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篠原千絵先生 デビュー30周年記念インタビュー

大ヒット作を次々と世に送り出し、漫画界の第一線を走り続ける篠原千絵先生。
画業30周年を迎えた2011年、デビュー当時を振り返っていただきながら、お話を伺いました。

一度はあきらめた漫画家への道

──デビューしてからしばらくの間は、サスペンスやホラー作品を多く描かれていますが、もともとそういうジャンルがお好きだったのでしょうか?

嫌いではありませんでしたが、とくに好きなジャンルというわけではありませんでした。デビュー直後担当氏からはプロットなら3本以上持ってこいと言われていたので、とにかく思いつくストーリーを書いて持って行きました。かなり多岐なジャンルを描いたと思います。
サスペンスを描き始めた発端は、次の担当氏が、ちょうど夏だったので「ホラーが描けるんだったら40枚あげる。本誌に載せるよ」といわれ、それまで増刊・31ページしかもらったことないわたしは「本誌・40ページ」につられて(笑)必死に勉強しました。…といっても、ヒッチコックの映画を見まくり、小説だとウィリアム・アイリュッシュあたりを読みまくる程度ではありますが。その時描いた『真夜中の訪問者』が、最初にだしていただいたコミックスのタイトルロールになりました。その後2年くらいは同様なサスペンスやホラーの短編を描いたでしょうか。望んで始めたわけではありませんが、けっこう性にあっていたみたいです。

──その後、初の連載作品『闇のパープル・アイ』が始まりますね。

デビューから3年目にいただいたお話でした。3年たってこの仕事で自立できなかったら、別の仕事を探そうと思っていて、転職も考えていた時に連載のお話をいただいたので有り難かったです。

──漫画以外にもお仕事をされていたのですか?

はい。当時は十代でデビューする方が多かったので、二十歳をすぎた頃にいったんプロをあきらめて就職したのですが、やはり性に合わなかったようで(笑)ふたたび持ち込みをはじめました。こちらも3年真剣に持ちこんでデビューできなかったら今度こそ真面目に働こうと思っていたのですが、ありがたいことに3年目でデビューが決まりました。
わたしが続けてこられたのはサスペンスを描いてこられたおかげかなと思っています。確認していないので真偽不明ですが、初単行本が連載作品ではなく短編集なのはあなたが初めてだ、と当時の担当氏に言われました。サスペンスは固定ファンが多いので短編集でも買ってもらえる可能性があると。
初連載の「闇パ」は当初単行本1冊分という予定でスタートしました。読者の方の反応をみながら、まず1回延ばしてと言っていただき、12回(単行本2冊分)になり、18回(3冊分)に…と結局単行本12巻まで延ばしました。とてもありがたいことですが、冷静に考えると恐いことですね。いろいろ綱渡り(笑)。でも長期連載はみなさんそんなものじゃないかな。

──『闇のパープル・アイ』はテレビドラマも話題になりましたね

連載終了後、かなり経ってからのお話でした。漫画を知らない方でも、テレビドラマは観たよと言っていただいて、たいへん嬉しいことでした。

『天は赤い河のほとり』その原点

──大ヒット作となった『天は赤い河のほとり』についても、ぜひ連載当時のお話をお聞かせください。

『天は赤い河のほとり』は、長く描きたいと思いつつなかなか具現化できなかった話でした。トルコというより中近東にはデビュー前から興味はありました。「篠原」はペンネームでして、いきなりデビューが決まりペンネームをつけなければならなくなったとき、そのとき描いていた短編の主人公の名字をとっさにつけてしまったのですが、その作品(単行本未収録)もトルコが題材でした。現在、連載をさせていただいている作品もトルコの話ですし、結局トルコが思い入れの深い国になってしまったのが、自分でもびっくりです(笑)。

──その興味の源泉は、なんだったのですか?

もともとはNHK特集の「シルクロード」だったと思います。そのシリーズを視てシルクロードの日本とは逆の端というのが魅力的に思え、西域の国々や中近東に興味をもちました。一番興味があったのはイランだったのですが、その地域は当時政情不安定で簡単に入ることができませんでした。そこで、比較的行きやすくて近いのはどこだと探すとトルコだったわけです。「シルクロード」にハマったのは十代でしたが初めてトルコに訪れることができたのは二十代になりデビューしてからです。上記のペンネームの元になった作品はまだ行ってないころに描いたものです。その頃から興味ある場所はイランとの国境近い東トルコだったようですね。今、読み返してみるとその地域が描かれていて我ながら感慨深いです。ずっと行きたいと願いつつまだ行けずにいるワンを含む東トルコが大きな震災にあわれたのは心に痛いです。
ハットゥサに行ったのは偶然そのとき参加したツアーのコースだったというだけです。ですが、その短い滞在時間で魅せられてしまって、それ以来ずっと描きたいと思っていました。

──ということは、デビュー以来ずっと胸に思いを抱え続けていらっしゃったのですね。

8年目ぐらいにやっと当時の担当氏からOKがでて実現しました。それまでは担当さんが変わるたびに「描きたい」とジャブをかましてみていたのですけど却下され続け…。そのときの担当氏にはさらにしつこく言いつづけたので相手が根負けしたカタチでしょうか(笑)。とりあえず1年やって、それで波に乗らなかったら連載終了、という条件付きで始めさせてもらいました。でも、連載は上記したようにたいていそういうものなので、描かせていただけるだけで嬉しかったです。
他にも掲載誌「週刊少女コミック」の読者の年齢層にわかりやすいスタート、展開などいくつか条件はだされたのですが結果としてそれは良かったと思います。そのような描き方にしたからこそ長期連載できたのだと思います。でも当初の条件をクリアし、好きなように展開させるまでに1年以上かかったので、1年で連載終了していたら泣いていたでしょうね(笑)。

──『天は赤い河のほとり』は、篠原先生にとっては、もっとも思い入れのある作品になりますか?

基本的には「進行形の作品に気持ちを集中」と思っていますので『夢の雫、黄金の鳥籠』(小学館「姉系プチコミック」で連載中)という現在連載中の作品がもっぱらの思い入れです。ですが、わたし自身の最長連載となり、気持ちよく燃焼したという意味で『天河』はしあわせな作品でした。この作品を最後に20年描かせていただいた「少コミ」も卒業しましたし、わたしにとってターニングポイントになった作品でしょうか。

常に“いま”に全力の篠原先生。これからの作品も楽しみにしています。どうもありがとうございました。