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ヒューマン・ミーツ・イマジナリー。『千の夏と夢』人と架空生物の新たな”結び”の物語

5つの短編からなる鯨庭先生の『千の夏と夢』は、龍、鬼、ケンタウロス、グリフィンといった架空の生物と人間の繋がりを描いた作品です。現実世界に存在しない生物が登場しますが、ファンタジー作品とは一線を画します。むしろ、”脱ファンタジー”とも言うべき特徴が、本作の大きな魅力になっています。

千の夏と夢 著者:鯨庭

あなたとわたしの物語

儀式の生贄として捧げられた少女を救おうとする龍や、自分を庇護してくれた人間を家族のように慕うケンタウロス。この物語の架空生物たちは、伝承される神話や逸話にある、厳かで畏怖の念を抱いてしまうような近寄りがたい存在とはちょっと様子が違います。

私たちの中に自然と存在していたイメージを壊し、彼らは傍にいる人々と「人間ドラマ」を築いていくのです。恋人、親と子、姉と弟、そして大切な友のような関係と、何ら変わりはありません。人間と架空生物ではなく、彼らの視点<あなたとわたし>という唯一無二の繋がりに、そっと引き寄せられていきます。

「神聖さ」は、時に人を遠ざける

あらゆる物語の中で、しばしば架空生物は崇高で、畏れられる生物として描かれてきました。けれど本作では、人間が一方的に作り上げてきた、崇め、憧れ、畏れる姿はどこにもありません。

代わりに、人間世界に歩み寄る彼らは、動揺し、哀しみ、そして嘆く。感情を露わにするのです。家族のように、そして大切な友のように、人間<あなた>のために感情を剥き出しにする。その様子は、神聖さとはかけ離れてさえいます。

不完全で脆い、そして愛する者を守りたいと思う、まるで人間のよう。架空生物たちの方から人間へと歩み寄る、”ひととなり”というべき素顔が描かれているのです。

曖昧さが作る物語体験

龍、鬼、ケンタウロス、そしてグリフィンは、遥か遠くの空想上の世界から抜け出し、人間の地に降り立ちました。心を携えて。人間のほうが彼らの世界に転生するのではなく。

そして鯨庭先生のこういった世界観の作り方は、日本的な要素を含んでいるようにも感じられるのです。

境内の中へ一歩、足を踏み入れるとそこは神さまに近い場所。立派な塀などもなく、いつでも誰でも簡単に入ることが出来ます。現実世界と異世界の境界が曖昧で、重なるような場所、神社が、この国にはコンビニの数よりも多いなんて言われていますよね。

鯨庭先生の描く世界は、私たちの現実と地続きになっているようです。実際、私たちは架空生物たちを見ることはできません。けれど、『千の夏と夢』のどこか、”生っぽい物語体験”は、せわしない現実を、ちょっと違った角度から眺めることを教えてくれるのです。

執筆:ネゴト / yukiko

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