今回、チャンピオンREDで絶賛連載中のバレエコミック、
『絢爛たるグランドセーヌ』を徹底的に特集しちゃいます♪
特別インタビュー
創立から60周年を迎える牧阿佐美バレヱ団で
ダンサーとして活躍する織山万梨子さん。
舞台に立つ者としての視点から読む『絢爛たる~』の世界と、
今後のご自身、そしてバレエ界について
その胸の内を語っていただきました!
---バレエを始めたきっかけを教えて頂けますか
物心がつく前から水泳や体操をやったりしていました。3歳上の兄と一緒にやっていたんですが、いつも兄と比べられたりして、それがすごく嫌だったんです。まだ家族が誰もやったことのないお稽古をやってみたいと思って、それがバレエでした。近くにあったバレエ教室が牧阿佐美バレヱ団の直属である橘バレヱ学校でした。小学校1年生のときですね。当時はバレエに対する知識はまったくなく、ただなんとなくバレエをやってみたいなという感じでした。
---中学生のときにアメリカに渡られたんですよね?
ユース・アメリカ・グランプリの東京の予選で第2位になって、1週間だけ学校を休んでニューヨークの本選に参加しました。そこでアメリカの学校からスカラシップをいただいたことがきっかけで留学することになりました。
---アメリカでの留学生活はどうでしたか?
勉強とバレエの両立がとても大変でした。午前中は普通に学科を受けて、午後はバレエのレッスンという形だったんですが、入学した学校は文武両道が原則で、少しでも成績が下がってしまうと次の学期には学校に戻って来られないんです。だからどんなにバレエが上手であったとしても学科では常に平均以上でないといけないんです。
---語学的な部分の苦労もあったんじゃないですか?
日本の中学校時代は、ほかの教科に比べると英語は得意な方だったんですけど、全然そんなこと関係なかったですね。最初は、話すことも聞くこともまったく駄目でした。「ペンを貸して」という言葉もまったく出てこなくて。“pen”なんて英語学習の最初の方で習う単語じゃないですか。そこはショックでしたね。それでもこの場所で意地でもやっていきたいっていう覚悟があったので、それからは必死で勉強しました。
---アメリカの学校というと単純なイメージだと、解放的な感じがしますが?
学校はフロリダにあったんですけど、管理がとても厳しかったですね。寮の中にいなきゃいけない時間と、自分たちの部屋にいなきゃいけない時間とが明確に決まっていて。外出してはいけない時間に自分の部屋のドアを開けようものなら警報が鳴るような感じでした。
規律も厳格でした。例えばごみを出してない、などの決まりを破るとカードを渡されるんですが、それが貯まってしまうと週末に外に出られない、といったようなペナルティがありました。監獄さながらのような場所でしたね(笑)。1人でどこかに出かけることも駄目で、必ず3人以上でないといけませんでした。
---バレエの方はいかがでしたか?
1年目のときなんですが、先生から「あなたの骨格だとバレエやっててもしょうがないわよ。このまま続けるの?」って言われたことがありました。そのときはとても悩みました。ただ、すごく骨格が綺麗でも動けない人もいて、その人たちだけには絶対に負けたくないって思いました。昔から負けず嫌いなので(笑)。そこからは今まで以上に頑張りましたね。その甲斐あってか、卒業時の公演では主役をやらせてもらいました。先ほどの先生がほかの生徒に対して「いくら体がきれいでも動けなきゃしょうがないのよ」って言っているのを聞いて、心の中で“よっしゃ”って思いました。身体的に不利だと言われたことをなんとか克服できたのかなって思います。
---やっぱり欧米の人の方が体格的には有利なんですか?
平均的に背が高い欧米の人の方が、まず立っているだけで画になりますよね。しかも手足が長いので、日本人が同じ動きをするよりも大きくて躍動的に見えるんです。背丈が小さくても足が長くて全体のバランスが良ければ美しく見えることもあるんですが、私自身は別にそういうわけではないので。それはまず最初にアメリカで感じた事ですね。ただ足が長いことで向こうの人も苦労しているみたいなんです。足を横に上げたままキープする動きなども、長いから単純に重みもあるんです。重い上に遠い。自分の支配の外にあるんですよ。泣きそうな顔をして、「いいなあ、足が短くて」って言われたこともあります。すごい大変そうだったので、まったく怒れなかったんですけど。
---そういった経験を積み重ねて日本に帰国されたわけですが。
アメリカでも何度かバレエ団のオーディションを受けて、いくつか決まったりもしたんですが、小さいころからお世話になっているこの牧阿佐美バレヱ団への思いは常にありました。海外に行ったことで良い部分も悪い部分もいろいろと理解できました。バレエが仕事として成り立つのは日本よりも海外なんです。ちゃんとお給料も出て、社会的な保障もあって、社会人としてきちんと生活することはできるんです。ただそれはバレリーナとしてであって、所属しているバレエ団とは1年ごとに契約が更新されますし、ケガをしてしまうと「じゃあ来年は戻って来なくていいから」と言われるし、一方ではシビアな世界なんです。引退したときのことを考えると必然的に人生を長い目で見ないといけない。そういうことを考えると戻るべき場所は一つだなって思いました。やっぱり小さいころから知っている先生や先輩がいて、自分にバレエを教えてくれた、この環境なんだなって。そういうつながりは大切にしたいと思ったんです。
---『絢爛たるグランドセーヌ』は以前から
お読みいただいているようですが。
『絢爛たるグランドセーヌ』ももちろんですが、バレエに関するコンテンツには触れるように意識しています。世の中の人にバレエの世界ってどう映っているんだろう、どう認識されているんだろうということにはとても興味もあります。1巻の冒頭で主人公の奏ちゃんがバレエの素敵な世界にあこがれて、バレエを始めて、とバレエのキラキラした感じが相当あったんですけど、比較的始めの方で、華やかに見える世界だけじゃないことを知って、そこから試行錯誤していくという部分にとてもリアリティを感じました。
---ほかにも印象に残ったシーンはありますか?
4巻でさくらのお母さんがさくらに語るシーンですね。
バレエって、努力の上に努力を重ねて、体にバレエそのものを時間をかけて染み込ませることで、やがて内側から美しさがにじみ出てくるものなんです。でも努力しても報われないことの方が多い。というよりも、努力以前に生まれ持ったものがないといけないんです。海外だと体格が良くて、身体能力があって、音楽性を持っている子でないとそもそもバレエそのものをやらせてもらえないんです。そして、その上で努力が必要なんです。今、第一線で活躍している人たちは全員天才で全員努力家で、バレエを仕事にするために存在するすべてのハードルを越えてきた人たちなんです。本当に努力だけではだめな世界なんです。
---最後に今後の展望をお聞かせください。
私自身はバレエに対する世間の認識を変えていかなければいけないなと思っています。バレエの世界の内側にいると、バレエは舞台芸術であるという共通認識がほとんどの人にあるのですが、一歩外に出ると多くの人がお稽古事というイメージを持っているように思うんです。そのあたりは変えていかなければいけません。最近はたまにメディアに出るお仕事もさせてもらっているんですが、自分のためというよりも、バレエ全体のためという意識でやらせてもらっています。自分たちの舞台を見てもらうための活動は、団のためには当然必要ですが、今後のバレエの発展のためにはバレエそのものを広く認知してもらう必要があります。そういう役割ができればなって思います。
その点においては、ほかの芸術分野やスポーツなどから多くのことを学ぶ必要があります。たとえばフィギュアスケートは選手たちの競技だけではなく、普段の生活を取り上げたドキュメンタリー番組があったり、選手たちがさまざまなメディアに登場したりしています。単に選手としてではなく、そのパーソナリティをも含めた一人の人間として、多くの方に認知される機会がバレエに比べればとても多いですよね。バレエの世界もより身近に感じてもらえるよう、やれることはどんどんやっていこうと思います。
織山万梨子(おりやま
まりこ)
橘バレヱ学校で6歳よりバレエを始める。2004年のユース・アメリカ・グランプリのニューヨークファイナルでトップ12の成績を修め、フロリダにあるThe
Harid
Conservatoryに奨学生として入学。2007年に首席で卒業。17歳から牧阿佐美バレヱ団に所属し、数多くの舞台で主要な役を演じている。
牧阿佐美バレヱ団のオフィシャルホームページ
"http://www.ambt.jp/"
特別インタビュー
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