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【漫画家のまんなか。vol.4 ちばてつや】弱さもダメなところもひっくるめて、人間の素晴らしさを描きたい

トップランナーのルーツと今に迫る「漫画家のまんなか。」シリーズ。

今回は、前代未聞のキャラクターの葬儀がおこなわれるなど社会現象を巻き起こした『あしたのジョー』(原作:高森朝雄)など数々の大ヒット作で知られる、ちばてつや先生にお話をうかがいました。

現在もエッセイ漫画を連載し、精力的に活動を続けているちば先生。漫画との衝撃的な出会いと漫画に込め続ける思い、そして誰もが知る「あのラストシーン」誕生秘話など、たっぷり語っていただきました。

▼ちばてつや
1939年、東京都出身。公益社団法人日本漫画家協会会長。17歳でデビュー、19歳で雑誌連載を開始。デビューから4年後の1962年には第3回講談社児童まんが賞を受賞する。1966年には『ハリスの旋風』がアニメ化。1968年に発表した『あしたのジョー』は爆発的なヒット作となり、社会現象を起こす。
以降も角界を舞台にした『のたり松太郎』、ゴルフ漫画の金字塔『あした天気になあれ』など、スポーツ漫画のヒット作を多数手がけた。
現在は『ビッグコミック』(小学館)にて、自身の半生を描くエッセイ漫画『ひねもすのたり日記』を連載している。
文化功労者、紫綬褒章、旭日小綬章を受章。

漫画との出会い、まさかの別れ

私が漫画を初めて読んだのは、8歳のときでした。戦争が終わって中国から引き揚げて、日本の小学校に通うようになったころ、道端に落ちていた豆本サイズの漫画を拾ったんです。杉浦茂先生のアラビアンナイトをモチーフにした作品でした。

父も母も出版社に勤めていて本が好きだったので、壁という壁が本棚で埋め尽くされた家で育ったのですが、子ども向けの本は世界名作全集や童話集ばかりで漫画は一冊もなかったんです。

それまでも面白い本はたくさん読んでいたし、子ども向けの本だから挿絵もたくさん入っていたけど、その場の状況や登場人物の表情は、文章や行間から想像するしかないわけです。でも漫画なら男の子が元気になったとか、がっくり肩を落として悲しんでいるとか、説明する文章がなくても、ひと目見たらわかりますよね。

こんな物語の紡ぎ方があったのかと、カルチャーショックを受けました。わかりやすくて読みやすくて、楽しくてワクワクして……。その世界にスッと入っていける漫画の表現力に圧倒されました。

飛んで帰って兄弟たちに「こんなに面白い本があったぞ!」と見せて、奪い合うように読んでいたら母がやってきたので「僕が拾ったんだよ」と得意げに見せたら血相が変わってね。すぐにバリバリッと漫画を破いて、夕飯の支度で火をつけていた七輪に入れて燃やされちゃいました(笑)。

漫画に夢中になったら勉強しなくなると思ったんでしょうね。そのあと友達に借りたものすら破られそうになったから、漫画は友達の家でこっそり読むようになりました。まわりはみんな『のらくろ』や『冒険ダン吉』など、戦前からある名作漫画を読んできているので、読まないと友達との話にもついていけないんですよ。

小さいときから絵を描くのが好きだったのもあり、読んでいるうちに自分でも漫画を描いてみたくなって、描いては弟たちに見せてあげていました。両親は仕事していて忙しかったから、勉強しているふりをしてこっそりね。母の気持ちを考えると悪いことをしているようで後ろめたい気持ちもありましたが、私にとって漫画を描くことは楽しい遊びだったのでやめられませんでした。

小説も詩も音楽も、すべては漫画に繋がっていた

漫画を描くのは好きでしたが、当時はまさか自分が漫画家になるとは思っていませんでした。漫画家という職業も知らなかったし、大きな出版社に写真部や総務部があるように、絵を描くのが得意な人が漫画部に配属されて描いていると思っていたんです。

ただ純粋に、描くのが楽しいから描いていました。友達に絵を描くのが上手な子がいて、その子がつくった『漫画クラブ』という雑誌で連載させてもらったり、一緒の漫画を描いて見せ合ったり。コマで割って読ませて、ページをめくるたびに話が展開していく漫画の世界にどんどん引き込まれていきました。

漫画家になるとは思っていませんでしたが、将来なりたいものはたくさんありました。挿絵を描くのもいいし、小説家や童話作家になるのもいいなと思っていたし、ラジオで素敵な音楽が流れてくると音楽家もいいなと思ったり、教科書で石川啄木の詩を見て詩人もいいなと思ったり。

ふらふらしているように見えるかもしれないけれど、そのときはどれも真剣なんです。小説を書いたり、それに表紙や挿絵を描いて色をつけてみたり、音符を並べて曲を作ったり、一生懸命に詩を描いてみたりもしました。

今思えば、漫画にはそれが全部必要だったんです。たとえば夕焼けにススキの帆が揺らいでいて、赤とんぼがスーッと飛んでいる情景があるとします。そこに佇む主人公の心を描写するには、詩的な表現力が必要です。さらにそのシーンに音楽が流れたら、背景や心の表情をもっと生き生きと描けます。

小説も詩も音楽も、私は知らないうちに一生懸命、漫画家になるための勉強をしていたんです。だから、これから漫画家を目指す若い人には「漫画だけを読んで漫画家になろうとしてはダメだよ」と伝えたいです。世界中の絵画を見て、小説や映画、音楽もクラシックから流行り物から演歌まで幅広く聴いて、いろんなものから影響を受けてたくさん感動することが、漫画家への道に繋がっていくと思います。

真似ることは学ぶこと。影響を受け合い発展した漫画の世界

もちろん漫画もたくさん読みましたし、読んだ漫画すべてに影響を受けました。新しい作品に出会うたびに「この男の子は可愛いな。なんでこんなに可愛いんだろう」と髪型や表情を研究したり、怖いキャラクターが出てきたら「なんで怖く見えるのか、どうしたら怖く描けるか」を考えたり、いつも影響を受けながら読んでいました。

漫画家になってからとくに大きく影響を受けたのは、青林堂の「ガロ」、そして手塚治虫先生が手がけた漫画研究雑誌「COM」で連載していた、石森(石森)章太郎さんの『章太郎のファンタジーワールド ジュン』です。実験的な漫画がたくさん掲載されている中でも、石森さんの作品『ジュン』の斬新さは群を抜いていました。

今はデジタル化して、縦スクロールとかいろんな表現ができるようになりましたが、当時は紙の見開きしかない時代です。そんな時代に石森さんの漫画は見開きを全部使ってひとつのコマにしたり、縦長の駒をずっと続けてみたり、横に続けてみたり、それまでのコマ割りの概念を壊す実験的な作品だったと思います。

彼はよく「漫画は萬画(よろずが)だから、いろいろな表現ができる」と言っていたんですが、『ジュン』を読んで「漫画って本当になんでもありなんだな」と思わされました。漫画の世界はみんなそうやって新人もベテランも関係なく、お互いに影響を受けながら発展してきたと思っています。

一時期の少女漫画は、星の光が入ってキラキラした大きな目のキャラクターが多かったですが、あれもひとりの漫画家さんが始めた表現方法にみんなが影響を受けた結果です。ふわっと柔らかくカールした髪に細いタッチで線を入れて金髪の感じを出す方法も、誰かの真似から広がっていきました。

そのまま真似するのはもちろんダメだけど、学ぶことは真似ることから始まるので影響を受け合うのは当然です。少年漫画や少女漫画がそうやって発展してきたからこそ、子どもだけでなく大人が読む青年向けや女性向けの漫画も次々と生まれていきました。

登場人物たちの日常を、日記のように描く

私自身は出歩くのはあまり好きじゃなくて、家に閉じこもって描いたり読んだりするのが好きなタイプですが、漫画には自分と正反対の人間をたくさん描いてきました。鉄兵と鉄兵の父親(『おれは鉄兵』)、松太郎(『のたり松太郎』)やジョー(『あしたのジョー』)あたりは、まさに正反対のタイプです。

「もし人生をやり直せるなら、こんな生き方もしてみたいな」と思う人生を描けるので、漫画には自分の夢がいっぱい入っているんです。ときには、家庭を顧みずに世間の目なんかぜんぜん気にしないで、めちゃくちゃ好き放題に生きてみたいとかね(笑)。

キャラクター設定にも理想や憧れが投影されることも多いですが、逆に自分そっくりのキャラも出てきます。『ハリスの旋風』で国松くんの子分役に「メガネ」というオドオドしたクソ真面目なキャラがいるんですが、あれは完全に私です。あとは『のたり松太郎』に出てくる、お酒を飲むとガラッと人が変わる田中もそうですね。

自分で描いているときは気づかないんですが、後から「このキャラはちばさんですね」と言われることもあったので、かなり似ているんだと思います。

自分自身だけじゃなく、両親や兄弟も、学校の面白い友達も、優しい先生や怖い先生も、私のまわりの人はみんなキャラクターのモデルになっています。他にも映画で印象的だった登場人物や、落語を聴いてイメージしたキャラクターが漫画に出てくることもありました。

何気なく見たり聞いたりしたことが記憶にとどまって、何かの拍子にヒョイっと出てくるので、自分でも気づかないうちにたくさんのものから影響をもらって漫画を描いているんだなと感じます。そうやって自分の日常からもらった影響を反映させて、登場人物たちの日常を日記につける感じで漫画を描いていきます。

登場人物たちの日常や生き様を描いていると「この人間はこんなことでは怒らないな」とか「こういうときは、こいつはこんな行動をする」などと、キャラの言動がわかってくるんです。ときどき、キャラが勝手に動いていくのを追いかけて描いていく感覚のときもありました。

逆に「こうなったら面白いな」と意外性のある行動をさせることもあります。人間は思いもよらないところで感情が爆発する場合もあるので「こいつがキレたら、どういうことするんだろう。怖そうだな」とドキドキしながら描いたりもしました。

私の場合、最初に名前や年齢、血液型や家族構成などのキャラクター設定はある程度はきちんと決めますが、物語の中でキャラも成長して変化していくので、ときには思うように話が進まないこともあります。それでも「このキャラはこういうふうに成長したところで終わらせたい」という目標はなんとなく持っているので、ゴール自体は変わりません。

たとえば練馬の自宅から出発して富士山のてっぺんを目指すとして、最短距離で行くか回り道で行くのかで、かかる時間も過程もまったく違ってきますよね。行って帰って終わりではなくて、連載の途中で迷子になりときどき富士山を見て方向を確認することはあっても、その場その場の状況を面白がって進んでいくほうが私は楽しいんです。

どうなるのか先が読めなくて、自分もワクワクしながら描ける漫画のほうが、読む人も面白いと思っています。私が漫画を描くときのモチベーションは、漫画を描き始めたばかりの小学生のころと変わっていません。あのころのように、隣にいる弟に「次どうなるの? 早く読ませて!」と言われるような漫画を、これからも一生懸命描いていきたいです。

ジョーに託した思い。伝説のラストシーンへの伏線

『あしたのジョー』を描いているとき、「このまま仕事を続けたら自分は死ぬな」と感じはじめました。普段から筆が遅かったのに週刊誌の時代になってますます睡眠不足になるし、アイデアがうまく出てこなくていつも締切に追われていて。そんな生活が20年くらい続いていました。

ファンレターは嬉しいけれど「こんなに楽しみにしてくれている読者を、がっかりさせてしまうものは描きたくない」と思うとすごくプレッシャーも感じるし、十二指腸潰瘍にもなってしまって「まだ40歳なのに死にそうで、お前の人生これでいいのかな?」と、自問自答する日々でした。

そのころに、詩人の寺山修司さんの発案で、ジョーのライバルである力石のお葬式をしてもらったんです。全国からファンが来て泣いてくれて、中には「人生が変わった、人生の目標ができた」なんて言ってくれる人もいました。

高森さん(『あしたのジョー』原作者・高森朝雄/梶原一騎の筆名でも知られる)と一緒につくり上げたキャラが、こんなにも人に影響を与えて、感動を届けられたと知って、「これほどやりがいのある仕事は他にないじゃないか、いつ死んでもいいから描き続けよう」と自分に言い聞かせました。

この考えが、ジョーのセリフとして出てくるんです。あまりにも殺伐とした生活をさせていたから、ジョーにも1回くらいデートさせてあげたいなと思って、乾物屋の紀(のり)ちゃんとデートさせたんですが、そのデートの途中でジョーが言うセリフに自分の思いを託しました。

ジョーは要領が悪いし鈍感だから、紀ちゃんが言葉の端々から好きだと伝えているのに気づかないんです。

それどころか「普通の若者のような明るく楽しい青春は謳歌できないけど、そんなことはできなくてもいい。真っ赤に燃え上がって燃え尽きて、真っ白な灰になるような生き方がしたい」なんて、自分のボクシングに対する信念ばかり語って、そういう男の世界に馴染めない紀ちゃんは離れる選択をしてしまいました。

この部分は原作にはなかったので、高森さんには悪いことをしちゃった気持ちもありましたが、自分で描いていてすごく納得したシーンです。それから半年くらい経ってラストシーンをどうしようか悩んでいたとき、担当の編集者さんがこのシーンのエピソードを活かしたらどうかと提案してくれました。

私は自分が描いた作品を、基本的に読み返しません。だから、描き終わると内容をほとんど忘れてしまうんです。改めてこのシーンを読んで、これは自分の考えだと気づくと同時に、ジョー自身が何を思っていたかを理解できたからこそ、あの真っ白に燃え尽きた姿が浮かんできたのです。あのとき、編集さんに提案してもらわなかったら、きっとあのラストシーンは生まれていないでしょう。

私の漫画は完璧に計算したものを組み立てて描くものじゃなくて、ときどき自分の生き様を描いているんだと思います。自分だけでなく高森さんや編集者さんの生き様も入っているし「みんなが気持ちを寄せ合って漫画はできるんだ」と、そのとき強く感じました。

ダメなヤツにも味があり、悪いヤツにも優しさがある

私は基本いつも「私の漫画を読んで元気になってほしい」と願いながら描いています。楽しい話も笑うだけで終わりじゃなくて、どれだけ辛い話にも最後には救いがあるような、読み終わったあとに何かが残る漫画を描きたいんです。そして「人間っていいな」「人生っていいな」と感じてほしい。つまり、目指すところは人間讃歌でしょうか。

これまでいろんな人間を描いてきて、減量中にうどんを食べて挫折しちゃうヤツもいれば、目的のためにコップ一杯の水を我慢する人もいました。でも、ダメなやつはダメなヤツなりにいいんですよ。味があって、憎めなくて。弱くてダメなところもひっくるめて、人間は素晴らしい存在だと思っています。

編集者さんに「ちばさんは本当の悪人は描けないですよね。どこかに救いがある」と言われたこともありました。私が完全な悪人を描けないのは、救いを持たせようとしているわけじゃないんです。ただ、『あしたのジョー』のゴロマキ権藤みたいな、喧嘩ばかりするヤクザのような男でも「こいつにもかわいい赤ちゃんのときはあったんだよな」と思いを馳せてみると、根っからの悪いヤツとは思えなくなるんですよ。

「家庭に恵まれなくて、辛い思いを繰り返しているうちにこんな人間になってしまったのかも」とかね、ふと考えちゃうんです。誰だって、その人なりに苦しんで生きていると思うし、それでもどこかに優しい面が残っているのが人間だと思っています。そういう思いを、作品やキャラに込めて描いてきました。

長く漫画家をしてきていろいろな作品を描いてきましたが、ずっと描き続けなければ……と思っているのが戦争の話です。2018年に発売したエッセイ漫画『ひねもすのたり日記』では、戦時中の中国での暮らしや敗戦から引き揚げまでの様子を描きましたが、戦争の悲惨さまでを描くのは難しいですね。

ウクライナとロシアの戦争をテレビなどで目にすると、戦争経験者として描かなければという使命感を覚えます。これからの未来に生きる若者たちに「戦争は残酷で、二度と繰り返してはいけない」と気づいてもらえる、抑止力になる作品を描きたいです。けれど、やっぱり僕の漫画を読む人には元気になってほしいので、辛くなってしまうだけの話にはしたくありません。辛いことを乗り越えて、今はこうして元気に生きているよというところまでしっかり描きたいです。

戦争の話以外は、描ける範囲で描きたいことは描いてこられたと思っています。描ける範囲というのは「漫画嫌いの母が認める範囲」です。漫画家になって随分経ってからも、私の作品はすべて母が厳しく検閲していました。

家に自分の作品が載った雑誌や本が届くと「ちばてつや様」宛てに来ているものも、母が勝手に開けて読むんです。どんな作品を描いているのか、人道に外れたものを描いていないかチェックするために。

母が納得できない内容だったら、40歳、50歳になっても呼び出されて「こんなものを描いて恥ずかしくないの! 私は世間に顔向けできない!」なんて言われて、正座でこんこんと説教されていました。

いつか母がギャフンと言うような、色っぽくて乱暴でどうしようもない人間を描いてみたいと思うこともあったけど、未だに母の教えが刷り込まれちゃって描けません。母は亡くなりましたが、たぶん今も後ろから目を光らせていると思います。(背後を見て)お母さん、ごめんね(笑)!

新しい漫画を描き、新たな挑戦をしていく

新人賞の選考をしたり、ついこの間まで大学で漫画を教えたりしていたから、若い人の漫画はたくさん読んできました。漫画家志望の若者たちは、みんな絵も上手いし発想も面白くてレベルが高いですよ。

最近の漫画家さんで注目しているのは、それこそたくさんいて決められないけど、特に誰かを、と言われると……、今、ふと思い付くのは藤本タツキさんです。絵も話も演出も上手くて、すごい才能だなと感心しています。

チェンソーマン 著者:藤本タツキ

一世を風靡した作品『鬼滅の刃』も、私たちの世代が思いつかなかった世界に圧倒されました。日本の古い時代の雰囲気を現代とうまく融合させていて、日本人の凛としたところを表現していて素晴らしいと感じています。こんなじじいでも、才能ある若い人の影響を受けて新しい作品を描いてみたくなりますよ。『〇〇の刃』なんて漫画を描こうかなと思うくらい(笑)。

日本人は葛飾北斎の浮世絵とか、うさぎとカエルが相撲をとったりする鳥獣戯画とか、大昔から漫画をずっと楽しんできた民族の子孫だから、DNA的にも漫画を描くセンスが優れているんじゃないかと思います。

日本の漫画やアニメ、ゲームから影響を受けて、世界中の各国からも才能のある人たちがたくさん出てきているのも嬉しいです。日本の中だけで完結せず、世界と影響を受けあって、もっと漫画が発展していってほしいと思っています。私も体力が続く限りは若い人の作品をたくさん読んで、影響を受けながら新しい漫画を描いていきたいです。

今はコンピューターやAIの発達が著しくて、メガネの中で映像が流れたりとデジタル化で新しい表現方法がどんどん出てきているので、これからの漫画が新しい技術を取り込んでどうやって活かされていくのか、どうやって読まれて楽しまれて発展していくのか、すごくワクワク楽しみにしています。機会と体力があれば私も新たな技術や世界に挑戦して、漫画界の発展に貢献していきたいです。

ちばてつやの「まんなか本」

取材・文: ネゴト / 成澤綾子

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