※当時の内容をそのまま掲載してます。
●話の創り方が《普通じゃない》って気がしました
――eBigComic4に掲載中の『岳―みんなの山―』(以下『岳』)と、その作者・石塚真一先生のことについて、この作品の初代編集者である勝木大さんにお話をお伺いします。よろしくお願いいたします。
勝木 よろしくお願いいたします。
――それではまず、石塚先生との最初の出会いをお教えください。
勝木 石塚先生はアメリカの大学に通っておられたのですが、日本に帰国後、勤めていた会社が倒産したんです。みんなと「再就職どうしよう?」という話になった時に、石塚先生は「僕は漫画家になります」と宣言して。みんなが「は!?」って言ったらしいんです。 その後、英会話講師などのアルバイトをしながら漫画を描いて、小学館新人コミック大賞に応募し、入選しました。
――入選作はどのような作品だったのでしょうか?
勝木
冴えないおじさんが会社員の女性に恋をして、その女性は妻子ある人と不倫していて…というお話なのですが、ドロドロした感じはなくて、とても爽やかな話でした。
ちょっと話の創り方が、普通じゃない感じがしたんですが、それでいて、キッチリまとまっているんです。
なんというか、かっこいい話だなあと。「話を創る」という意味でも、これはすごい才能だなあとは思いました。
――画力の方はどうだったのでしょうか?
勝木
お話の方はすごく素晴らしかったのですが、画力的には発展途上といった感じでした。でも、魅力的な絵だと思いましたね。
最後のキメのシーンで、冴えない小柄なおじさんが、ジャズバーでピアノを弾くというシーンが、非常にかっこよく描かれていました。
今とはだいぶ違う可愛らしい絵柄でしたね。
――その後、どなたか漫画家の先生に師事されたりはしていたんですか?
勝木 一応、半年程度ですがアシスタントに入っていただきました。『岳』の第1話目は最初の応募作より、だいぶ上達されていましたね。
――『岳』のテーマ選びについては、アドバイスされたのですか?
勝木
最初に石塚先生と会った時に、アメリカで長く大学に通っていたという話をされまして。「アメリカで何を?」と聞いたら、「山に登っていました」と。
僕も村上もとか先生の『岳人(クライマー)列伝』、塀内真人先生の『おれたちの頂』といった山岳漫画が好きで、いつか山岳作品をと思っていたので、「じゃあ、山岳もので行きましょうか」と、ポンポンと決まっていきました。
――『岳』の連載が開始されたのは、それからどれくらい経ってからでしょうか。
勝木 受賞から連載まで、2年くらいだった気がします。スピード的には早い方だと思いますね。
――「オリジナル」では長期連載が多くて、新人が入り込むのが難しいと思いますが、ご苦労はありましたか?
勝木
当時は増刊号もすごい漫画家さんがいっぱいいて、なかなか入り込む余地がなくて。おまけに「山岳もの」なんか当たるわけがないと言われる時代でしたね。
最初は「オリジナル」の本誌で、《代原》として掲載されました。ある作品が締め切りに間に合わなくて「落ちた」ので、代わりの原稿として「岳」の読み切りが載ったんです。
その後、とりあえず増刊号に3回掲載してみよう、という形になりました。
――反響が良かったということですか?
勝木
反響というほどでもないのですが、まあ、上の人は「とりあえず3回載せてやろう」と。僕は自信がありましたので、「はい。まずはその形で結構です」と。
内心は、3話といわず、ずっと面白い話を描き続けられると思っていました。
決定した上司は懐が深かったのでしょうね。その後、増刊号で1回目が掲載された時に、3回だけの掲載ではなく、「連載にしよう」という形になりました。
――その後、「オリジナル」本誌に移ったのですね。
勝木 僕が担当したのは2集の途中までで、1年以上経ってからですね。本誌に行ったのは僕が異動して担当を外れた後、次の担当の時ですね。
――勝木さんは元々「オリジナル」編集部にいらっしゃったのですか?
勝木
僕は最初から「オリジナル」編集部でした。そこに8年いまして、『浮浪雲』のジョージ秋山先生、『釣りバカ日誌』のやまさき十三先生・北見けんいち先生、『風の大地』の坂田信弘先生・かざま鋭二先生、『P.S.羅生門』矢島正雄先生、中山昌亮先生、『ヒゲとボイン』の小島功先生、花輪和一先生…といった方々を担当しました。
その後、「週刊少年サンデー」に異動になり、今は「ビッグコミック」で、かわぐちかいじ先生の『空母いぶき』等を担当しています。
● 若い皆さんに「山に来て欲しい」
――主人公の島崎三歩は民間の山岳レスキューですが、石塚先生もアメリカでレスキューをされていたのでしょうか?
勝木 いえ、レスキューの経験はないのですが、石塚先生はアメリカで登山をされていたので、山に関してちゃんとした知識と経験があったんですよね。
――なぜ《救助もの》になったのですか?
勝木
石塚先生との打ち合わせで「山岳もの」をやろうという話になった時に、先生がいたアメリカでは、若い人がとてもカジュアルに山に登っていたというお話をされて。
当時、日本では若い人が山に登るということがあまりなかったので、そこで「もっと気軽に若い人が山に来るような世の中になってほしい」というのを、一番最初に作品の基本テーマにしたんです。
ただ、普通に「山は楽しいから、みんな山に来て欲しいよね」という気持ちで、そういう漫画を描いたとしても、ただぼんやりと山登りをする、という話になってしまっては、読者の方に魅力がよく伝わらないと思いまして。
山は楽しいところだ、という一方で、事故や遭難など、いろいろな出来事がありますね。そこで「救助」というものを通して、先ほどのようなテーマを伝えられないか、という打ち合わせをしまして。
――ちょうど、新人救助隊員の椎名久美が、「どうしてみんなこんな危険な山に登るんだろう」と思いながらも、徐々に山に惹かれていくキャラクターになっていますね。
勝木 はい。「山に来てほしい」のに、山の危険を描くという、矛盾している部分はあるんですが、「山」というのを描く上では避けては通れないところですので。
――ちなみに勝木さんは山登りの方は…?
勝木 僕は全然です(笑)。取材で登ったり、担当を外れたあとに石塚先生と一緒に秋の富士山に登ったりしましたが、石塚先生と違って、僕は体力がないので、死ぬんじゃないかと思いました(笑)。
――石塚先生は山登りは三歩みたいに楽しそうに?
勝木 全然苦もなく、楽しそうに登られますね。一人で登れば早いのでしょうが、僕に合わせてくれました。
――実際に「『岳』を読んで登山を始めました」という人は増えたのでしょうか?
勝木 そういう声はすごく多く聞きますね。若い女性にもいらっしゃいます。うれしいなあと思います。
● 石塚先生は三歩にソックリ!?
――石塚先生の印象は三歩みたいな感じですか?
勝木 やっぱり、三歩っぽいですね。タイプ的に非常に似ていると思います(笑)。いつも明るくて、辛いとか言わない。非常に魅力的な方です。
――それは石塚先生がアメリカで登山漬けの日々を送られてきたからでしょうか?
勝木 石塚先生は本当に気合を入れて山に登っていたので、漫画家としては特殊だと思います。でも、それは登山をしてきたからというよりは、元からそういう性格なんだと思います(笑)。
――三歩のキャラクターには、ご自身を投影されていらっしゃるんでしょうね。
勝木 ご本人は「こんな奴がいたらいいな」と思って描いていると思いますので、「投影している」とは思っていないでしょうが…でも、確かに似ていますね。すごいキャラクターを創ったなあ、と思いましたね、三歩は。
――石塚先生のように特殊な経歴をお持ちの漫画家さんというのは珍しいですね。
勝木 そうですね。漫画家を目指す人は、なるべく色々な経験をしておいて欲しいなと思います。そういったものがあると、どこかで自分を助けてくれることもあると思います。
――『岳』では、毎回、様々な人間ドラマで読者に感動を与えていますが、やはり石塚先生ご本人の経験や人間性があってのことなのでしょうね。
勝木
石塚先生の人間に対する眼差しは、とても優しくて、温かい感覚を持っていらっしゃるんです。長く付き合わせていただいている中で「この方は本当に性格がいいなあ」と思いますね(笑)。
漫画家としてだけでなく、人間としても珍しいタイプの人ですね。みんな石塚先生に会うと好きになってしまうという。そんな魅力がある人間ですね。
● 「すごいな!」とうなったシーンがこれ!
――よく読むたびに涙が出るといった、読者のご意見をお聞きします。毎回一話完結でキャラクターとドラマを考えていくというのは大変だったでしょうね。
勝木
僕が担当をしていた時は二ヶ月に1回の増刊号だったので、余裕がありました。
あの頃はお一人で描いておられたのですが、話作り、ネーム作りに1ヶ月、原稿の作画に1ヶ月ありましたので、けっこう時間的には恵まれていました。
いくらでも最初から描き直せる、話を考え直せるという時間がありましたので、ボツにしてまた次のを考えて、という感じでやっていました。
石塚先生にはすごい才能があると思っていましたので、ネームを待っているのが楽しみでもありましたね。
『岳』はデビュー作だったので、話を構築する訓練期間のような意味も含めて、あのペースは非常に良かったと思っています。
――お話作り、キャラクター作りの才能の方が、最初は突出していたわけですか?
勝木
そうですね。でも、絵に関しても、デビュー当時の絵に対して、編集部でも上手くないという人もいたんですが…「新しい作品」への反応の中には、そういう意見もあったりするものなので。連載を続けていくうちに、絵が変化していくのも、それはそういうものだと思いますし。
僕は第一集の頃の絵に関しては満足しているんです。心のこもった、いい線を引いていると思いますし、ちょっとほかの人には描けないような表現ができていると思ったんですよ。
――他の人には描けない表現というのは?
勝木 第一集に雪崩の話があったんですが…。
――ここでしょうか?(電子書籍の該当場面を指差す)
勝木 これですね。三歩は雪の下にいる人間を捜しているんですが、こんな間抜けな絵を描いているんですよ。この緊迫した状況で。一刻を争う状況なのですが、この絵の「抜け方」が、面白いなあと思って、とても印象に残っています。
――確かにこのコマは面白いですね。
勝木
ええ。これを見た時には「この人、すごいな」と思いまして。なんというか、変わった絵を描くなあという才能を感じたんですよ。小さなコマなんですが、すごく好きなコマなんです。
極限状態のギリギリのところで、ちょっとコミカル、とは言わないですが、不思議なコマだなあと。
――『岳』は、人間の死を《亡骸》としてちゃんと描くという意味でも、とても珍しい漫画かもしれませんね。
勝木 そうですね。石塚先生とは「人間の《死》をちゃんと描こう」という話はしていました。ただ、石塚先生の絵ですと、そんなにエグい嫌な表現にはならないので、その辺のバランスも結果的にとれていたのかなという気がしています。
――三歩の《死》に対する態度が、死に対する嫌悪感のようなものを和らげてくれているのかもしれませんね。
勝木
あの辺りの《死生観》というか、ちょっと特殊な《死》に対するスタンスというのは、石塚先生がお持ちのもので、決して僕の感覚から出てくるものではないですね。
だから、打ち合わせの中からは出てこない、石塚先生の作品になってはじめて出てくるものだと思いました。そういう感覚は本当にすごいなあと思いましたね。
――実際に、石塚先生は山登りの最中にそういうものに遭遇して、その経験を元に描いているんでしょうか。
勝木 それは、実際に見たということは、ほとんどないと思います。想像力や聞いた話で描いていて。人が滑落する現場を見る、とかいうことは、そうそう無いと思います。
――作中でも、三歩が「今月は4人死んだけど、何十人助けた」といったことを言いますね。作品に出てくるのは凄惨な事故が多いですが、そうでない描かれていないところでもたくさんの人を助けているんですね。
勝木 すごい人数が山に登っていて、ほとんどの人が楽しく帰っていくわけですよね。だから、そちらも本当ですし、読者の方も、それを理解してくれているから、山登りに来てくれるんだなあと思います。
――『岳』の読者にメッセージがございましたら、お願いいたします。
勝木 連載中も連載後も応援してくださった皆様、本当にありがとうございます。あのような新しい作品が大きく育ったのは、ひとえに読者の皆様の懐の深さ故と思っています。連載開始時に、終わっても長く愛される作品を目指そうと打ち合わせしたのを覚えています。これからも『岳』を末永くお楽しみいただけたら、何よりの喜びです。
――どうもありがとうございました。