大石まさるが描くのは、日々、より良く生きようとする人々の物語だ。その舞台が、地球のどこかでも、月でも、小惑星でも火星でも、はたまた別宇宙でも変わらない。生物がいて、生活するその日常が描かれている。遠くて近い大石まさる作品の魅力に迫る
――大石まさる作品には、美しい自然の風景や、そこでの様々な営みが描かれています。そこには、大石まさるさんの実体験が反映されているのでしょうか?
まったくそんなことは無いです。生まれは東京で、すぐに千葉に移ったんです。千葉と言っても東京に近い方なので都市部暮らしでした。田舎への憧れがあったんですね。
――田舎ぐらしは体験されていないのですか?
中学卒業してから印刷屋さんに勤めたり、アルバイトしたり、フラフラしていました。18歳ぐらいの時にうどん屋にアルバイトで入って、そのまま社員にしてもらったんです。ここは転勤が多くて楽しかったですね。1年ごとに転勤があるんですが、神奈川の小田原と、福島に転勤しましたね。
その時代にいろんなことをしました。小田原は酒匂(さかわ)川が近かったので、鮎を釣ったり渓魚をつったり。
仕事は拘束時間が長かったのですが、朝起きて釣り行ってから出社したりができたんです。若かったからタフでしたね。ちょうどそのころ、野田知佑さんのエッセイを読んでアウトドアに憧れていました。わかりやすくいうと「BE-PAL」(※1)の世界。もう大好きでしたね。
絵は趣味で描いていましたが、風景画とかで、漫画の絵ではないです。
――絵を学ばれていたことはあったのでしょうか?
絵を学ぶ機会はまったくなかったですね。中学生時代は吹奏楽部でした。漫画家の柳沼行さん(※2)は、中学の同級生ですが、部活が一緒だったんです。彼はサックスで僕はトロンボーンでした。彼はそのころから絵がうまくてね。
――のちの漫画家二人が吹奏楽部というのも面白いですね。
当時、一緒にマンガを描いたりはしていなかったですね。吹奏楽部だから、やることは【腹筋】ですよ。卒業後も、たまに飲み行ったりとかして、今でもちょくちょく会っています。でも彼は僕と違ってアウトドア大嫌いですね(笑)。
――漫画家を目指すことも話されていたのでしょうか?
していないですね。お互いがそれぞれ勝手に、これしかないだろうと思ってマンガ家になった感じです。
――漫画家を目指された経緯を教えてください。
うどん屋をやめて、しばらくフラフラしていたんです。なにかしなきゃいけないんだったら、好きだった漫画家になろうと、決めちゃったもんですから。その間ずっと実家にいるわけですが、これが情けないんですよ。部屋も隅っこでね。
その当時は投稿しか漫画家になる方法がなかったので、とりあえず投稿しましたね。有名どころは怖かったので、マイナーな雑誌ばかりです。
――どのくらいのペースで投稿されていたんですか?
4コマを描いたりショート漫画を描いたり、半年に1本くらい投稿していました。全然量を描いてないんですよ。
そのうちに、エロマンガ雑誌の「Comic winkle」(海王社)に投稿した作品がいつの間にか掲載されていて、それが漫画家デビューです。23~4歳のころですね。
――漫画の描き方はどのように学んだのですか?
古本屋で当時5000円くらいした『漫画家入門』(石ノ森章太郎)を買って。高かったんですけど、石森章太郎(現在は石ノ森章太郎)先生なら間違いないだろうと思いまして。
あと、読めるマンガは全部参考にしていましたね。当時は吾妻ひでおさんに傾倒していて、特に好きだったのは『スクラップ学園』というギャグ漫画です。
デビューした「Comic
winkle」で、その後、吾妻ひでお先生が『エイリアン永理』という作品を連載されて、一緒の雑誌に載ったのがすごく嬉しかったです。
その時の担当さんが少年画報社に移られて、僕も画報社で描くことになったんです。すぐに『みずいろ』の連載が別冊ヤングキング「キングダム」ではじまりました。
――一般紙デビュー作ともいえる『みずいろ』は、田舎に住む少年と、都会から来た女の子の甘酸っぱい出会いが描かれていますが、どのような経緯で誕生したのでしょうか?
まず、僕の中に「ボーイミーツガールは、古今東西問わず美しい」という信念があります。ボーイミーツガールは美しい。話の構図が美しい。「物語としてはこれが最強」と思っているのです。その気持ちから生まれていますね。
『みずいろ』には椎名誠さんが撮影した映画『ガクの冒険』(1990年公開)の影響もあります。四万十川の沈下橋がでてくるシーンに憧れたんですよ。
続く『ピピンとピント』も異星人が出てきますけど、基本はボーイミーツガールで、『みずいろ』とそんなに変わっていないと思います。
――その後の『水惑星年代記』からは主人公たちの年齢もあがり、ボーイミーツガールとは離れていく印象があります。
『ピピンとピント』までは少年マンガを描いている自覚があったんですが、だんだんと青年マンガを描きたくなってきたんです。
多分、少年マンガがヌルく感じられたんじゃないですかね。絶対に人が死なないとか、最後は必ず大団円で終わるとか。それは美しいけれど、物語としてはもっとパンチがあったほうがいいと思うようになってきたんです。
※1 小学館のアウトドア雑誌。1981年創刊。※2 漫画家。2001年に「コミックフラッパー」で開始した初連載作『ふたつのスピカ』はアニメ化、ドラマ化もされた。他の著作に『群緑の時雨』がある。
――海面が上昇した地球圏をベースに、時代や場所、主人公を変えながら描かれるオムニバスSF作品『水惑星年代記』は、各話のゆるやかな連結が魅力ですが、どのような経緯で誕生したのでしょうか?
新連載ということで、僕はSFをやりたかったんですが、担当者はボーイミーツガールをやらせたかったんです。でも、描く人は僕ですからね。はいはいっと言いながら、違うものを描くという(笑)。オムニバス形式もはじめから決まっていました。
読み切りで描いた「空からこぼれた物語」をベースに、ちょっと近未来で、もうちょっとゆるくなっている世界。地球が水没しているのは鶴田謙二さんの『Spirit
of Wonder』への憧れがあったんだと思います。
半分水没したビルのイメージとか、【水没した地球】というテーマは絵のイメージが強く浮かんでくるんですよ。
――タイトルに「年代記」とあるように、世界観全体を当初から決めていたのでしょうか?
先のことは考えていなかったです。タイトルもただ「年代記」って字面がいいし英語にしたときにも「aqua planet chronicle」がカッコイイ……という理由ですね。
――『水惑星年代記』は各話によって、様々なテイストで描かれていますが、「年代記」の枠の中で様々な挑戦をしてみたということでしょうか?
そうです。だから、話の繋がりもそんなに考えていなくて、あとで辻褄をあわせたんですね。「この人だれだっけ? 誰のお祖父ちゃんだっけ?」とか自分でも読み直さないとわかんないんですよ(笑)。
年表を作ったのは編集さんですが、大変だったと思いますね。色々矛盾もあるんですよ。
――連載と違い、1話ごとに新しい話を考えていくのは大変ではないでしょうか?
大変だけどオムニバスのほうが楽しいですね。前回を引きずらないですむので。
――次作の『おいでませり』では、『水惑星年代記』と異なり、女性・セリの日常が描かれています。
世界観だけは水惑星をひきずっていますけど、もうちょっとライトにしようと、アニメチックな絵にしました。『おいでませり』もそんなに後先考えないではじめました。樹の上に人が住んでいたら面白いなぐらいの発想からはじまっています。
――主人公のセリさんは、いい感じにだらしないです。
だらしない女性っていいじゃないですか! セリさんは僕の好みが強く入っていると思います。
もう、だらしなくして、なんか話をふられても何もしない人にしようというのがありました。ストーリーが先にあってキャラクターを作ったのではなくて、こういうキャラクターが好きだからというところから話を作っていった感じですね
セリさんの行動理念は「ま、いっか」ですね。セリさんは【いかない】奴なんです。
いしいひさいちさんが描いた『女には向かない職業』というマンガがあります。朝日新聞で連載している「ののちゃん」の担任の藤原先生が主人公なんですが、この藤原先生がすごくいいんです。だらしなくて(笑)。もしかしたら、セリさんにつながっているのかもしれません。
©大石まさる/少年画報社