読んだら旅に出たくなる おもてなしホテルマンガ
新型コロナウイルス感染症が、2023年5月に「5類感染症」に移行。それから1年余りが経って、旅行に行く人の数が増えてきました。
日頃の疲れを癒したい人、観光を楽しみたい人、家族や友人との思い出作りがしたい人……など、旅の目的は人それぞれです。そんな多様な客の要望に応えてくれるのが、ホテルや旅館、観光業界で働く人たちです。
今回はホテルマンや、ホテルにまつわる仕事をする人を、主役にしたマンガを紹介します。読むだけで旅行気分を味わうことができる、おもてなしホテルマンガの世界へご案内します。
一人優雅に楽しむ非日常の世界
ホテルは、非日常の世界。心地よい空間と、行き届いたおもてなしが、利用者を日常のストレスから解放してくれるのです。
そんな夢の空間を作る人たちがいます。塩川史香は、ホテルを作る会社で働く31歳。企画とPR業務を担当しています。
史香は、自身が携わったホテルの完成を前に、約2か月間ほとんど休まないで働いてきました。完成したら休めると思っていましたが、今度はマスコミ向けのお披露目イベントで大わらわ。お客様も癒したいけれど、自分も癒されたい今日この頃……なのです。
塩川史香の心には、子どもの頃に家族と泊まったホテルの思い出があります。海やプールで遊んだ後は、家とは違う特別な空間で過ごすのが好きでした。そして旅行の最終日には、いつもこう思っていました。「このまま ここに住めたらいいのにな」……と。
そんな子ども時代の夢を、仕事の情熱に変えた塩川史香。31歳にしてホテルの企画・PRを任せられ、充実した日々を過ごしています。毎日忙しい彼女が、クリエイティビティを保つため、自らに課しているのが“いいホテル”に泊まること。
職業柄、月に一度はホテルに泊まって研究しなければいけない……という史香ですが、真の目的は頑張った自分へのご褒美です。そんな史香が、今月のお泊りに選んだのは、憧れのホテルオークラ。リニューアル工事の前に、泊まりにきて以来の訪問。彼女の胸も高鳴ります。
『おひとりさまホテル』©まろ マキヒロチ/新潮社 1巻P032より
ホテルのエントランスは、到着したゲストを迎える“玄関”であり、ホスピタリティを象徴する場所でもあります。ホテルオークラは工事で新しく生まれ変わりましたが、名物のロビーは今も健在。工事以前とほとんど変わらない風景で、馴染みの客を出迎えてくれます。
感動した史香はロビーを写真に収めると、SNSにアップして会社の同僚に報告します。仲間と情報をシェアすれば、一人のホテルステイでも、誰かと一緒にいる気分になれるのです――。
本作を手掛けるマキヒロチは、『いつかティファニーで朝食を』で、理想の朝食を求める女性の姿を描いて人気となりました。本作でも、理想のホテルを追求する主人公を描くことで、その感動を読者に追体験させています。ホテルのプランナーである史香の視点は、知られざるホテル業界の努力にスポットライトを当てて、私たちに教えてくれるのです。
ホテルは巨大な生き物だ
『HOTEL』は、小学館「ビッグコミック」にて1984年~98年に連載された作品で、石ノ森章太郎の代表作の一つです。第33回小学館漫画賞受賞。テレビドラマ化されて、一大ブームを巻き起こしました。
大都会のシティホテルは、様々な人生が行き交う交差点。愛や歓び、そして悲しみや憎しみ、裏切りまでも内蔵した、巨大な生き物のような場所です。
『HOTEL』は、巨大なシティホテル・プラトンを舞台にしたヒューマンドラマ。そして、利用者を24時間体制で支えるホテルマンの矜持を描いています。
客室は、宿泊客の疲れを癒す場所ですが、ホテルにとっては“売るべき商品”でもあります。客の滞在が終わったら速やかにチェックアウトしてもらい、次の客を迎える支度をしなければなりません。
しかしホテル・プラトンには、その“例外”とも言える部屋があります。908号室は、著名な詩人・久我の部屋です。彼は長期の滞在者で、908号室を自室のように変えてしまいました。書棚には、彼の著作の詩集がズラリ。そして机の上には、妻のナンシーの写真が飾られていました。
『HOTEL』©石森プロ 1巻P032_033より
ホテル住まいが長い久我にとって、そこで働く人たちは家族同然だといいます。ホテルマンの水野は、妻を失った久我の話相手を務めるため、業務の合間を縫って908号室に足を運びます。
いつしか二人の間には、“ホテルマンと宿泊客”という関係を超えた友情が芽生えていました。しかし、久我は心臓発作で急逝。ホテルマンの水野は、久我亡き後の908号室の行く末をめぐって驚くべき決断をします――。
石ノ森章太郎の『HOTEL』には、ホテルマンと客が織りなす感動のドラマが、オムニバス形式で描かれています。ここまで、「第2話 ネバーチェックアウト」のあらすじを紹介しましたが、他にも珠玉のヒューマンドラマが満載です。ホテルマンによる感動のストーリーを、ぜひお楽しみください。
お客様は殺し屋様
“Inhuman(インヒューマン)”とは、英語で「人間の姿をしていない」「怪物のような存在」の事をいいます。そう、ホテル・インヒューマンズは、ただのホテルではありません。ここは、一流のホテルサービスに加えて、最高級の殺しのサポートを行う特別なホテル。
「お客様は殺し屋様」が信条の“闇のホテル”で働くのは、新米コンシェルジュの星 生朗。先輩コンシェルジュの灰咲沙羅による厳しい指導のもと、ホテルを訪れる殺し屋たちに束の間の安らぎを提供するのです。
客の様々な要望に応えることから、ホテルの顔と言われるコンシェルジュ。ホテル・インヒューマンズのプロフェッショナルたちの働きぶりを見てみましょう。
最高のホテルには条件があります。極上の食事、至高の癒やし、魅惑の娯楽……さらに、最高級の殺しのサポート――!?
生と死の境界線をさまよう殺し屋たち。仕事を終えた彼らは、ホテル・インヒューマンズを訪れて、追手から身を隠します。ここは秘密厳守のホテル。さらにコンシェルジュには、客の要望に対して「NO」と言えない決まりがあります。
ある日、怪我で血まみれの男がホテルに現われます。岡嶋グループNo.1の殺し屋である、シャオ・リーです。
『ホテル・インヒューマンズ』©田島青/小学館 1巻P026より
シャオ・リーは、中国の貧しい田舎町の出身。妹と二人で肩を寄せ合って生きてきました。ある日、暗殺集団の頭領・岡嶋に拾われたリーは、妹の命の保証と引き換えに、殺し屋として彼に仕えるようになります。契約期間は20年。一年に一度だけ届けられる、妹の歌声を収めたテープが唯一の楽しみでした。
しかし契約期間を終えた今、シャオ・リーは妹に会うことは許されず、さらに岡嶋の二代目に命を狙われているというのです。生朗と沙羅は、シャオ・リーの依頼を受けて、妹の捜索をすることになりました。
コンシェルジュであるからには、お客様の要望を叶えなければなりません。たとえ、悲しい結末が待っているとしても――。生死の狭間では、インヒューマンと呼ばれる殺し屋たちにも“人間らしい”感情が蘇ります。『ホテル・インヒューマンズ』には、人間の極限に訪れる感動のドラマがあふれています。
北限のホテルへようこそ
ここは、フィンランドのラップランド地方。ある吹雪の夜、アードルフとクスタの老紳士二人が営むホテル・メッツァペウラに一人の青年が現れます。日本人青年のジュン・シノミヤです。
アードルフとクスタは、凍えていたジュンをホテルに招き入れて、暖かいスープでもてなします。さらにサウナに入れてあげると、ジュンの体には全身刺青が施されていました。何やらワケありの青年なのです……。
クリスマスを間近に控えた12月のある日。北極圏にあるホテル・メッツァペウラは、太陽がほとんど昇らない極夜に包まれていました。しかも、辺りは猛吹雪。こんな日にホテルを訪れる客はありません。
しかしマネージャーのアードルフは、ホテルの外にたたずむ青年を見つけます。料理人のクスタが話しかけると、青年は雪の中に倒れ込みました。
『ホテル・メッツァペウラへようこそ』©Seira Fukuta1巻P024_025より
青年の名前はジュン・シノミヤ、17歳の日本人です。彼の年齢を知ったクスタは、未成年が一人で北極圏を訪れる無謀さを叱ります。しかしジュンは施設育ちで、彼を心配する人間はいないというのです。
クスタがジュンをサウナに入れると、その全身は刺青に覆われていました。しかも所持金はほとんどなく、めぼしい荷物はボロボロの人形ぐらい……。何やら怪しげな青年ですが、アードルフとクスタは何も言わず、ジュンをホテルの一員として迎えることにしました。
アードルフの監督のもと、ジュンはホテルマンとして働き始めます。北限のホテル・メッツァペウラは、訪れる者をいつでも歓迎します。新しいホテルマンが1名加わって、お客様のお越しをお待ちしております――。
大正期の天才たちが集うホテル
マンガ家の上村一夫は、その独自の画風から「昭和の絵師」と呼ばれています。『同棲時代』などの代表作で、男と女の情念の世界を描きました。
『菊坂ホテル』は、上村一夫が1983~84年に文芸誌「月刊小説王」(角川書店)に連載。東京・本郷に実在した菊富士ホテルにインスパイアされた作品です。
大正ロマンを代表する抒情画家・竹久夢二。彼が恋人のお葉(よう)と暮らした菊富士ホテルは、他にも文豪の谷崎潤一郎、佐藤春夫、菊池 寛らが集まった、芸術家の梁山泊だったのです。
竹久夢二は大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」と呼ばれていました。特に美女を多く描いた夢二ですが、同時に多くの恋を経験したことでも知られています。
恋人の笠井彦乃との恋を、彼女の父親に引き裂かれた竹久夢二。傷心の彼が訪れたのが、東京・本郷にある菊富士ホテルでした。マンガ家・上村一夫は、ここをモデルにした菊坂ホテルを舞台に、大正時代の芸術家の姿を活写しています。
本作の登場人物・八重子は女学生。両親が営む菊坂ホテルを手伝う看板娘です。この地には、東京大学をはじめとする多くの学校が集まり、近辺には下宿や旅館が数多くあったのです。
『菊坂ホテル』©上村一夫 P042より
竹久夢二や谷崎潤一郎などの芸術家が集まり、文化サロンと化した菊坂ホテル。しかし笠井彦乃との恋に破れた竹久夢二が、新しい恋人・お葉を連れ込んだことで、にわかに騒々しくなります。嫉妬心が強い夢二とお葉の間には、ケンカが絶えなかったのです。
ホテルを切り盛りする八重子は、芯の強い気丈な性格。夢二とお葉のケンカ騒動にもめげず、一癖も二癖もある芸術家たちを支えます。
著者の上村一夫は、ホテルの看板娘・八重子の視点を通して、大正時代を代表する名作が生まれる現場を描きます。読者の私たちは、時空を旅するトラベラーのように、大正時代の芸術と洋風ホテルの空気を味わうことができるのです。
ホテルマンガで、旅気分を味わう
実在するホテルに取材したマンガは、作品の舞台となったホテルに、実際に足を運ぶことができる場合もあります。旅行ガイドやホテルの公式ホームページと合わせて、参考にしてみてください。
近年では、殺し屋専門のホテルや、異世界のホテルなど、ファンタジー性が強い作品も誕生しています。ホテルマンガは、時代の流れとともに様々に拡大しているのです。
お気に入りのホテルマンガを見つけたら、ページを開いて空想の旅を楽しんでみてください。読めば、あなたもホテルステイを楽しみたくなるはずです!
執筆:メモリーバンク / 柿原麻美