
日本人はだれしも「世間」にとらわれている。世間という人的関係の中で、「ゆるし」や「義理」「人情」といった原理に庇護されて生きている。西洋では、神にたいして罪を告白するキリスト教の「告解」という制度により、「個人」が形成され、その集団である「社会」が誕生した。しかし日本にはいまだに個人も社会もなく、世間のなかでしか「存在論的安心」を得られない。ゆえに、日本人は世間からの「はずし」を強く恐れる。日本の犯罪率が低いのはそのためである。もし犯罪や不祥事を起こした場合は、ただちに謝罪しなければならない。日本では真摯な謝罪によって、世間からの「ゆるし」を得て「はずし」を回避することができるのだ。ところが、近年日本の刑法が厳罰化する傾向にある。これは犯罪をゆるす「世間」が解体されつつあることのあらわれなのか?法制度の変遷をたどりながら、日本「世間」の現在を問う意欲作。
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2025/3/31 23:59 まで有効
先日、不本意ながら謝るという出来事があった。そこから学んだことも多かったんだけど、そもそも謝る、謝罪って何なのだろうと思い、タイトルに「謝る」という言葉が入っているこの本を見つけた。
日本の独特な「世...
世間の「ゆるし」に腹が立ちつつも自分はどこか甘えている。
都合よく期待している。「起訴便宜主義」
はずされたくないから擦り寄る気持ち悪さ。暗黙の了解。
おかしいとは思いつつも世間とはそんなものと割り切...
世間論を初めて読んだが大変参考になることが多かった。
世間の赦しとはずし、それらに我々は意識していなくても縛られている。
この書は刑法的観点からそれが論じられている