【推しマンガ】隠し事は“かくしごと”!? マンガ家の苦労を題材にしたハートフル・コメディ
マンガ家の後藤可久士(かくし)先生は、ある秘密を抱えています。後藤先生が描いているのは、ちょっと下品なことで知られる作品なのです。
後藤先生にとって、一人娘の姫ちゃんは何にもまして大切な存在。そんな親バカな彼が、この世で一番恐れているのが、娘に仕事がバレること。自分がマンガ家だなんて知られたら、娘に嫌われるのではないかと心配しているのです……。
本作は、『さよなら絶望先生』で第31回講談社漫画賞を受賞した久米田康治による作品です。ハートフルな家族コメディではありますが、ユーモアを織り交ぜながら、社会を鋭く切り取る作風となっています。思わずクスっと笑ってしまう、久米田ワールドをのぞいてみましょう。
後藤先生が、娘のために誓ったこと
マンガ家の後藤可久士先生には、開けてはならないパンドラの箱があります。先生の代表作のタイトルは『きんたましまし』。ちょっと、Hな作品なのです。
一人娘の姫ちゃんが生まれた瞬間から、彼女のため一生職業を隠していくことを誓いました。姫ちゃんの目を誤魔化すため、後藤先生はスーツ姿のサラリーマンとして出勤。旧山手通りにある古着屋で、Tシャツ&短パンに着替えて、マンガ家に大変身するのです!
万が一、娘が仕事場を訪ねてきた時のことを考えて、自著の単行本も手元に置かない周到ぶり。手掛けた原稿は、鎌倉にある海辺の倉庫まで、わざわざ隠しにいっているのです。こうして、アシスタントや編集者を巻き込んで、今日も心配症の先生の一日が始まります……。
『かくしごと』©久米田康治/講談社 1巻P006より
「父親が恥ずかしい漫画描いてるなんて知れたら 学校でいじめられるだろ!」「不登校になって 心を閉ざしたらどーする?」 後藤先生は娘を心配する余り、妄想を膨らませて、アシスタントに不安な気持ちをぶつけます。
かつて後藤先生は、全裸でマンガを描いていたといいます。しかし姫ちゃんが生まれてからは、よき父親となるため考えを改めました。血のにじむような努力の末、スーツで出勤後にTシャツ&短パンに着替えるという、現在のスタイルにたどり着いたのです。
アシスタントにとって、後藤先生は「なんか めんどくさい」存在……。「バレちゃいけない」とか「言っちゃダメ」だとか、気を遣うことが多すぎる職場なのです。
パパのお仕事は、何でしょう?
小学校の友人から「姫ちゃんのパパ お仕事 何してるの?」と聞かれた姫ちゃん。「わからないけど 働いてるよ」と答えています。
姫ちゃんの担任教師・六條一子は、家庭の事情を知っていて、「漫画家は立派なお仕事だと思います なぜ姫ちゃんに隠すのですか」と、後藤先生に問います。
そう言ってもらっても、後藤先生には自分の仕事が立派だとは思えません。彼が描いているのは、『ワンピース』や『アンパンマン』のような、他人に誇れるマンガではないのです……。
『かくしごと』©久米田康治/講談社 1巻P016_017より
「『きんたましまし』読んでました! 私も後藤先生のファンです!」 担任教師の励ましの言葉は、後藤先生の更なる怒りを誘います。
これまで後藤先生は、世間一般の“マンガ家に対する認識の甘さ”に、振り回されてきました。後藤先生が人から頼まれるのは、縁もゆかりもない『ポリキュア』のイラスト。“マンガ家である”という理由だけで、とりあえずサインを頼まれる……所詮、そんなレベルなのです。
『かくしごと』の著者・久米田康治は、「後藤可久士は久米田康治の事ではない」と、本書の中に書いています。しかしながら、久米田が経験したであろうマンガ家ならではの苦労話が、自虐的な笑いへと見事に昇華されています。
“担当替え”が巻き起こした騒動
出版社の人事異動に伴い、マンガ家を担当する編集者が変わることがあります。前の担当編集から次の担当へ、作者と作品の情報を伝える「引き継ぎ」作業。これが適当に行われてしまうと、マンガ家にとって新たなストレスの種となります。
後藤先生の新しい担当の名前は、十丸院五月(とまるいんさつき)。出来上がったばかりの読者プレゼントの見本を持って、後藤先生に挨拶にくることになりました。
しかし約束の時間を過ぎても、十丸院は後藤先生の仕事場に現れません。もし前任者からの引き継ぎがされていなかったら……? 間違えて自宅住所に向かっていたら……!? 大変なことになってしまいます。
『かくしごと』©久米田康治/講談社 1巻P024より
もし編集者が家に行ったら、これまで必死の思いで隠してきた職業が、姫ちゃんにバレてしまいます。後藤先生は、猛ダッシュで仕事場を飛び出して、スーツ姿に着替えて自宅に戻ります。
しかし、後藤先生の予感は的中。新担当の十丸院は、既に家に上がり込んで、姫ちゃんと対面していたのです。しかも読者プレゼントとして作製された、後藤先生の連載作品『風のタイツ』のTシャツを着ているではありませんか!?
後藤可久士、一世一代の大ピンチ! 何としても『風のタイツ』Tシャツを、姫ちゃんの目に触れさせるわけにはいきません。後藤先生の命令で、必死にTシャツを隠す十丸院……。担当者として着任早々、強烈な洗礼を受けたのでした。
自虐&下ネタ満載だけど、感動の父娘の物語
後藤先生は、娘の姫ちゃんを愛するあまり、暴走してばかりいます。それでも、よき父親であろうと奮闘する彼の姿は、読者の共感を呼んでやみません。
本作では、姫ちゃんが10歳から11歳になるまでの一年に渡って、後藤家の様子をコメディ・タッチで追跡。さらに、その7年後――18歳に成長した姫ちゃんの目を通して、父親の“隠しごと”が、明らかにされる過程を描いています。
一般には、「嘘のない家族」「隠し事のない家族」が理想的です。それでも、嘘を重ねてきた後藤先生の姿が、感動を誘うのはなぜでしょうか。それは父娘が互いを思いやる気持ちに、“嘘偽りがないから”なのかもしれません。どうかラストまで、後藤先生と姫ちゃんの行く末を見届けてください。
執筆:メモリーバンク / 柿原麻美