【漫画家のまんなか。vol.8 宮下あきら】俺は江田島塾長とは真逆の人間。だからこそ男ってものに強烈に惹かれる
トップランナーのルーツと今に迫る「漫画家のまんなか。」シリーズ。
今回は、熱き男たちの激闘を描いた大ヒット漫画『魁‼男塾』の作者・宮下あきら先生にお話を伺います。
全国各地から不良を集め過激なスパルタ教育を施す「男塾」を舞台に、塾生やライバルたちとの死闘と友情を描いた『魁!!男塾』。家を破壊しても進み続ける「直進行軍」や究極の根性試し「油風呂」、本気で信じた読者続出の「民明書房」など、その破天荒な世界観に度肝を抜かれた人も多いはず。
男塾という世界がどうやって生まれたのか、先生が子どもの頃に夢中になった忍者漫画と「民明書房」の知られざるつながり、そして唯一無二のキャラクター・江田島平八に対する想いについても語っていただきました。
▼宮下あきら
東京都出身。漫画家・高橋よしひろのアシスタントを経て、1978年に『少年勝負師ケン』(週刊少年マガジン)でデビュー。1985年より「週刊少年ジャンプ」で代表作となる『魁!!男塾』の連載を開始。同作は大ヒットとなり、テレビアニメ化・映画化・ゲーム化されたほか、さまざまなアーティストとのコラボも展開。
続編に『曉!!男塾 青年よ、大死を抱け』(スーパージャンプ)、『極!!男塾』『真!!男塾』(週刊漫画ゴラク)などがある。人気キャラの伊達臣人や大豪院邪鬼らを描いたスピンオフ作品も続々と登場しており、連載開始から35年以上たった今もなお男塾の世界は広がり続けている。
心をつかまれた超人的な忍術や空想科学の世界
子どもの頃に読んでいたのは横山光輝先生の『伊賀の影丸』や『鉄人28号』、それから手塚治虫先生の『鉄腕アトム』。そんなに漫画がたくさん買える時代じゃなかったから、本屋で立ち読みしたり、友達とまわしっこしたりね。あの頃は漫画雑誌の「週刊少年サンデー」が一番人気で、そこに『伊賀の影丸』とかも掲載されていたんじゃないかな。当時は忍者ブームだったんだよ。忍者漫画に出てくる超人的な技とか忍術に夢中になって、それで自分も真似して漫画を描くようになってね。
その後に『サスケ』っていう白土三平先生の忍者漫画が出てきて、そこに書かれている忍術の解説が非常に科学的というか、エセ科学なんだけどすごくリアリティがあって……。やればできるんじゃねえか? とか思うんだよね(笑)。それでますます忍者漫画の世界に傾倒していったというのはあったな。小学校から中学校にあがってもずっと漫画には興味があったね。
バンドマンとして全国各地のキャバレーへ
高校生になると漫画はちょっとほっぽり出しちゃって音楽ばかりやっていたな。60年代、70年代だったからジミ・ヘンドリクスやレッド・ツェッペリンが全盛期だったね。仲間とバンドを組んで音楽漬けの毎日。それでも一応どこかに進学しなくちゃと思って美大も受験したけど全部失敗。絵は描けても頭の方はパッパラパーだったから(笑)。一浪している間も勉強なんか全然しないで、親には予備校に通っていると嘘をついてその金で遊んじゃうような感じだったな。結局大学にはいかずに音楽のほうにいっちゃって、その頃は音楽で身を立てようと思っていたね。
高校卒業後はバンドマンとしてクラブやキャバレーなんかで演奏していたのよ。当時は店に生バンドを入れていて、箱バンと言って一定期間の専属契約を結んで演奏しながら、東京だけじゃなくて地方にもよく行った。岩国とか三沢の米軍基地でも演奏したよ。上野から列車で、楽器全部詰め込んでね。ギャラなんか笑っちゃうくらい安くて、ミュージシャンなんて立派なもんじゃない、ほとんどヤクザなバンドマン(笑)。演奏するのもキャバレーとかだったから、昔はちょっとやばい世界だったね。そんな風に20代前半まではバンドマン生活を送っていたんだけど、給料も安いし、自分の演奏の下手さ加減も思い知ってね。これじゃダメだなと思って、自分に何ができるかと考えたときに「そうか、漫画やっていたな」と。それで漫画を描いて集英社に持っていったんだよ。
師匠や仲間と苦楽を共にしたアシスタント時代
集英社で高橋よしひろ先生のアシスタントを紹介してもらって、そこで2年ぐらいお世話になったんだよね。アシスタントは俺を入れて4人くらい。新小岩のぼろいアパートに机を4つくらい並べて、そこで高橋先生も一緒に仕事をされていてね。アシスタントは東北出身の奴ばっかりで、たまに言い争いになると、訛りがすごくて何を言っているかわからない(笑)。高橋先生も秋田出身だったから、田舎と電話をしていると「アバいるか?」「オドいるか?」って感じで秋田弁が聞こえてきたね。
あの頃の高橋先生は集英社で『悪たれ巨人』と『白い戦士ヤマト』を同時連載されていて、めちゃくちゃ忙しい時期だったと思う。休みなんか全然なくて、アシスタントはみんな住み込みで雑魚寝。高橋先生の師匠の本宮ひろ志先生と初めてお会いしたのもこの時で、本宮先生の仕事場が同じ新小岩にあったから、そっちの仕事を手伝うこともあったな。お二人の仕事場を行ったり来たりしていたと思う。当時の漫画家とアシスタントは、師匠と弟子という関係性が強かったから、教わっているんだという感覚だったね。給料は安かったけどみんな優しい人たちだったし、やっぱり好きなことをやっているから楽しかった。高橋先生はすごく真面目な人でね、本当に良くしてもらいました。技術的にどうこうというのはあまり言われたことがなくて、一緒に寝起きして同じ釜の飯を食って、そのなかでいろいろなことを学ばせてもらって、人間的に影響を受けたね。
男の生き様を描く本宮ひろ志という漫画家
今まで自分が読んできた漫画というと、忍者やロボットなんかの空想科学を描いたものが多かったんだけど、本宮先生は「人間」を描いていたんだよね。『硬派銀次郎』や『男一匹ガキ大将』を読んだときはショックだったね。先生の人間を描く、男を描くというのを見て、こういう漫画もあるんだって初めて知った瞬間だった。これほど自分自身の人間性を作品に反映させる先生って珍しいんじゃないかと思う。
影響を受けた本宮先生の漫画はいろいろあるけど、一番は「ビッグコミック」で連載していた『男樹』という作品。主人公が極道の世界で頂点に立つまでを描いた漫画なんだけど、2世代にわたる強烈な男の生き様をぶれることなく描いていて、これは一番先生らしい作品じゃないかな。最初に俺が出版社に持ち込んだのはSF漫画だったんだけど、先生の作品に出会ったことで、だんだんと自分も男を描きたいと考えるようになっていったと思う。俺自身は音楽少年だったけど、聴いていたのは結構ハードな音楽が多かった。ドラッグとか反戦のメッセージだとか、そういうものがぐちゃぐちゃになっていた時代だったし、男の世界と音楽の世界に共通するものがあったのかはわからないけど、生き様に惹かれる部分は共通していたのかな。
男が一生懸命やる馬鹿馬鹿しさ。それが男塾
俺が最初に集英社で連載した『私立極道高校』はちょっと事件(アシスタントが実在する高校名などを作中に出してしまい教育委員会から抗議を受けた事件)があってすぐ打ち切りになっちゃうんだけど、集英社がよくやってくれてね。その後もいろいろな漫画を描かせてもらえて、そこでもやっぱり人間とか男をテーマに描いていたと思う。『私立極道高校』の主人公・学帽政やその仲間たちのキャラクターは、男塾のキャラクターと似ている部分があって、極道高校で描きたかったものを男塾で描いている部分はあるかもしれない。引きずっていたと思うね。
俺はやっぱり、相撲部屋とか体育部とか自衛隊なんかの、男だけの世界に興味があったのね。先輩・後輩の世界、「押忍!」「押忍!」っていう世界。そこから男だけの塾という設定が生まれていった。大体さ、本質的に俺はギャグなんだよね。男が一生懸命やる馬鹿馬鹿しさというか、それがちょっと笑いを誘うときもあるよね。馬鹿だけど熱い男を描きたいというのがあると思う。
油風呂や万人橋なんかのアイデアは全部自分で考えていたから、すごく楽しかったね。自分でも笑いながら描いていた(笑)。架空の出版社・民明書房の解説文は、それこそ忍者漫画や白土先生の影響が大きい。例えばキャラが水面を走る技の解説なんかで、「足が水に落ちる前に次の足をあげれば水面を走れる」とか、とんでもない理屈をいかにリアルに表現するかなんだよ。民明書房にはみんな騙されていたよね。途中から「ちょっとおかしいぞ」って気づくんだけど(笑)。若い頃はやんちゃで嘘つきだったから、こういう嘘は得意でよく出てくるんだよ。
©宮下あきら/集英社
自分にないものを投影した男塾塾長・江田島平八
一番思い入れがあるキャラクターはやはり男塾塾長の江田島平八じゃないかな。頭が良くて、力があって、男気があって、勝負にも強くて……何でもできるスーパーマンみたいな人。とにかく男塾の奴らを束ねられるよう強い男じゃないといけないと考えたよね。俺自身が結構女々しい男だから、その辺の自分にない部分を漫画に反映させているんじゃないかと思う。男塾の連中だったら、危険な場面でも自分から「行け―」と言って向かっていくんだけど、俺は反対方向に逃げていくようなタイプ。男塾の中のキャラでいうと田沢とか松尾とかのいわゆる三枚目キャラに近いかな。江田島塾長は俺と正反対のタイプで、自分にない部分や憧れている部分を描いていると思う。
©宮下あきら/集英社
出版社からのリクエストもあって、江田島の若いときからの話(『天下無双 江田島平八伝』)も描いたんだけど、結構気に入っているんだよ。物語の冒頭は幼少期の江田島と母親のエピソードで結構泣かせるけど、その後戦争が始まったあたりから、変な兵器作ったり、だんだん変な方向にいっちゃってさ(笑)。俺の漫画みんなそうなんだよね。シリアスに始まっても、ぶれていっちゃう。途中でロボットみたいなのが出てくるともう駄目だよね(笑)。
これまで自分の作品で一貫してきたのは迫力、そして男。『ドラゴンボール』みたいな漫画は俺には描けないし、絵が下手くそだから他の部分で読者を惹きつけなくちゃいけないから、迫力だとか個性的でアクの強いキャラで話を引っ張っていこうと考えていたね。今の漫画家の子ってみんな絵も上手いしすごいじゃない。『スラムダンク』の井上雄彦とか、『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦とか、俺のデビュー時期とそんなに変わらないと思うんだけど、こんなのが出てきたんだと思ったね。俺こんなに描けねえなって(笑)。真似しようと思っても真似できないもん。昔のジャンプなんか下手くその集まりだったのに(笑)。あと、面白かったのは漫☆画太郎だな。無茶苦茶な絵を描くんだよ。それまであんな無茶苦茶な漫画なかったもんね。やっぱり真面目なのより、無茶苦茶なほうが惹かれるな。
漫画家人生45年。やりたいことは全部やってきた
当時『魁‼男塾』は週刊で連載やっていたけど、今じゃ考えられないよね。あんなハードな仕事をこれまで続けてこられたのは、月並みだけど漫画が好きだったってこと。他に何ができるわけじゃないし、やっぱり漫画が一番好きだったからだと思う。ここ数年は男塾のスピンオフ作品に原案で協力しているけど、自分が生んだキャラを他の作家が描きたいと思ってくれるのは正直嬉しいね。でも、ほとんど読んでない(笑)。彼らには自分なりの解釈で自由にやってほしいから。
師匠の高橋先生は70歳を超えた今も漫画を描いていらっしゃるけど、すごいエネルギーだよね。俺は漫画家になって約45年。やれることは全部やったと思っている。これまで描いてきたすべての漫画をひっくるめたものが俺の集大成というか、漫画でやりたいことは全部やってきたよ。とはいえ、今温めている企画も結構あるから、まだ何かやるかもしれない……。うん、期待して!
ところでこんな話で面白かった? やっぱり酒が入ってないと……。入るともっと全然面白いんだけどね。酒飲んだらもっと面白い話を教えるよ。
取材・文=白石さやか
写真=大沼博