「彼は自分が去った後の世界に物語を残した、計画を残した」「僕たちは彼の計画した世界を生きる」「Project
Itoh」……今年、2015年、そんなPVとともに、09年に34才の若さで世を去った作家・伊藤計劃によって書かれた三作の長編『虐殺器官』『ハーモニー』『屍者の帝国』が相次いで映画化されようとしていた……が、三部作の一作『虐殺器官』が諸事情により公開延期、それに伴い三番手のはずの『ハーモニー』が前倒し公開というまさかの展開が先週、Project
Itohを襲った。いくら「僕たちは彼の計画した世界を生きる」と言っても、さすがにここまでは計画してなかったのではないか、Project
Itoh。それともこれもまた計画のうちなのか、Project
Itoh……?
いや、Project
Itohの真意はどうあれ一介のライターである僕にできることは限られている。
伊藤計劃の書いた本をひとりでも多くの人に届けること。それも、映画のPVを見て「なんか難しそう」と気後れしてしまっている人、あるいは原作本をめくって「映画でいいや……」と思っていた人に。
公式サイトのPVを始め、伊藤計劃の作品がどれほど衝撃的で、現代的で、知的で文学的で社会的でエポックなものだったかは、すでに多くの識者によって語られている。けれどそれと同じぐらい、彼の作品は、めちゃくちゃ面白いエンターテインメントである。
米軍特殊部隊が世界各国を最新ガジェットと共に飛び回り、「ただの人間には興味がないの」な美少女が優しいセカイに反逆し、ゾンビが公共インフラを支える19世紀を舞台に、「あの」ワトソンくんや「あの」フランケンシュタインやあの「ヴァン・ヘルシング教授」がクロスオーバーする。そんなエンターテインメントを楽しんでいるうち自然と奥深いテーマにまで導かれている……というのが、彼のすごさなのであって、だからあんまり身構えずに、もっと気軽に手にとって欲しいと思うのだ。
というわけで、本特集では、そんなきっかけとなるよう、伊藤計劃作品の「面白さ」をできるかぎりかみ砕いて伝えたい。なんなら見出しだけ見て興味を持ったやつから読んでくれてもかまわない。もしかしたらかみ砕きすぎていささか誤解を招くかもしれないが、そこはそれ、もし本稿で興味をもってくれたのなら、僕の説明が合ってるかどうかも含めて、実際読んで確かめていただきたい。
題して……「五分で誤解(わか)る伊藤計劃」である。
1982年8月8日生まれ、茨城県出身。2004年よりライター活動を開始し、ライトノベル、SFを中心に書評や評論などを発表。 著書に『セカイ系とは何か』(星海社文庫)。現在、朝日新聞で書評欄「エンタメ for around 20」を担当中。
911後、テロと民族紛争の脅威にさらされた近未来。米軍特殊部隊所属のクラヴィス・シェパードは、頻発する虐殺の裏に潜む謎の男、ジョン・ポールを追って、世界各地を転戦する……というのが、07年に刊行された伊藤計劃のデビュー作で『虐殺器官』で、つまりは男の子がみんな大好きな鉄砲とスパイとホント戦争は地獄だぜーフゥハハハーハァーの話だ。
現在では「夭折の天才」というイメージでばかり語られる伊藤計劃だが、生前、特に作家デビュー前の彼は、こじらせ系男子(女子も?)御用達のウェブサービス「はてなダイアリー」に精力的に映画批評を投稿し続ける「非モテの星から来た男」だった(「伊藤計劃:第弐位相」http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/(外部サイト))。そんな彼が映画と並んで愛していたのが小島秀夫監督作品……『スナッチャー』や『ポリスノーツ』、そして何より先月最新作が発売されたばかりの『メタルギア ソリッド(MGS)』(※)で有名なゲームクリエイター、小島秀夫が生み出すゲームだ。
そんな映画マニアで「小島秀夫原理主義者」なひとりのブロガーが不意にある時、「いっちょ自分でも小島監督作品みたいなの書いてみるかー」と思いたって書いた作品。それこそが『虐殺器官』なのである(たぶん)。
だから、凄腕の特殊部隊隊員スネークが単独へと敵地へと侵入し様々なアイテムを駆使して任務達成を目指す……というゲーム『MGS』の要素を、『虐殺器官』はかなりの部分受け継いでいる。ハイテク装備の特殊部隊員が敵の武器を奪ったりしながらターゲットのもとに向かう……なんて冒頭はもちろん、中東の紛争地帯をなぜか『頭文字D』の藤原とうふ店の車が走ってるところとか、敵の黒幕が唐突に「好きだの嫌いだの最初に言い出したのは誰なんだろうね?」などと『ときめきメモリアル』の主題歌引用したりするパロディ精神もまた、小島秀夫作品のファンにはおなじみのものだろう。
そんな字で読む『MGS』としてゲームファンには楽しんでいただけると思う……え? だったら普通に『MGS』プレイすればいいだろって? まあ待って欲しい。『虐殺器官』には『MGS』とは決定的に異なる部分がある。それは……スネークの不在だ。
この手の軍事冒険小説の主人公は、『MGS』のスネークのように、過酷な戦場をタフに生き抜く男の中の男と相場が決まっている。だが伊藤計劃は、スネークのようなタフガイを主人公にはできない作家だったらしいのだ。というのも、彼はデビューの後、『MGS4』のノベライズ『メタルギア
ソリッド ガンズ オブ ザ
パトリオット』を手がけるが、その際、主人公ソリッド・スネークではなく、その相棒のオタク気質な研究者、オタコンを語り手に採用している。同作にかぎらず、彼の小説はすべてが一人称で書かれているのだが、語り手たる人物は皆、傷つきやすい感性をかかえ、ひたすらモノローグのなかで悩み続けるような繊細すぎる人間で……早い話が、皆そろって伊藤計劃自身の分身なのだ。
『MGS』を愛していてもスネークの視点は書けない……それは軍事冒険小説の書き手として致命的な欠点に見える。しかし、ならば彼はいかに『虐殺器官』を描いたのか?
……「過酷な戦場を生き抜くタフガイ」が書けない作家は、そこで「過酷な戦場を生き抜いても決してスネークのようなタフガイにはなれない世界」を描くことを選択した。
『虐殺器官』の先進国の兵士は、科学技術により、体はもちろんのこと、その心までも強固に守られている。たとえばそれは「怪我を認識しても、その痛みは感じなくする処置」であり、あるいは「銃を持った子供を撃ち殺しても良心の呵責は感じなくさせる処置」とかだ。
こうした処置のせいで、クラヴィスは戦場にあってもFPSゲームのプレイヤー程度の実感しか得られない(何せ、ダメージを受けたことはわかっても痛くはないのだ)。だから、戦場という「究極のリアル」が存在するはずの場所でさえ、さっぱり生の実感が得られない彼は、戦争を通じて大人になることなどできようはずがなく、失われた現実感を埋め合わせようとするかのように、作中でひたすら独白を繰り返す。……それこそ、はてなダイアリーに膨大な数の映画評を投稿し続けた、どこかの映画好きの青年のように。
言ってみれば『虐殺器官』は、スネークでなく、スネークのプレイヤーを主人公にしてしまった『MGS』である。コントローラーを握りテレビの画面越しにスネークを操っていたオレら自身がなぜか、戦場に立つことになってしまった物語。
オレらin『メタルギア ソリッド』。
そんな希有な体験ができるのが、伊藤計劃のデビュー作であり、すべての始まりとも言える本書、『虐殺器官』だ。高密度の軍事諜報サスペンスでありながら、同時にものすごく個人的な日記帳のような匂いもする本書の面白さは、やはり小説でこそ真に味わえるものだと思う。
映画版も公開延期になってしまったことだし、是非、原作で読んでみて頂きたい。
ところで余談。
『虐殺器官』のもうひとつ重要なテーマに「言語」がある。『MGS』最新作『V』をプレイされた方であれば、そこからきっと連想するものがあるはずだ。小島秀夫を愛する伊藤計劃が『虐殺器官』を書き、そして小島秀夫がそれへの返歌を『MGSV』で返す。そんな作品を介した応答にも注目してほしい。
※『MGS』
1998年に第一作がコナミから発売された人気ゲームシリーズ。敵に見つからない様に敵地に侵入するステルスミッションとハードボイルドな世界観が評価された
オタクの男の子はみんな心に乙女を宿している……統計によれば、そんな内なる乙女の受け皿となるのは、七割が百合、二割が男の娘、残りの半分は女装少年、その残りはもっとこじらせた何かである(ソース、俺)。
さて『虐殺器官』に続く第二の長編であり、星雲賞・日本SF大賞に輝いた『ハーモニー』は、伊藤計劃が己自身の内なる乙女を解放したSF百合小説だ。当然、女の子同士でおっぱいさわったりキャッキャウフフしたりする小説なのであり、本書でもって伊藤計劃はSF界に百合の花咲くキマシタワーを建設したのである。というわけで読むと良いと思います。以上。
……。
以上、で他に書くべきこともないと思うのだが、世の中には女の子の百合百合な話です、というだけでは読んでくれない人がいるらしいので、仕方ないのでもう少しだけ筆を進める。
〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界規模の大混乱をかろうじて乗り越えた21世紀後半。従来の政府に代わり、人類の生存と健康を最優先する新たな統治権力……生府が世界を治めていた。生府の市民は、体に埋め込まれた医療機械WatchMeによって常に健康に保たれ、そしてひとりひとりもまた隣人が健康であるよう、互いに気遣い合っている。
けれどもそうまで健康が重視されるのは、「人間とは貴重なリソースである」と見なされているからで、それは不健康であることが絶対に許されない社会である。酒や煙草はおろかカフェインさえ有害物質扱いされるそこでは、自傷行為……自殺なんてもってのほか……のはずだった。
だがそんな優しいユートピアで、突如、六千人の人間が一斉に自殺を図るという大事件が起こる。WHOの職員・霧慧トァンは事件の背後に、かつてこの優しい世界に反抗し、みずから死を選んだはずの幼なじみ、御冷ミァハの影を見る……というのが『ハーモニー』のあらすじだ。
本書は『虐殺器官』のその後を描いた作品であって、アニメ版『ハーモニー』の公開が前倒しになったことで、映画の方は時系列が転倒してしまっているのだが……まあ、直接の続編というわけではないから、どっちを先に読んでも(観ても)さほど問題はないだろう。
半世紀ほど前に人類がなぜか突然凶暴化して暴れまくって人類滅亡の一歩手前まで行ったため、「いのちだいじに」が世界全体の最優先事項になった。この程度に理解しておけば問題ない。
ところでいきなり話が変わるが、読者諸兄は、伊藤計劃も「オールタイムベスト10」と評価しする、デヴィット・フィンチャー監督、ブラッド・ピット、エドワード・ノートン主演の傑作映画『ファイトクラブ』をご覧になったことはあるだろうか?
主人公は全米各地を飛び回る自動車会社の社員。ひどい不眠症に悩まされ、唯一の生き甲斐は北欧家具や高級食器を自宅に揃えること……という典型的な消費社会の病める一市民。そんな彼の前にタイラー・ダーデンを名乗る男が現れ「俺を殴れ」と言い出す。ルールも何もない男同士の素手のケンカは、現代の男たちに生の実感を与える……ファイトクラブの誕生だ。タイラーはそこに集う男たちの先頭にたち、虚構と虚飾に満ちた消費社会への反逆……プロジェクト・メイヘムを企てる……という話。
観てなければ今すぐ観るべきだ。ついでにチャック・パラニュークの原作も読もう。その個性的な文体は伊藤計劃にも大きな影響を与えており、実は、長らく入手困難だったのが、今年になって晴れて早川書房から新装版が出たのだ。偉いぞ早川書房、百万年無税!
……なんの話だっけ?
そうだ、『ハーモニー』だ。
早い話が『ハーモニー』とは、百合でSFな『ファイトクラブ』である。
タイラー・ダーデンが消費社会に拳を突きつけるようにして、21世紀の女タイラー・ダーデンこと御冷ミァハが、意識の高すぎる社会の、意識の高すぎる人々に、ノーを突きつけるお話。
「こんな世界はクソだ!」……そんな若いときには誰でも一度は叫ぶ思いだろう。そうしてある者は手首にカミソリを当て、ある者は「ただの人間には興味がありません」とうそぶく。そんな青くささが本書には充満している。それこそ、伊藤計劃の書いた本の中で一番ストレートに「青い」本だと思う。
でも、その青さの背景を思うと僕は胸が詰まる。
あらゆる病が早期に発見され治療される『ハーモニー』の世界とは、言ってみれば伊藤計劃が癌に冒されずにすんだ世界だ。自分が死なずにすんだだろう理想の社会を構想した上で、その世界に中指をおっ立て否定してみせる。本書の少女たちが生きる「永遠の思春期」「永遠の反抗期」は、伊藤計劃自身が生きたものに他ならず、その思考の強靱さに、僕はシビれ、憧れるのである……。読者諸兄にとっても同じだと、うれしい。
ところで余談。
本書には、作品のテーマに関わるとある仕掛けにより、本文がHTML風に記述されているところがある。電子書籍版で読むと、一瞬、マークアップ言語がそのまま表示されているように見えるが、これは電子データの不具合とかではなく、そういう演出なので安心してほしい。一応、念のため。
屍者蘇生技術の発見により産業、軍事とあらゆる分野に「屍者」が普及した19世紀。異形の歴史を歩むロンドンで、医学生ジョン・ワトソンは、「ヴァンパイアハンター」ヴァン・ヘルシングにより英国の諜報員に抜擢され、世界初の屍者ザ・ワン――フランケンシュタインの怪物を巡る冒険に旅立つ……というのが伊藤計劃が残した「三作目」の長編……わずか30頁程度の冒頭のみをもって絶筆となった作品を、彼と同じく07年にデビューした「盟友」円城塔が書き継いだ合作小説『屍者の帝国』だ。
『シャーロック・ホームズ』に、『フランケンシュタインの怪物』に、『吸血鬼ドラキュラ』……そんな様々な古典名作の登場人物がもし一度に介したらどうなるか……そんな誰もが一度は思い描いた(そうか?)夢の文学デスマッチ。それが本作だ。正直、僕程度の教養では到底理解が追いつかない部分も多いのだが、わかるかぎりで内容を追っかけてみよう。
全三部作からなるこの物語のトリは第一部『オレの弟がこんなに地獄の黙示録なわけがない』である。英露が覇権争いを繰り広げるアフガンの闇の奥に赴いた我らがワトソンくんを待ち受けていたのは、大量の屍者を集めて独自の勢力圏……屍者の王国に君臨する王・アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ……ああ! あのカラマーゾフ家の良心がどうしてカーツ大佐に! お父さんが天国で泣いているぞ!
そんな驚きも冷めやらぬまま、アリョーシャから得た手かがりをもとにザ・ワンを追うワトソンくんたち英国諜報員は、一路明治の日本へ。そんな第二部は『明治十二年の007は二度死ぬ』。禁断の技術を手にした大里化学とその背後に見え隠れする謎の犯罪結社・スペクター!
元米国大統領暗殺計画! どいてご主人様、そいつ殺せない! きらめくサムライソード! サケ!
フンドシ! パンツじゃないから恥ずかしくないもん!
本当にこういう話だ信じろ!
そうしてすべての物語は始まりの場所・大英帝国において決着する。みんな大好きノーチラス号に乗ってワトソンくんが向かう決戦の舞台はロンドン塔。その奥に鎮座する階差機関(ディファレンス・エンジン)のもと、第三部『フランケンシュタインの怪物 ザ・ワン対ヘルシング』のゴングが高らかに鳴り響く!
……イカン、あらすじ書いてるだけで楽しくなってきてしまった。
ともかく「あのキャラとあのキャラが出会ったらどうなるか?」「あの技術をあいつが使ったらどうなるか?」なんて僕たちの大好きな「妄想」が炸裂したスチーム&オカルトパンクな「スーパー19世紀文学大戦オブザデッド」。それが『屍者の帝国』なのである。
もう本書についてはこれ以上の説明は不要だと思う。上記の固有名詞にピンとくるものがあれば、是非とも手に取っていただきたい。
さて、すでに先日10月2日より、本作『屍者の帝国』の映画版が全国の劇場で公開されている。小説という媒体に徹底的に最適化されたところがある伊藤計劃作品のなかで、『屍者の帝国』は例外的にビジュアル主体の面白&トンデモガジェットが次々と登場する小説であり、映画化のトップバッターとして本書が選ばれたのも納得できる話だと思う。
屍者が馬車を引くロンドン、全世界にネットワークを張り巡らすチャールズ・バベッジの機械式計算機、あるいは隊列を組んで進撃する屍者の兵隊の『屍の行進(デス・マーチ)』、そして下着じゃないから恥ずかしくないアレとかが、いかに映像化されているのか、是非、原作を読んだら確かめに行ってほしい。
そしてまた、まさかの公開延期となってしまった『虐殺器官』だが……これまでだって著者急逝により絶筆となった『屍者の帝国』が、別の著者によって書き継がれて復活してきたりしたのが伊藤計劃作品なわけで、むしろ、実に「らしい」展開とさえ言える。
もし、今回の特集で伊藤計劃に興味を持ってくださった方がいたら、是非、この混乱も含めて伊藤計劃作品の醍醐味と、経過も含めて楽しんでいただければいいのでないかと思う。
僕は、そうするつもりである。
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