【漫画家のまんなか。vol.9 手塚治虫×島本和彦コラボ企画】島本和彦が手塚治虫を語り尽くす! 手塚治虫に受けた影響から、オリジナルの画風を確立するまで。
トップランナーのルーツと今に迫る「漫画家のまんなか。」シリーズ。
今回は、『炎の転校生』『逆境ナイン』『アオイホノオ』などの熱血マンガで知られる漫画家・島本和彦先生にお話を伺います。
最初に出会ったアニメと漫画が、手塚治虫作品だったと語る島本和彦先生。近年は、展示や同人活動などで手塚トリビュート作品を手掛けています。今回は、手塚作品から受けた影響に焦点を当ててお話を伺いました。
▼島本和彦
1961年生まれ。北海道中川郡池田町出身。
1982年、「週刊少年サンデー」(小学館)2月増刊号に掲載された『必殺の転校生』でデビュー。『炎の転校生』『逆境ナイン』『吼えろペン』などの代表作がある。現在、自らの自伝的作品『アオイホノオ』を「ゲッサン」(小学館)で連載中。同作で、2014年に第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を、2015年に第60回小学館漫画賞の一般向け部門を受賞している。
手塚治虫作品との出会い
僕の本名は、手塚治虫先生と同じ「手塚」です。そんなご縁もあって、少年時代の僕が手塚先生の作品に興味を持つようになったのは自然なことでした。
僕の父は、大学生時代を東京で過ごしていたのですが、その時の下宿先の息子さんが虫プロに勤めていたそうなんです。その方が、我が家に手塚治虫カレンダーを送ってくれていた。小学校高学年の頃だったでしょうか。このカレンダーが、一般に販売されていない物だと知って非常に感動しました。漫画やアニメの業界に入れば、こういう物がもらえるんだと思ったんです。貴重な物をいただけて、すごく嬉しかった。今思えば、それが手塚先生の作品との最初の出会いだった。
本格的に手塚作品を見たのは、じつは漫画ではなくてアニメが最初です。1963年から放映された日本初の国産長編テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』。モノクロのアニメですね。僕が小学生の頃には、いろんなお菓子や商品にアトムの顔が付いていて、子供心に「いいなあ」と思ったんです。漫画についても、1番最初に買ったコミックスが手塚治虫先生の『バンパイヤ』だったと思います。もっともコミックスという物を、お金を出して買えるようになったのは、ずっと後のことです。小学生の頃は、『鉄腕アトム』の掲載誌「少年」(光文社)を、理髪店で読むといった程度でした。
手塚治虫のマネから始まった漫画事始め
その頃の漫画は、子どものお小遣いで買えるようなものではありませんでした。それに、まだ小学生だった僕には内容もちょっと難しかったんです。中学校に入った辺りで、 「少年サンデー」(小学館)や「少年マガジン」(講談社)を買うようになったと思います。当時好きだったのは、藤子不二雄(藤子・F・不二雄)先生の『パーマン』 。横山光輝先生の『鉄人28号』や、 石森(石ノ森)章太郎先生の『サイボーグ009』も好きでした。特に変身物が大好きだったので、 石森(石ノ森)作品では『変身忍者嵐』にも夢中になっています。
とにかくヒーロー物が大好きなんですよね。だから、手塚治虫先生の作品でも『マグマ大使』とか『海のトリトン』 『サンダーマスク』などの活劇物が好きでした。僕が漫画を描き始めたのは、小学校低学年の頃でしょうか。当時は、手塚先生の絵がすごく完成されているように見えたので、マネるところから始めました。なので、小学校の図工や中学・高校の美術の時間でも、人間を描くと手塚先生のキャラクターの体型になっちゃうんですよね。 リアルな絵にしたいと思っても描けない。自分は、漫画しか描けないんじゃないかと、悩んだ時期もありました。
大学生になると、漫画家としてプロデビューを目指すようになりますが、やっぱり手塚先生の絵柄から逃れられない。『アオイホノオ』でも描いていますが、この時代はちょうど大友克洋先生が登場して、リアルな画風が話題になっていました。大友先生の作品は、漫画でも劇画でもない「そのままの現実画」とでも言えばいいのでしょうか。初めて見た時、大きな衝撃を受けました。手塚治虫先生に限らず、石ノ森章太郎先生、松本零士先生、ちばてつや先生など……。僕の絵柄は、少年時代に好きだった漫画の影響を受けたものでしたが、周囲からは「絵柄を変えるべきだ」と指摘されたこともありました。
『アオイホノオ』©島本和彦/小学館
自分なりの画風を確立する苦労
手塚治虫先生の作品に多くを学ばせてもらいましたが、同時にその絵柄から離れられないことに悩んだ時期もありました。だけど、今になって手塚先生の漫画を描こうとすると、見本を見ないで描くと全然似ていないんですよね。だから、意外と手塚調の絵から離れてきたんだと思います。
11月3日の手塚治虫先生誕生日に合わせて2015年から2018年まで開催されていた「手塚治虫文化祭」通称キチムシというイベントが、今年はブラック・ジャック連載開始50周年にあわせて東京吉祥寺のリベストギャラリー創にてカムバック開催されました。僕も以前から参加していて、今回は開催テーマに合わせて『ブラック・ジャック』 の絵を出展しました。ところが、僕が大好きな『ブラック・ジャック』がテーマのはずなのに、実際の作品を見ないと描けなかったんです。似ているようで何かが違う……。
僕は手塚治虫先生に限らず、石ノ森章太郎先生や松本零士先生、ちばてつや先生などの作品に少しずつ影響を受けてきました。どの先生もみなさん『ブラック・ジャック』みたいな髪型のキャラクターをお描きになっているじゃないですか。僕自身、あの髪型のDNAを受け継いでいるように思っていたので、描いてみたら「意外と難しい」と感じたことに驚いた。
同時に気づいたこともあって、自分が描くキャラクターの耳が細いのですが、『ブラック・ジャック』の影響だと分かったんですね。思い返してみれば、僕はデビューしてからずっと自分の絵柄を模索してきた。影響を受けた作品から離れるのが大変だったのですが、これはもう仕様がないことでした。
例えば、脚の描き方。(手元の紙に絵を描いて)この絵のように、キャラクターのズボンの下の方をクシャクシャと描いていた時期があります。手塚先生のデフォルメの仕方が好きだったのですが、これを覚えてしまうと大変で……。漫画の登場人物に普通のスポーツをやらせる時に、ズボンを脱がせなければならないんです(笑)。あれには苦労しました。 生の脚のラインを描くのが、なかなか難しいんですよね。
『ブラック・ジャック』で好きなエピソード
『ブラック・ジャック』は、連載時には第1話から読んでいないのですが、第7話『海賊の腕』は記憶に残っています。僕が、最初に「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)で読んだお話です。ブラック・ジャックの手術で義手になった少年が、義手から聞こえる謎の声に励まされて将棋の対局に勝つ。短いお話の中に、すごいドラマが入っている。よくこんなページ数で、こんな話を入れられるなってビックリしましたね。
『ブラック・ジャック』は長期連載ではなく、1話完結型の話を5週やってみないかという出版社の依頼が最初だったと聞いています。医療ドラマというジャンルを選んだのは、かつて医者を目指していた手塚先生にとって、懐かしい世界だったのかもしれませんね。当初の予定通り第5話で終わるはずだったとしたら、5話目、6話目が非常に重要だと思うんです。 でも、第5話は車椅子の女の人を鳥人間に改造にする『人間鳥』、第6話目はブラック・ジャックの依頼人は幽霊だったという『雪の夜ばなし』です。翼を移植する鳥人間や、幽霊のお話というのは無茶な話でもあるんだけど、ああいったSFというか、ファンタジー要素の強い作品は『ブラック・ジャック』の面白い側面だとも思う。後半は、ああいったお話は出てこなくなりましたよね。
漫画家の先生の中には、ラフなタッチの絵柄の方もいる。その中で、手塚先生の絵柄は線と線がちゃんと繋がっていて、キャラクターの形もちゃんと閉じて描いているという印象が強かった。だけど今回のキチムシで、いろんな場面を色紙に写して描いてみると、意外とちゃんと描いていないことが分かったんです。 「このキャラクター、コマごとに違うぞ」っていうのが結構あって、手塚先生の絵にラフな魅力があることに気づかされました。今だからこそ、気付くことができた魅力ですね。昔は全然気が付かなかったんですよ。
ピノコはストーリーで重要な立役者
『ブラック・ジャック』というと、主人公の医師・ブラック・ジャックの魅力もありますが、他のキャラクターにも名脇役が揃っています。私は、あんまり小さい子どものキャラクターが昔から好きじゃなかったのですが、連載の途中からピノコがストーリーを作っていることに気が付きました。作家側からすると、すごく重要なキャラクターなのかなと思いましたね。
ピノコで1番好きなのは、A国皇帝ブリリアント三世がブラック・ジャックの手術を見にくる話(『肩書き』※第13巻に収録)です。自らも医者であるブリリアント三世は、どうしてもブラック・ジャックが執刀する手術が見たくて仕方がない。公務で来日した際にお忍びでブラック・ジャックを訪問して、彼の手術の助手をさせて欲しいと頼むんです。しかしブラック・ジャックは、自分の助手はピノコだけだと断ります。皇帝はピノコの助手になることで、ブラック・ジャックのオペを手伝うんです。
手術が無事成功した後の食事会で、ブリリアント三世が「ピノコちゃんは りっぱな助手だねえ」というのに対して、ピノコが「おらてたって らめれちゅよーだ」って答えるセリフがすごくいい。あのセリフが、なかなか効いている。小さい女の子と皇帝の立場が逆転していて、「肩書き」という本作のテーマについて考えさせられます。
『ブラック・ジャック』©️Tezuka Productions
その他のエピソードでも、いろんなピノコの表現がありました。名家の娘である双子の姉から、ピノコが拒絶された悲しいドラマもありましたね。『ブラック・ジャック』は映像作品もいろいろあって、私は本木雅弘さん主演のテレビドラマ(2000年)がとても好きでした。
アニメ『どろろ』の百鬼丸の髪型が好き
あと、手塚治虫先生の作品で心に残っているのは『どろろ』です。アニメ版のオープニングが大好きで、百鬼丸の髪型も好きだったんですよね。いろんな人気キャラの髪型が、アニメ版の百鬼丸から出発しているんじゃないかな、と思っています。同じ手塚先生の作品ならブラック・ジャックの髪型、松本零士先生で言えばキャプテン・ハーロックだとか……。そういう風に影響が移っていったような気が、私にはするんですね。
『どろろ』©️Tezuka Productions
アニメの百鬼丸は、手塚先生の原作の髪型ともちょっと違う。前髪や後ろ髪のギザギザした造形が恰好いい。最初、『ブラック・ジャック』が連載されたのを見て、このキャラクターは百鬼丸だと思ったんですよね。百鬼丸が大好きなので、「ものすごく、いいなあ」と思っていたんですよ。 手塚先生は映画好きだったこともあって、自らが創り上げた漫画のキャラクターを、俳優のようにいろいろな作品に出演させる「スター・システム制」を取っている。実は、百鬼丸も『ブラック・ジャック』に出演しているんです(第25話『灰とダイヤモンド (百鬼医師)』など)。 ゲスト・キャラで百鬼丸が出て来ちゃって、なんだか分かんなくなっちゃって……(笑)。僕的には嬉しいんですけどね。
百鬼丸の腕の刀は「必殺武器」
アニメの『どろろ』は1969年に放映されたものが最初で、その後リメイクされて実写映画(2007年公開)にもなって、2019年には新しいアニメにもなっています。私は、リメイク版のアニメと百鬼丸の解釈がちょっと違っている。手塚先生の原作と昔のアニメ版では、百鬼丸が手を抜いて刀になった時に、刀身がすごく長く見えたんですよね。すごい「必殺武器」に見えた。最近のリメイク版では、なぜかちょっと短く見えちゃって、そんなに強そうな感じがしない。
寺沢武一先生の漫画『コブラ』で、宇宙海賊・コブラの腕にサイコガンという銃が仕込まれています。寺沢先生は手塚先生の御弟子さんだったし、イメージ的に継承している部分が大きいのではないかと想像しています。だから百鬼丸の腕の刀も、サイコガン同様に必殺武器でなくてはならないと思うんです。それで、アニメの旧作と新作で「何が違うんだろう」ということを検証するために、僕は『どろろ』のノート漫画を描いたんですよ。
僕は、中学生の時からノート漫画を描いているんです。『どろろ』で好きな「妖刀の巻」を、「いったい、自分の中の百鬼丸って何だったんだろう」って想いで描いてみた。腕抜けのシーン直前で力尽きましたが……。百鬼丸のカッコよさというのは、この髪型なんじゃないかっていう、自分なりの考えがあるんですよね。そういうことを検証するぐらいしかできませんでしたが(笑)。
このノート漫画は、僕が以前のキチムシに出品した百鬼丸のラフ原画を買ってくれた方に「あげます」って言ってあるんです。でも、5年間経っても完成していない。まあ、これは仕事ではなくて趣味で描いているので、締め切りはありませんが……。それにしても、こんなに時間がかかるとは思わなかった。視力を取り戻した百鬼丸に、「お嬢さん、あなたは美しい。初めて女の人を見たよ」みたいなセリフを言わせてみたい。そんなシーンを描きたくて始めたんです。これが描けたら、ノート漫画も終わるんですがね(笑)。
漫画を積み重ねて、大河作品にしてみたい
僕が「ゲッサン」(小学館)で連載中の『アオイホノオ』は、1980年代初頭が舞台です。僕の大学生時代からプロデビュー後までを描く自伝的な作品ですね。この作品には、あまり手塚治虫先生のエピソードは出てこない。でも、もうひとつ前の時代に遡った漫画の歴史も、いつか描いてみたいという気持ちがあります。少年時代の話に戻ってね。楽しい仕事になるはずだから「やりたい」と思いますが、楽しいことばっかりやっていたらダメですよね(笑)。
いろいろ描きたい漫画はたくさんあります。「いろいろ」と言っても、僕はもう62歳なので長い話を1本描きたいと思っています。映画『ロード・オブ・ザ・リング』のように、長大な叙事詩を描く漫画家もいるじゃないですか。趣味のように、少しずつ、少しずつ描き貯めて大河のようになる、そんな作品を描いてみたいと思っています。
取材・文・写真:メモリーバンク