【漫画家のまんなか。vol.30 たかなししずえ】「何も起きない日常のドラマを描きたい」 漫画家・たかなししずえの創作アプローチ
トップランナーのルーツと今に迫る「漫画家のまんなか。」シリーズ。昭和の古き良き時代の日常を描き、ファンを魅了し続ける漫画家・たかなししずえ先生にお話を伺います。
たかなし先生と言えば、愛らしい犬のキャラクターで一大ブームを巻き起こした『おはよう! スパンク』(原作:雪室俊一)や『おジャ魔女どれみ』(原作:東堂いづみ)など、さまざまな代表作があります。
いずれの漫画も、少女や動物の視点から日常を描いた温かい作品ばかり。その創作の原点には、猫とともに伸びやかに育った少女時代があったと言います。出身地・鴨川市の思い出から、おとめちっくな少女漫画に受けた影響、これからの展望までお話を伺いました。
▼たかなししずえ
千葉県鴨川市生まれ。鴨川第一高等学校(現・鴨川令徳高等学校)卒業。「なかよし」まんがスクールに投稿し、
1975年発表の『桃太郎よりお星さまへ』でデビュー。1978年から
1982年に「なかよし」で連載した『おはよう! スパンク』(原作:雪室俊一)は、テレビアニメ化されて一大ブームを巻き起こした。
1981年、同作で第5回講談社漫画賞少女部門を受賞。
2008年、愛猫との思い出を綴った『ちこちゃん、あーそぼ』を猫漫画専門誌「ねこぱんち」に発表(後に『しーちゃんとねこ』に改題)。『しーちゃんのごちそう』をはじめ、懐かしい昭和を舞台に小学生の女の子・しーちゃんと家族、猫との交流を描く作品群は、シリーズ化されて根強い人気を誇っている。そのほか代表作に、『おジャ魔女どれみ』(原作:東堂いづみ)などがある。
しーちゃんの町へようこそ
私は鴨川生まれの鴨川育ち。房総半島の南東部、外房に位置するこの町で、現在も暮らしています。美しい海岸線と豊かな自然が魅力のこの地で、『おはよう! スパンク』(原作:雪室俊一)などの漫画は誕生しました。
2008(平成20)年に「ねこぱんち」(少年画報社)で発表した『ちこちゃん、あーそぼ』(後に『しーちゃんとねこ』に改題)以来、私は「しーちゃん」というキャラクターを主人公にして、半自伝漫画のシリーズを描いています。しーちゃんのモデルは少女時代の私自身。人々が白黒テレビに興奮し、新幹線に憧れていた時代――昭和 30年代の鴨川を舞台にした作品です。
鴨川の景色も、時代とともにずいぶん変わりました。それでも私が育った商店街は、昔と変わらぬ姿で残っています。「しーちゃん」シリーズに登場するお豆腐屋さんや、お肉屋さん、お魚屋さんもそのままです。
私は髙梨商店という雑貨店の一人娘でした。父にとっては47歳で初めて授かった子どもだったので、私が心配で心配で仕方なかったみたいです。子どもというより、“孫”のような感覚だったと思います。私がお友だちと遊ぶ時も、相手が家に来てくれれば安心するという過保護ぶりでした。
漫画「しーちゃん」シリーズには、優しすぎるお父ちゃんと、しっかり者のお母ちゃんが登場しますが、二人は私の両親そのものなのです。
猫とお人形遊びが大好きだった
物心ついた頃から、私のそばにはいつも猫がいました。両親は店の仕事があったので、猫は私と一緒に遊ぶ“子守役”でもありました。
私の記憶では、チコちゃんが最初に知り合った猫です。私はこれまで沢山の猫を飼ってきて、どの子も同じように可愛く思っています。それでも特別に可愛い猫がいるもので、チコちゃんも忘れられない 1匹だったと言えるでしょう。
我が家には入れ代わり立ち代わり猫がいて、私は歴代の猫たちと一緒に、のびのびと少女時代を過ごしました。当時の私が好きだったのは、お人形さん遊び。バービー人形で有名なマテル社が出しているスキッパーというお人形は、バービーの妹という設定ですが、このスキッパーこそが、父が私のために初めて買ってくれたお人形でした。
まだストーリーと呼べないようなものですが、お人形遊びをしていると自然とドラマが生まれます。私はお人形遊びを通して、ドラマ作りの醍醐味に触れていたのかもしれません。
「しーちゃん」シリーズに登場しますが、隣家の写真屋さんには“まこちゃん”という女の子がいて、珍しいお人形を持っていたんです。いつも羨ましいと思っていましたが、大人になってもそんな思いが残っているのでしょうか。私は今でもお人形を買ってしまうんですよね。お店で見かけると、なんだか目が合ったような気がしてならないのです。今もスキッパーやバービーが大好きで、コレクションしています。
『しーちゃんのごちそう』(C)たかなししずえ/少年画報社(第4巻「カツ丼」より)
漫画との出会い
私が小学生の頃でしょうか。石森(現・石ノ森)章太郎先生の*『さるとびエッちゃん』が大好きだった記憶があります。主人公のエッちゃんこと猿飛エツ子は、小さいながらもパワフルな女の子。それもそのはず、自称・猿飛佐助の 33代目の子孫という設定です。私は愛くるしいエッちゃんの姿や、楽しいコメディに夢中になりました。エッちゃんのような女の子を描いてみたくて、真似てみたこともあるほどです。
(*『さるとびエッちゃん』=石森〈石ノ森〉章太郎の漫画作品。昭和39〈1964〉年より「週刊マーガレット」〈集英社〉で連載スタートした『おかしなおかしなおかしなあの子』等の作品群を後に改題)
当時、近所にとても絵の上手い方がいたんです。私より4歳上で、お姉さんのような存在の人でした。私は、彼女がいろいろ描いているのを見て、真似して描くようになりました。この頃はまだ“絵だけ”を描いていたんです。お話も含めて、漫画らしいものを描くようになったのは中学生になってからのこと。中学校で友だちになったのが、やはり絵の好きな人だったので、二人で夜中まで絵を描いたりしました。
そうは言っても、まだ中学生まではノートに漫画を描いていたと思います。「本格的に、漫画を描いてみたい」と思うようになりましたが、今ほど情報がなかった時代です。漫画の描き方が分からなくて、困った覚えがあります。
スクリーントーンなんて見たこともなくて、「一体どういうものだろう」と思っていました。石森章太郎先生の『マンガ家入門』(秋田書店)という入門書で、初めて漫画の描き方を知ったんです。そこにはストーリーやキャラクターの作り方から、ネーム(下絵)を描いてペンを入れて仕上げる工程、さらに必要な道具までが具体的に説明されていました。この本のおかげで、私は漫画家になるための一歩を踏み出すことができました。
初めての持ち込み体験
漫画を描き始めたものの、最初は作品1本を仕上げるのでさえ大変でした。描いているうちに、「次の作品に行ってみたい」という気持ちになるのです。未完成の作品が山積みになる一方で、なかなか作品を仕上げることができずにいました。初めて読み切りを描き上げたのは、中学3年生の時だったと思います。原稿用紙に描いたわけではありませんが、ノートを使って漫画を最後まで描くことができました。
高校生になってから、小学館の編集者に作品を見てもらったことがあります。鴨川は、東京の都心部からそれなりの距離があります。それでも不思議なもので、私は漫画にゆかりのある方との出会いに恵まれました。ご近所に高校の先生をしている方がいたのですが、その娘さんが小学館にお勤めになっていたのです。「漫画を描いているなら、持っておいで」と声を掛けていただいて、小学館に持ち込みをしました。
当時の編集部は、プロの漫画家の生原稿を見せてくれました。小学館を訪れた私は、竹宮惠子先生の原稿を見せていただいています。竹宮先生の美しい原稿に感動すると同時に、“プロの世界”を見せつけられたような気がしました。プロの先生方の原稿に比べたら、「私なんて……」と思い、自信を失ってしまったのです。
高校生になった私は、萩尾望都先生などのお作品が好きになり、真似をして描いていました。ところが、どうにも画力がついてこないことに気がつきました。さらに壮大なドラマに満ちた作品は、“私らしくない”と思ってしまったのです。そんな私が漫画家になるきっかけが訪れます。
“おとめちっく”な漫画に活路を見出す
1970年代も半ばになると、「りぼん」(集英社)を中心に“おとめちっく”な少女漫画がブームとなります。陸奥A子先生、田渕由美子先生、太刀掛秀子先生などが描く世界は、女の子の憧れやロマンスが詰まったラブコメディ。私は先生方のお作品を読んで、「なんて可愛いんだろう」と驚きました。
私は昔から海外の児童文学が好きでした。『大草原の小さな家』(ワイルダー)や『赤毛のアン』(モンゴメリ)のようなお話です。舞台となる異国の風景への憧れもありましたが、少女の日常に寄り添ったお話が魅力的に思えたんです。
作中で大きな事件が起こるわけではありませんが、主人公の視点で日々の小さな出来事が丁寧に描写される――言ってみれば、“何も起きない日常のドラマ”が好きなんです。おとめちっくなラブコメであれば、こうした世界を描くことができます。私はこうした少女漫画に挑戦してみることにしました。
これもまた不思議なご縁だと思いますが、お向かいの家のご主人が講談社にお勤めされていました。私はその方に漫画をお見せしたり、講談社の雑誌に投稿するようになります。当時は様々な少女漫画雑誌で、「まんがスクール」という名の投稿コーナーが設けられていました。作品を投稿すると、プロの漫画家の先生や編集の方から講評をしてもらえるんです。
講談社の雑誌では「少女フレンド」と「なかよし」に投稿しましたが、「少女フレンド」の編集者は優しい方で、「このまま頑張ってください」というコメントをいただきました。一方「なかよし」の担当者は厳しい方で、お手紙でダメ出ししてきたんです。ダメなところを便箋13枚くらいに赤字で書いてあるのを見て「悔しい」と思いましたが、「褒められるだけなら、自分の欠点に気づくことができない」と考えるようにしました。きちんと「ダメ」と言ってくれるところに魅力を感じ、投稿先をあえて「なかよし」1本に絞っています。
おとめちっく漫画は、「りぼん」で大人気となっていましたが、まだ「なかよし」にはそのような漫画がありませんでした。そのことが幸いしたのでしょうか。私は「なかよし」の「まんがスクール」に投稿した『桃太郎よりお星さまへ』を評価していただき、念願の漫画家デビューを果たします。19歳の時のことでした。
初期の作品の思い出
私は高校3年生の時に、父を亡くしています。母と二人で暮らすため、高校卒業後は地元に残っています。それからデビューが決まりましたが、担当編集者の方が実家で漫画を描くことを理解してくださったこともあり、今に至るまでずっと鴨川で活動しています。
デビュー後は、「なかよし」から読み切りの注文をいただきました。『こっちむいてスーキー』が、初めての連載作品になるでしょうか。スーキー(スーザン)という少女が、パパに手紙を書き送るという形式で日常の物語を紡ぎました。
この時代に描いた漫画では、『しあわせ色の風景』も思い出深い作品です。北海道を舞台にした漫画で、猫や馬など動物がたくさん登場します。私はスパンクを描く前に、この作品でも大型犬を描いているんですよ。私はどちらかというと“猫派”ですが、漫画のキャラクターとして描くには大型犬は特別な存在感があって可愛いですね。
スパンク誕生秘話
デビューから3年経った1978(昭和53)年、「なかよし」で『おはよう! スパンク』の連載が始まります。原作は、アニメの脚本家として有名な雪室俊一先生です。私は『サザエさん』や『バビル2世』など、雪室先生が参加されているアニメが大好きでしたから、お名前を聞いた時ビックリしました。初めてご挨拶をさせていただいた時は緊張しましたが、雪室先生はとてもお優しい方で「たかなしさんの好きなように描いてください」とおっしゃってくれました。
『おはよう! スパンク』の主人公・森村愛子は、ヨットで出航したきり行方不明になった父の帰りを待っています。彼女の心の拠り所が愛犬のパピーでしたが、このパピーも交通事故で亡くなってしまうのです。パピーを失い、悲しみに沈む愛子の前に現われたのが、ちょっと不格好な野良犬・スパンクでした。愛子はスパンクとの交流で、少しずつ笑顔を取り戻していきます。
雪室先生の原作は、シリアスなお話で幕開けをしたのでドキドキしたのを覚えています。「どのように描いたら良いのか」と悩みましたが、「好きなように描いてください」という雪室先生の言葉のおかげで、のびのびと描くことができたと思います。
スパンクは、犬でありながら人間じみたキャラクターです。お節介でドジなスパンクが巻き起こす騒動は、ストーリーに明るいタッチをもたらしました。もちろん雪室先生の原作のおかげですが、担当編集者さんの頑張りぶりも凄かったんです。スパンクにスーパーマンのような恰好をさせるなど、私では考えつかないようなアイディアを出してくれました。
私が漫画を描いていると、たまに作品がおとなしくなってしまうことがあります。描いている本人はそれが分かりにくいので、誰かに見てもらい客観的な意見を取り入れたいと考えています。スパンクというキャラクターの魅力は、私だけでは生み出せなかったと思います。
『おはよう!スパンク なかよし60周年記念版』(C)雪室俊一・たかなししずえ/講談社
動物キャラクターの魅力
『おはよう! スパンク』は、1981(昭和56)年にテレビアニメ化されて、多くの方に愛していただきました。アニメは日本のみならず、海外でも放送されています。イタリアにはスパンクのぬいぐるみやグッズを売っているお店もあるそうです。それを聞いて、とても嬉しく思っています。
ファンの方は、スパンクの白い毛並みや、デフォルメされたデザインが可愛いとおっしゃってくれます。先述のとおり、私は『大草原の小さな家』が好きなのですが、テレビドラマ版ではインガルス家の愛犬としてフワフワの中型犬が登場します。そのイメージでスパンクを描いていましたが、連載しているうちにどんどん大きくなっていきました。そこでスパンクは、オールド・イングリッシュ・シープドッグという設定にしています。
『おはよう! スパンク』のアニメ版では、声優・つかせのりこさんがスパンクを好演してくれました。最初は犬らしく「ワンワン!」というセリフだったと思いますが、つかせさんが話す言葉は次第に独特な“スパンク語”になっていきました。
でも原作の漫画では、スパンクは喋りません。スパンクの表情やしぐさの描き分けで、読者に気持ちを伝えなければならないわけです。そこがとても難しかったですね。ただ、主人公の愛子がとても優しい女の子で、スパンクの気持ちに気づいて上手く代弁してくれるんです。スパンクが起こした騒動の原因を、「こういう気持ちだったのね」と察して読者に伝えてくれるわけです。
私は『おはよう! スパンク』だけではなく、様々な作品で動物を登場させています。現在連載中の「しーちゃん」シリーズもそうですが、動物が一緒にいるとストーリーを作りやすいんです。
作中で、動物に喋らせることができれば簡単だと思いますが、私はあまり動物に喋らせることはしていません。動物が人の言葉を解し、対等に話すことができるというタイプの漫画もあるでしょう。でも私の場合は、動物が人間と一緒に暮らす日常の風景が描きたいのだと思います。
企画ものに挑戦した『おジャ魔女どれみ』
1982(昭和57)年、『おはよう!スパンク』の連載を終えた私は結婚をしました。それから6年ほど経ち、私は息子を授かったのを機に仕事を少しお休みしました。その後は、子育ての体験を生かして育児エッセイを描いたりしています。
息子が中学生になった頃でしょうか。私は久々の大きな連載に挑戦することになります。1999(平成11)年から「なかよし」で連載した『おジャ魔女どれみ』(原作:東堂いづみ)です。
東映アニメーションさんのアニメ作品のコミカライズ企画。春風どれみ、藤原はづき、妹尾あいこの3人は、魔女の正体を見やぶったことをきっかけに、魔女見習いになることに決まります。元気なおジャ魔女たちが活躍するファンタジー作品です。
「なかよし」は月刊誌ですが、1か月の間にテレビアニメの放送は4回あるわけです。その内容と並行しなくてはならないので、大変だった記憶があります。女の子の読者にとって、おジャ魔女たちたちのコスチュームは、楽しみの一つだったと思います。だけど、やっと描き慣れてきた頃に、シーズンが終わってコスチュームが変わってしまったこともありました。たとえばクリスマスには、クリスマス用のコスチュームやアイテムが出るわけです。
この作品では、『おはよう! スパンク』とは違った苦労がありました。メンバーもどんどん増えていって、最終的に6人になりました。
「しーちゃん」シリーズは“台所から生まれる漫画”
2008(平成20)年に始まった「しーちゃん」のシリーズは、今年(2025〈令和7〉年)17年目を迎える長寿作品です。「ねこぱんち」掲載作品から始まったシリーズは、食漫画アンソロジーコミック「思い出食堂」「みんなの食卓」「ひとりごはん」(以上、少年画報社)などでも連載するようになりました。
これまで『しーちゃんとねこ』『しーちゃんのたまてばこ』『しーちゃんのそれから』『しーちゃんの青春ごはん』『しーちゃんのごちそう』『しーちゃんかあさん』などの単行本にまとめられています。
このシリーズは、編集部からテーマのご提案をいただいて漫画を描くという流れで制作しています。最初にどの食べ物で行くかということを決めて、そこにストーリーを絡めていくんです。村松淳夫編集長は熱意にあふれた方で、「しーちゃん」のシリーズを陰日向で支えてくださっています。料理の知識も豊富にお持ちなので、アイディアをいただくこともしばしばです。編集長と電話で打ち合わせをしている間に、ストーリーができ上がったこともあります。
執筆に集中するための仕事部屋を設けたいと思ったこともあります。でも私の場合は家事の合間に仕事をしなければならないので、仕事部屋を持たず、居間や台所の近くで漫画を描いています。そういう意味では、私の作品は“台所から生まれる漫画”と言っても良いかもしれません。
「思い出食堂」など、食漫画のアンソロジーコミックに掲載する作品では、事前に料理を作ってみることもあります。特に、私が作ったことのない料理がテーマの時は、漫画を描く前に試作しているんです。『しーちゃんのごちそう』の「カルメ焼き」のテーマでは、息子と二人でカルメ焼きを焼いてみましたが、まるで理科の実験のようでした。夜店のおじさんがカルメ焼きを作ると、火にかけた砂糖液がプクッと大きく膨らんできます。でも自分で作ってみると、なかなかうまく膨らまなくて大変でした。
『しーちゃんのごちそう』(C)たかなししずえ/少年画報社(第3巻「カルメ焼き」より)
漫画がもたらした様々な出会い
「しーちゃん」シリーズは昭和30年代が舞台の作品ですので、今のように電子レンジなどの便利な調理器具があるわけではありません。顆粒の調味料も今ほど普及していないわけです。出汁から取ったり、蒸し器で蒸してみたり――漫画の執筆のため、当時の調理方法を試すこともしばしばです。
そうした漫画を描くための手間もありますし、年を重ねたことで以前のような速さで漫画を描けなくなってきたのも事実。それでも読者の方から「懐かしい」「また読みたい」というファンレターをいただくと、やりがいを感じます。
近年では、ゲームや映画のCG制作で有名な制作会社・ジャストコーズ プロダクションさんが『しーちゃんのごちそう』をアニメ化してくださっています。ただし、フル 3DCGアニメーションの制作には大変なコストが掛かるそうです。クラウドファンディングでみなさんにご支援いただき、完成まで漕ぎつけることができました。
これまで『しーちゃんのごちそう』のアニメは、「一品目 お子様ランチ」「二品目 ホタテの炊き込みご飯」が YouTubeに公開されています。昭和の懐かしい時代を知る世代から、しーちゃんと同じような小学生のお子さんまで、幅広い方に楽しんでいただきたいと思っています。
私は長年この地で暮らしてきたご縁で、鴨川市のゆるキャラ「たいよう君」「まっつー」「ななちゃん」のデザインもさせていただきました。鴨川の様々なスポット、看板などに描かれていますので、当地に足を運ぶ機会があったら是非見ていただきたいと思います。
私は大好きな漫画をきっかけに、様々な人に出会うことができました。応援してくださる人がいる限り、まだまだ漫画を描き続けたいと思います。
3DCGアニメ『しーちゃんのごちそう』 YouTube「思い出食堂チャンネル」にて公開中!
「思い出食堂」(少年画報社)で連載中の『しーちゃんのごちそう』が3DCGアニメ化された。「一品目お子様ランチ」「二品目 ホタテの炊き込みご飯」の他、CGアニメができる過程も公開中だ。ぜひチェックしてほしい。
取材・文・写真=メモリーバンク *文中一部敬称略





