【漫画家のまんなか。vol.32 細野不二彦】「常にエンターテインメントを追求してきた」 漫画家・細野不二彦が語る創作人生
トップランナーのルーツと今に迫る「漫画家のまんなか。」シリーズ。テレビアニメ化により国民的人気作品となった『さすがの猿飛』『GU-GUガンモ』や、アートコミックの最高峰『ギャラリーフェイク』で知られる細野不二彦先生にお話を伺います。
これまで様々な漫画に挑戦してきた細野先生。コメディーから青春物、サスペンス、スポーツ漫画、音楽漫画まで、あらゆるジャンルを描いてきた漫画界の巨人です。
2021(令和3)年から翌年にかけて、「ビッグコミックオリジナル増刊」(小学館)で半自伝的作品である『1978年のまんが虫』を連載し、大きな話題を呼んでいます。今回は、同作で描かれた大学生時代の思い出から、漫画家としての画業、これからの展望まで語っていただきました。
▼細野不二彦
漫画とアニメを卒業しなかった
私が生まれたのは1959(昭和34)年です。ちょうど「少年サンデー」(小学館)、「少年マガジン」(講談社)が創刊された年でもあります。私は12月生まれ。少年週刊誌の誕生は3月でしたので、私の方がちょっぴり遅れて生まれました。もっとも私は赤ん坊でしたから当時のことは知りませんが、少年週刊誌の発展とともに、大きくなったわけです。
1963(昭和38)年に手塚治虫先生の『鉄腕アトム』テレビアニメ放映が始まり、追いかけるように横山光輝先生の『鉄人28号』のテレビアニメも始まりました。今で言うメディアミックスということになるのでしょうか。光文社が「カッパ・コミクス」という雑誌サイズ(B5判)のコミックス・レーベルで『鉄腕アトム』『鉄人28号』を出していました。親が毎月のように買ってくれたこともあって夢中になって読みました。「カッパ・コミクス」は、高校生になる頃まで大切に持っていたのですが、いつの間にかなくなってしまいました。
それが、漫画という表現に触れた初めての経験でした。アトムや鉄人の模写をして、周りの人から「上手いね」と褒められて気分が良かったのだと思います。小学生になると、赤塚不二夫先生の『おそ松くん』『天才バカボン』なんかが好きで、模写だけでなくノートにコマ割りをして模倣作品を描くようになります。藤子不二雄(藤子・F・不二雄/藤子不二雄Ⓐ)先生の『オバケのQ太郎』も好きで、読んでいた記憶があります。この作品は、私がのちに手掛ける『GU-GUガンモ』にも影響を与えることになります。
私たちの小学生時代は、友人同士で雑誌を交換して読んでいました。そのため、「少年サンデー」「少年マガジン」はもちろん、「少年ジャンプ」(集英社)、「少年チャンピオン」(秋田書店)など、少年週刊誌はほとんど網羅して読んでいたと思います。あとは「冒険王」「まんが王」(以上、秋田書店)などの月刊漫画誌もちょっとかじっていました。
あの頃、多くの漫画作品がテレビアニメと連動していました。まだ白黒テレビの時代でしたが、かぶりついて見ていましたね。私たちの世代は漫画、アニメと実生活がリンクし始めた頃に育っています。一部の作品は不適切と叩かれていたかもしれませんが、大人もそうした文化を認知し始めていました。親としても、子どもに漫画やアニメを見せておけば楽だったのかもしれませんね。私より年長の方は、「漫画は子ども向けのもの」「中学生になったら卒業するもの」と言われた方もいるようです。でも私は小学校卒業後も漫画を読み続けて、そのまま今日に至っています。
高校で出会った仲間たち
高校に入った頃でしょうか。私は見よう見まねで本格的な漫画を描くようになりました。高校時代には「少年サンデー」「少年マガジン」は読まなくなって、「マンガ少年」(朝日ソノラマ)などを読むようになりました。当時の私は、青年コミック誌にはあまり目を通していません。他の人たちがどんな漫画を読んでいるのかを知りたくて目を通してみたものの、青年漫画はよく分からなかったというのが正直なところでした。
*河森正治くん、美樹本晴彦くん、大野木寛くん、原田則彦くんたちと出会ったのは、高校に入ってからのことです。彼らはSF好き、アニメ好きで、メカやアニメのキャラを描いたりしていました。漫画を描くのは私と美樹本くんぐらいだったので、グループの中で珍重されていたかもしれません。
(*河森正治=メカニックデザイナー/美樹本晴彦=イラストレーター、漫画家/大野木寛=脚本家/原田則彦=カーデザイナー)
河森くんたちはメカの話、ドラマ作りの話を夢中になってしていました。「こんなメカがあったらいい」「こんな話なら面白い」とか、私は彼らの傍らで拝聴していたのです。彼らの会話を面白がって聞いていた私ですから、刺激を受けないわけはありません。
SF好きの彼らは、SFグループの同人サークルにも出入りしていました。月に1回、池袋で開かれていた集まりに、彼らに混ざって私も顔を出すようになります。そうして*松崎健一さんや高千穂遙さん、加藤直之さん、宮武一貴さんらのクリコングループと知り合ったのです。
(*松崎健一=SF考証家、脚本家/高千穂遙=小説家/加藤直之=イラストレーター/宮武一貴=メカニックデザイナー。クリコンは、松崎健一を会長とするSFアート同人会・SFセントラルアートの集まり)
とにかくいろいろなことを知っている方がいらして、皆さんがそれぞれ勝手に自分の好きなお話をされていた。宇宙の話あり、軍事の話あり、アニメの話も出てきましたが、高校生の私にはほとんど知らない話ばかりでした。たとえば戦車の話題ひとつをとっても、実に情報量が多い。私はと言えば、その話を横でボーッとして聞いていたのです。
加藤直之さんが「S-Fマガジン」(早川書房)やSF文庫の表紙の原画を見せてくれました。これは私にとって貴重な体験です。まだ、あまり上手とは言えなかった私の絵も見てもらい、批評をしてもらったのも嬉しいことでした。
SFが大好きな人たちが集まる会でしたが、実はSF好きには漫画好きの人が多い。SFの話の合間に、手塚治虫先生や永井豪先生の話題がボロボロッとこぼれてくるんです。私は『デビルマン』『マジンガーZ』など、永井豪先生の作品に憧れていました。永井先生のような色気のある線で、絵を描いてみたいと思っていたのです。ダイナミックプロに出入りしていらした高千穂遙さんから永井先生のお話が出ると、喜んで拝聴していました。
デビュー作の『クラッシャージョウ』
こんなご縁があって、私は高千穂遙さんが率いる*スタジオぬえに参加しました。慶應義塾大学の2年生の時でしたか。自宅でも漫画を描いていたのですが、その合間にぬえのスタッフのお手伝いをすることもありました。
(*スタジオぬえ=主にSF作品を中心に手掛ける企画制作スタジオ。高千穂遙が初代代表を務めた)
私は小説『クラッシャージョウ』のコミカライズでデビューしたのですが、原作者の高千穂先生が描くように勧めてくれたのです。私をデビューさせることで、おそらくぬえに漫画部門を作ろうということだったのだと思います。ぬえでは私より先に、少女漫画家の瑞原芽理さんが活動していらっしゃいましたしね。
『クラッシャージョウ』第1作「宿命のパンドーラII世」が初めて掲載されたのは、「マンガ少年」の1979(昭和54)年4月号でしたが、ベテラン作家ばかりの雑誌です。昨日まで読者であることに慣れていた私ですから、見るのもはばかられるという気持ちで、書店の店頭に並ぶ「マンガ少年」を見ました。その表紙に自分の名が載っている。これはえらいことになったと思いました。「こんなことがあってもいいのか」みたいな気持ちです。
まだ新人の私です。『クラッシャージョウ』を描いている時は、キャパシティーいっぱいでした。原作作品があると言っても、この時のストーリーは私のオリジナルです。高千穂さんは「自分で描け」と言いました。途中でネームを見てくれたことはありましたが、「いいんじゃない」といった扱いで、私に舵取りが委ねられたのです。
『クラッシャージョウ』小説の挿絵は、安彦良和先生が手掛けられています。あのように描けたらいいと思いましたが、自分の力量ではソックリには描けない。高千穂さんからも、「漫画として独立したものを描け」と言われていましたから、自分のタッチで描こうと思いました。ただ、そうは言っても原作のファンを失望させるわけにはいきません。キャラクターのコスチュームや宇宙船・ミネルバのデザインなど、安彦さんのデザインをお借りして描かせていただきました。
『1978年のまんが虫』©細野不二彦/小学館
いきなりの週刊誌連載
『クラッシャージョウ』を終えた後、高千穂さんから出版各社の編集者の名刺を渡されました。出版社回りをしろということです。秋田書店、少年画報社、講談社などに行きましたが、なぜ集英社にだけは行かなかったのか……記憶が定かではありません。一番最後に行ったのが、小学館だったと思います。
どこの編集部でも、おしなべて「少し子どもっぽい」と言われたのですが、「少年サンデー」の編集さんだけは「ネームを描いてごらんなさい」と言ってくれたので、持っていくことになりました。その時の作品が『恋のプリズナー』です。当時はまだラブコメは流行っていませんでしたが、高千穂先生からは「漫画家は、可愛い女の子が描けないとダメだ」と言われていました。その頃の私は少女漫画を少し読んでいましたので、ラブコメ・テイストの作品を描けたのだと思います。
『恋のプリズナー』の評判が良かったみたいで、『やよいマイ・ラブ』の連載に繋がります。しかし短期集中と言っても、いきなり4回の連載でした。貯めのネームがないまま連載が始まって、キャパ・オーバー。しんどい思いをしたのを覚えています。
テレビアニメ化された2作品
『さすがの猿飛』にも、主人公・猿飛肉丸(さるとび にくまる)の相手役として、霧賀魔子(きりが まこ)という可愛い女の子を登場させました。当時は亜月裕先生の『伊賀野カバ丸』が大人気で、担当さんから「こんなマンガを描けないか」と言われました。作品のタイトルから察するに、亜月先生は横山光輝先生の『伊賀の影丸』への想いが強かったのかもしれませんね。それなら私も負けません(笑)。
「コメディーなキャラクターで忍者物を」という注文に、私立忍ノ者(しのびのもの)高校創立者の孫として、肉丸のキャラクターを作りました。『伊賀野カバ丸』が学園物だったので、いっそのこと肉丸を忍者学校への転校生として登場させようと思ったのです。ネーミングにストレートに“丸”をつけたのも忍者物であることを示すため。丸々とした彼のビジュアルの象徴でもあります。魔子を美少女ながら気の強い女の子にし、さらに周りに石川美加、風間小太郎、服部優一郎といったネーミングのキャラクターを配置。学園物の中に、忍びのムードを高めました。アクティブなキャラクターが好きなのですが、みんな元気に動いてくれたと思います。
『GU-GUガンモ』は、「『オバケのQ太郎』みたいなマンガを描こうよ」ってことでした。『オバQ』は、なんとも奇妙なオバケが正ちゃんという小学生の家に住みつく――居候型のホームコメディーです。藤子先生がお得意の児童向け作品で、私も子ども時代に夢中になったので、描いてみようという気になりました。
小学生のハンペンこと佃半平太の姉・つくねが拾った卵。そこから誕生したのは、トリであってトリでない、鳥のニューウェーブとも言うべきガンモです。好奇心旺盛で、おまけにドジなところはオバQそっくりですが、実は私なりにSFチックな隠し味を設定しています。
私は赤塚先生や藤子先生がお描きになる、子ども向けのギャグ漫画が大好きでした。しかし、そうした漫画を描こうと思って漫画家になったのではありません。ただ、『クラッシャージョウ』とは真逆の作品でしたが、そのおかげで伸び伸びと描けたのかもしれません。
幸いと言いますか、『さすがの猿飛』『GU-GUガンモ』は、ともにテレビアニメ化されて好評をいただきました。主題歌や声優さんの演技も素晴らしかったのですが、全体を通して漫画をさらにブラッシュアップしてくれたと思います。
『GU-GUガンモ』©細野不二彦/小学館
青年コミックに移ったきっかけ
デビューしてわずかの間に2作品がテレビアニメ化される――しかも日曜日夜のゴールデンタイムの放映でしたので、子どもたちが夢中になって見てくれました。ホントにラッキーだったと思います。だけど、その2本を描いて少し息切れしてしまいました。次に何を描いたらいいのか、少し迷走していた時期がありました。
そんな時に「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)からお声が掛かりました。そこで『あどりぶシネ倶楽部』を短編読み切りとして掲載。この作品が連載化したので、「青年コミックでも描けるかな」という手応えを感じました。じつは、私は慶應義塾大学に進学したものの、あまり授業には出ていません。2年次からスタジオぬえに入り浸りでしたし……。『あどりぶシネ倶楽部』は、「大学でこんなサークルがあったらいい」という私の憧れを投影した作りになっています。
私は映画ファンと言っても、マイナーな作品まで網羅するほどではありません。「ロードショーの映画だけは見ておこう」。そういう感じで映画館に足を運び、フィードバックしていることはありますが……。『あどりぶシネ倶楽部』では、大学の映像研究会に取材はしましたが、ほとんど空想で描きました。でも、映研をやっている学生さんが読んでいるという話をよく耳にしました。私の想いが届いていたのだなと嬉しくなりました。
『あどりぶシネ倶楽部』のキャラクターに、スタジオぬえで一緒だった佐藤道明くんの名を借用しています。私は漫画を描いていましたが、彼はイラストレーター。私は彼の仕事を見上げる感じで見ていました。『1978年のまんが虫』でも彼を登場させたかったのですが、作品の傾向としてそこまで描けませんでした。残念に思っています。
『ギャラリーフェイク』は、アート物の作品を描かないかという「ビッグコミックスピリッツ」の打診で、「1回くらいなら……」という想いでスタートしました。始めた時には、私は絵画の知識があまりなかったので、不定期連載というスタイルにしてもらい、少しずつ勉強して描けたという感じです。
贋作画廊「ギャラリーフェイク」のオーナー・藤田玲司に対して、もう一人のメインキャラとなったのが中東の美少女、サラ・ハリファです。最初の読み切り時点で、キャラクターの固定は決めていなかったのですが、「このまま使えそうだ」ということで、だんだん固定していったという感じです。毎回出てくる藤田のライバルたちも、「使えるようになったら使っていこう」という行きあたりばったりで描いていました。
『ギャラリーフェイク』は、ほぼ美術の初心者向け――言わば入門編です。漫画1話分に描ける分量もそんなに多くはありません。入れられる情報量も限られるので、大体入手できる資料、書籍等で得られることからドラマを作っています。美術研究家のように専門的なことまでは、とても踏み込めません。
主人公の藤田玲司は、真作も贋作も扱う画商です。そのため、「一種のダークヒーロー」だと言ってくれる人もいます。私はヒーローらしからぬヒーローが好きです。笹沢左保先生の『木枯し紋次郎』、さいとう・たかを先生の『ゴルゴ13』もそうですが、私の脳内には“一匹狼”の主人公のイメージが染みついているのかもしれません。
露悪的なキャラクター。『1978年のまんが虫』にも描いていますが、高千穂遙さんという方は結構露悪的な話し方をする人物でした(笑)。藤田玲司にも、その何分の一かが入っているかもしれません。藤田玲司は露悪的ではありますが、彼の隠れた優しさが作品をハートフルなものにしています。心温まる感動がないと、漫画になりませんからね。この『ギャラリーフェイク』と『太郎』で、小学館漫画賞青年一般部門を受賞したのも忘れられません。
『ギャラリーフェイク』©細野不二彦/小学館
作品を描きながら考えること
私が描く露悪的なキャラクターと言えば、『電波の城』のヒロイン・天宮詩織(あまみや しお)を思い浮かべる人もいるかもしれません。「細野作品は、悪女も魅力的」とおっしゃっていただくこともありますが、自分としてはもう少し描けるところがあったのではないかと反省しています。この作品を描いていた頃は、松本清張の作品を読んでいて、ミステリー的な悪女物が描きたくなっていたんです。そこをベースにして、「舞台はテレビ局にしてみよう」というスタンスで描いていました。
ミステリー的な作品と言えば、『東京探偵団』という作品は1980年代バブル全盛期を舞台にしています。そこに少年少女の探偵団を登場させて、江戸川乱歩のレトロな時代感をぶつけてみたのです。私は子どもの頃から乱歩作品が好きなのです。映像的であり、キャラクターの立たせ方が上手いところなど、多くの影響を受けています。
私は自分が興味を持った様々なテーマを、漫画としてかたちにしてきました。『バディドッグ』ではAI(人工知能)をテーマにしました。専門家のアドバイスを受けながら描いたのですが、キャパ・オーバーもいいところです。AIの成り立ちとか、どういう構造なのか、全然分からなかったから……。
「ロボットがあったらいい」とか、「ロボットが人間の心を理解して、手助けしてくれたらいい」というのは、人間の果てのない欲求です。
ロボットを人間に近づけるにはAIの技術が必要になりますが、最近のAIの発展には目を見張るものがある。この時代に、こんな風にAIが社会に浸透するなんて思ってもいませんでした。
SFのジャンルで、ロボット・テーマの第一人者と言われるアイザック・アシモフが*「ロボット三原則」という考えを示しています。私はAIが何をやってもいいというわけではないと思うのです。現代のアシモフに相当する人が現れて、「AI三原則」を提示する時期が来ていると私は思っています。
(*「ロボット三原則」=第1条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、人間に危害が加えられるのを見過ごしてはならない/第2条 ロボットは、第1条に反しないかぎり、人間の命令には従わなければならない/第3条 ロボットは、第1条および第2条に反しない限り自分を守らなければならない)
追い込まれて出てくるアイディア
私の作品について、「ジャンルを問わずに漫画を描いている」とおっしゃっていただくことがありますが、実に嬉しいことです。私は『愛しのバットマン』で野球界を、『太郎』でボクシングを主題にするなど、スポーツ漫画も描いています。
最近は各分野に精通した漫画家さんが多く、充実した情報をもとに深く掘り下げた作品を描いていらっしゃる。それに比べると、私の作品は生かじりの知識で描いていると思うんですよ。
ただ、私は少年漫画の歴史とともに成長し、漫画の発展を体験してきているせいか、漫画にいろいろなジャンルがあることを知っています。野球漫画というジャンルを知っていたから、過去の様々な名作を知っていたから『愛しのバットマン』を描けました。スポーツ物に限らず、『BLOW UP!』のような音楽物もしかりです。
長いこと漫画を描いていると、「そろそろアイディアがないよ」と思ってしまいます。それでも追い込まれると、何かが出てくるものなのです。『バブル・ザムライ』を描き始めた時も、もうアイディアがないと思ったものの、やらなければならないと思い直して描いたのです。
漫画とアニメに育てられてきた私は、自身の作品もエンターテインメントとして描いてきました。今も日頃からアンテナを広げるように努めています。新しい作品を描きたいと、心動かされるテーマに会えるのを待ちながら――。
取材・文=メモリーバンク *文中一部敬称略





