叩かれれば叩かれるほどファイトが湧いてきた
『ハレンチ学園』の連載が、「少年ジャンプ」で1968年から始まって、やっぱり当時としては内容が過激すぎたのか、徹底的に攻撃されましたね。逃げても逃げてもマスコミが追いかけてくる。ほとんどのワイドショーに出演しましたよ。出ると必ず“吊るし上げ大会”。「アンタは変態だ! 欲求不満だ!」と、まわりは“アンチ・ハレンチ学園派”。デビューしたての和田アキ子さんにも番組でイジメられましたよ。
でも、読者の若い子たちは応援してくれました。「親が『見るな!』といってマンガを取りあげるんです。もつとスゴいのを見ているくせに……」ってね。読者はなかなかクールですよ。だから、叩かれれば叩かれるほどファイトが湧いてきました。「もっと過激にやってやる!」と。
描きながら思いついたアイデアを漫画に
『あばしり一家』ではホントにデタラメをやらせてもらいました。父親の駄エ門は「エスパー」、長男の五エ門は「根っからのスケベ人間」、次男の直次郎は「破壊兵器のようなサイボーグ」、三男の吉三は「爆破の天才」、そして紅一点の菊の助は「ケンカの達人」、と5人の設定はきっちり決めて、この5人が出てれば、もうSFでもアクションでもなんでもOKという作品でした。ところがそれもどんどんエスカレートして、ストーリー中に誰かひとりでも出てくればいいということになっていって……今考えてもムチャクチャですよね(笑)。ボク自身は混沌とした世界を描くのが好きなんです。マンガのなかでなんでもやりたいという願望があるので、どんなことでもできる世界っていうのが便利なんですよ。
コメントの続きは『永井豪のヴィンテージ漫画館』にて自分自身がどんどん作品の世界にハマっていった
『デビルマン』ではやっぱり最終回が一番印象に残っていますね。人類すべてを滅ぼしてしまったんですから。描いているうちにどんどん感情移入してしまって、止まらなくなっちゃったんですよ。
やー、重かったですね、この作品は。体力的にも精神的にも限界ギリギリって感じ。天使が昇天するシーンがあるんですが、それを見た人が「ドラッグをやっているに違いない」と思ったそうなんですよ。モチロン、やっていませんが、そう思わせるものがあったかもしれませんね。かなり“トランス”した状態だったことは事実ですから。
ロボット漫画への憧憬と尊敬が生んだ新たなアイデア
「マンガ家になりたい」というボクの夢は、ある部分で『鉄腕アトム』や『鉄人28号』を超えるロボットマンガを描きたいという思いでもありました。ボク自身、ギャグマンガでデビューし、『ハレンチ学園』や『あばしり一家』というヒット作にも恵まれたのですが、心のなかにはいつもロボットのことがあったんです。しかし、これまでにないまったく新しいタイプのロボットを思いつくまでは絶対に描かないと心に決めていました。他の人と同じものを描いても仕方ないし、なによりアトムや鉄人という偉大なロボットたちに対して失礼ではないかと考えていたんです。
「人が乗り込むロボット」のアイデアを思いついたのは、ちょうどそのころのことでした。
それまでの自身の作品を彩ったキャラクターを総出演させたライフワーク
ジャックは歴史そして大自然を動かしていく巨大エネルギーの象徴として創り出したキャラクターです。そして人によって、まったく違った人物に見えるという設定にしました。関東スラム街編の逞馬竜にとっては厳しく自分を鍛えてくれる父親像。黄金都市編の早乙女門土にとっては強烈なライバル、関東地獄街編のアイラや奴隷農場編の菊の助にとっては愛の象徴……といったように。こうすることによって、ジャックとは一体誰なのか、なんなのかという謎が深まり、その人間性にも膨らみを持たせられると考えたんです。
コメントの続きは『永井豪のヴィンテージ漫画館』にて男の子ならだれでもが夢に描く天使のような女の子
『キューティーハニー』の始まりもテレビアニメでした。アニメ界では『デビルマン』で認められ、『マジンガーZ』で大ヒットをとばしていたボクに「これまでと違う新しいものを」という依頼が来たのです。最初のプランは「七変化もの」でした。その昔はやった映画『多羅尾伴内』の少女版といったらいいでしょうか、少女探偵が七つの変装を見せるという企画だったんです。(中略)設定を探偵にするのはなんだか古くさい感じがしたので、SF風の味つけをしてみました。主人公が七変化するなら、“変装”どころか“変身”させてしまえ、と“空中元素固定装置”なるハイテク機械も考え出しました。これなら七変化のために衣装を持ち歩く必要もないし、我ながら、便利なものを考え出したと思います。
コメントの続きは『永井豪のヴィンテージ漫画館』にて『月光仮面』のパロディに隠された深淵なテーマ
先生が最低で生徒の方がしっかりしてる(『ハレンチ学園』)とか、神と悪魔の関係(『デビルマン』)とか、そういう「逆転の発想」というのはボクのよくやる方法なんですが、『けっこう仮面』もそうした「逆転の発想」から生まれた作品のひとつです。といっても、ただ服を着てる部分と着てない部分を逆にしちゃったというだけの話なんですが(笑)。
でもよく考えてみると、顔さえなければ人格がないわけですから、顔を隠せば誰だかわからなくなる。結局、人間にとって一番恥ずかしいのは顔なんじゃないか? というふうに思ったんです。そこで、恥ずかしいはずの「体」を隠さずに、隠さなくてもいい「顔」を隠すとどうなるか? という逆転の物語になりました。結果として人間の持つ羞恥心というものをあざ笑うような作品になったというわけです。
食欲・性欲・闘争本能といった人間の本能的な部分をモチーフにDNAレベルまで設定を広げた
『デビルマンレディー』を「週刊モーニング」誌上で連載開始したのは1997年1月のことです。時は世紀末。世界情勢も雲行きが怪しく、全人類が世界戦争勃発の危機にさらされているように思えていました。ボクは『デビルマン』で反戦をテーマに、人類の未来への警鐘となりうる作品を描いたつもりです。しかし、そこに描かれた未来はあまりに悲しく暗いものでした。もし“デビルマン”となる人物が不動明ではなく女だったら、滅亡に向かう人類の光明になりはしないか? という思いから、新たなデビルマン=デビルマンレディーを生み出したのです。
コメントの続きは『永井豪のヴィンテージ漫画館』にて原作には描かれていないところを自分なりの解釈で描くおもしろさ
吉川英治先生の原作を読んでみて、さらわれてしまった咲夜子や主人公の伊那丸のその後などインスピレーションが湧いてきて。『神州天馬侠』の全体の流れからすると、おそらく吉川先生は、講談の『真田十勇士』を自分なりの解釈で作りたかったんだろうな、と思いました。
そこで、ボクとしては最初からそういう流れになるように、登場キャラクターを設定していきました。たとえば、忍剣を原作とは異なる青い目の大男に設定したのは、後の三好青海入道を意識してのものですし、呂宋兵衛も実は変装していることにして、霧隠才蔵にもっていきました。
オファーがあればもっと描きたい作品
『サラーキア』は「新たなロボットものを描いてください」というのが、編集部からのお願いだったんですよ。でも「ロボットものはもうやりつくしたよね」という思いが自分にはあって。仮に描くとしたら地上と宇宙はもう難しいだろうから、海中で描こうと思いました。
海のなかの物語を考えたとき、SF小説に田中光二さんの『我が赴くは蒼き大地』というのがあって。温暖化によって氷河が溶け、陸のほとんどが水没した世界、(陸地が)なくなった世界で人々が生きているという設定なんです。人間は環境に適合するためにエラを創ったり、目も涙がずっと流れているとか。そういう水没した世界でロボット同士の戦いを描けば、いままでとちょっと違う設定になるので、新しいロボットものができるかもしれない、と。
自分なりのオリジナリティをどこに見出すのか
「遠山金四郎(以下、金四郎)が江戸町奉行になって(桜吹雪を)見せるのは規定路線だから、そうなる前の放蕩時代をモチーフに、少しずつ桜の入れ墨を書き足していくのがおもしろいかな、と。実際、(金四郎には)芝居小屋に出入りして遊んでいたり、楽屋でちょっとバイト的なことをしていた、という話が残っています。金四郎が名奉行であったかどうかは定かではないけれど、庶民からの人気を集めたのは、彼は芝居小屋を守ろうとしたからなんです。(中略)『金四郎無頼桜』は、史実を下敷きにしているところはあります。でも、金四郎だけじゃ色気がないので、フィクションとして女の目明かしを登場させたりしました(笑)。
コメントの続きは『永井豪のヴィンテージ漫画館』にて