祉サービスが、困った時にサポートしてくれるのですが、まだまだ知られていないサービスが沢山あります。
『19番目のカルテ 徳重晃の問診』©富士屋カツヒト/コアミックス
5巻 第21話(P.62)
それは、高齢者や障害者に限ったサービスではなく、全ての人が活用出来るのですが、元気な人や元気だった人には馴染みが無さすぎて、そういったサポートがあることすら知らない人も多いでしょう。
病気も社会福祉も放ったらかしにしなかったら「何か起こった時に調べる」で十分間に合うことも多いです。病気やサービスについて詳しく知らなくても、"困った"その時にこそ、調べて正しく不安がり、専門家に相談し、出口を見つけるというのが大事なのだと思います。
『19番目のカルテ 徳重晃の問診』©富士屋カツヒト/コアミックス
3巻 第12話(P.93)
原因が特定できない気持ち悪さは不安と恐怖を増幅させてしまうから
首が痛い、身体全体が痒いといった目に見える症状が、専門科で原因を突き止められない。専門医の専門性はどんどん上がっているからこそ、原因が不明というのは全く違うところに原因が潜んでいる可能性もあります。
『19番目のカルテ 徳重晃の問診』©富士屋カツヒト/コアミックス
5巻 21話(P.65)
それは、金属アレルギーかもしれないし、洗剤を変えたことかもしれない。些細な生活の変化や蓄積された生活習慣が思いもよらぬ症状を引き起こしている可能性もあることを知ると、原因が特定できず、モヤモヤした時間からは恐怖と不安しか感じられなくなってしまいます。
『19番目のカルテ 徳重晃の問診』©富士屋カツヒト/コアミックス
1巻 第3話(P.133)
診断がつかないという状態が患者にとって大きな負担になってしまう。総合診療科というのは、病院に来るきっかけが病原菌や怪我といった直接的な原因によるものだけでなく、生活や精神的な環境要因による原因が混ざりあった現代社会にこそ必要な医療分野なのかもしれません。
執筆: ネゴト / そふえ