<あらすじ>あの名探偵・エルキュール・ポアロが、昭和初期に甦る第2弾! 昭和初期、雨夜、東京両国。一人の町医者が撲殺された!! 遺品から見つかった一枚の書き付け。そこに名が記された人物達が不可解な死をとげていた―― 死が死をまねく“呪い殺人”に 名探偵・英玖保嘉門はどう挑む――!?
<書店員のおすすめコメント>『ABC殺人事件』に続き、本作もアガサ・クリスティーの原作作品です。とはいえ原作にはポアロシリーズに登場する推理小説家、アリアドニ・オリヴァが登場するものの、ポアロは登場しません。2作目のコミカライズにこの作品を選んだことに、作者の心意気を感じます。呪いで相手を殺す、というモチーフはテレビドラマ『TRICK』でも多用されていましたが、本作にもそういった雨の匂いや土蔵といったヤバイ雰囲気が込められています。特に薬屋や神社、田舎の風景などが丁寧に描かれていて、作品の雰囲気を醸成するのに効果を上げています。絵馬の裏に願いを書いて叶える、という要素を本作に導入したセンスには脱帽。原作を理解しているだけではなく、どう演出すれば物語として面白くなるかが緻密な計算のうえに成り立っているように思います。
<あらすじ>勝負の世界でしか生きられない人々がいる。人は彼らをギャンブラーと呼ぶ……。「雀聖(じゃんせい)」蘇る!!伝説の勝負師、無頼作家・阿佐田哲也(あさだ・てつや)の青春!昭和20年――終戦。16歳の哲也は生きる希望を見失うが、博奕場の真剣勝負を体験することで気力を取り戻す。もっと強くなりたい!もっと勝負がしたい!そんな哲也は運命の糸に導かれて、進駐軍の米兵が支配する横須賀の裏通りに向かった。命をやり取りする闇麻雀の世界で、駆け出しの“坊や哲”は生き残れるのか……。
<書店員のおすすめコメント>作者名よりも作品名がメジャーになった感もある、星野氏の実質的な商業誌連載作。浦沢直樹氏のもとでアシスタントをしていた星野氏が「週刊少年マガジン」(以下、週マガ)の新人賞で入選を果たし、『哲也-雀聖と呼ばれた男』(以下、『哲也』)の企画を温めていた編集部からの意向を受けての連載だったといいます。ちなみに星野氏自身は麻雀では、浦沢氏のほかのアシスタント仲間のカモにされていたそうです。連載当時「週マガ」は読んでいたものの『哲也』の個性的な絵を受け入れられず、正直あまりリアルタイムでは読んでいませんでした(爆)。改めて読み直すと『MMR マガジンミステリー調査班』の「な……なんだって」に通じる引き、『金田一少年の事件簿』で金田一が犯人のトリックを解き明かすまでの流れが、『哲也』に登場する玄人(バイニン)のイカサマを解き明かす流れに通ずるものがあり、同時期の掲載作を血肉にしながら連載を継続していたことが分かります。第7巻までの畳みかけるような物語展開は、原作の秀逸さもあると思いますが、作者の構成力あってのものだと思います。第29巻以降にはギャグに振った哲也の意外な表情が登場したり、全巻を通して読むのはたいへんですが、通読することによるご褒美がたくさん用意されている作品でもあります。
<あらすじ>あいつが、負ければいい―― 栄光の巨人軍を支えた大投手―― 「怪物」・江川卓と「雑草」・西本聖。二人の壮絶な“戦い”の始まりは高校時代へと遡る… プロ野球史に燦然と輝く最強のライバル伝説、開幕――!!
<書店員のおすすめコメント>本作は星野氏というよりも原作者である森高氏の持ち味が発揮された作品で、星野ファンからするとちょっと食い足りない印象を受けるかもしれません。というのも原作の段階ですでにコンテに切られた状態で星野氏の元に届くので、作品のリズムそのものが森高氏のそれになっているからです。とはいえ作品としては文句なく面白い! 江川や西本、定岡を軸に、長島茂雄像を描こうとしているといっても過言ではないほどで、監督時代の長島茂雄がどういう人物だったのか、ドラフト1位指名を3度受けた江川の行き先をめぐる空白の1日事件など、いわばプロ野球界のタブーに真っ向から挑んでいる作品といえるかもしれません(江川と西本の高校時代から始まっている部分も特筆すべきですが……)。1970年代~1980年代の巨人に思い入れのある方は必読の一冊です。
<あらすじ>映画が娯楽の王様だった時代、そのてっぺんを目指すデラシネ(根無し草)がいた。助監督と大部屋俳優、2人の夢と野望が新たな「映画(シャシン)」を創り出す!――昭和28年。黄金時代の日本映画界で底辺からてっぺんを目指す2人の男がいた。日映(にちえい)撮影所に所属する大部屋俳優の宮藤武晴(くどうたけはる)とフォース助監督の風間俊一郎(かざましゅんいちろう)。撮影所の伝統と慣習に阻まれながらも、2人は「作り物」ではない「リアル」な映画づくりを目指す!
<書店員のおすすめコメント>少年誌から青年誌に作品発表の場を移した星野氏の連載2作目(1作目は『風と雷』)。青年誌での初のオリジナル作品の連載に際し、絵柄やコマ割りの部分で、それまでの作品とは意図的に変えようと試行錯誤している様子が見受けられます。ものすごい大事件が起きるわけではないのですが、大部屋俳優とフォース助監督という立場から見た重大事件が物語の要所、要所に配されリアリティを持って読む者に迫ってきます。正直、派手なところはありませんが、丹念な取材と資料分析をもとに構成した“物語”を読ませる、青年コミックならではの作品といえるでしょう。
<あらすじ>気弱な研修医・伊達翔司はひょんな事から南極へ向かうはめになる。そこに待っていたのは、日本にはない極寒・サバイバル環境。そして傍若無人、ムチャクチャ過ぎる観測隊隊長・鬼山隆一。自衛隊出身の鬼山に振り回され、てんやわんやの毎日を送る伊達だったが、徐々に鬼山の人間性と彼のサバイバルスキルに惹かれてゆく…。それもそのはず、鬼山の正体は、実は…!?
<書店員のおすすめコメント>「俺の目の前で誰も死なすな。全員で“生き抜く”んだ」──第1話での鬼山隆一の台詞ですが、この言葉に本作のテーマが集約されています。世界一、生存に向かない地(白魔殿)・南極を舞台に、南極観測隊の隊長・鬼山が、研修医の伊達翔司を一人前の医師に育てていく過程が描かれています。鬼山と伊達のバディものな側面もありますが、各巻に付けられたサブタイトルからも伊達の成長物語の側面が強いです。医師や医療をモチーフにしたマンガは数多くありますが“神業のようなオペ”ではなく、その場にあるありあわせのもので救命措置を行う様子は『MASTERキートン』を思わせますし、捕鯨に反対する集団「シースピッツ」が登場したり、南極行き観光問題、冒険家や探検隊の残すゴミなど現代的な問題も取り上げられています。第9話で伊達は恩師が危篤であることを知り、南極を一時去ります。葬儀が終わった後、先輩から“自分の納得する場所”という言葉を聞き、この言葉の意味を伊達が考える場面がありますが、モラトリアムな人生を送っている自分にとってはグッとくる場面でした。
<あらすじ>賭博寺に拾われて、仏の教えと賭場の空気に囲まれて育った少年・シンクロウ。胸に火傷の跡=刻印を持つシンクロウは、ある日、賭場で会った女博徒に“刻印”に隠された真実を知りたくないか? と持ちかけられる。真実を知りたいシンクロウは、女の申し出に乗るのだが……。
<書店員のおすすめコメント>まさか少年マンガで、しかも平成の世に連載された作品で「お控えなすっておくんなさい」なんて台詞を読むとは思ってもみませんでした。こういうチャレンジングな企画を通した「少年マガジン編集部」の懐の深さに感服します。『哲也』で一世を風靡したコンビだからこそ実現できた作品だったのかもしれませんが、内容は無宿人の生業や、壺振り、出入りなど『水戸黄門』や『必殺仕事人』のドラマで観たことがあるような場面が随所に描かれています。自分の出生の謎を追う少年マンガの王道ともいえるモチーフが、舞台設定を変えるだけで、こうまで違って見えることに驚きますが、大前田英五郎や国定忠治が登場するなどサービス精神も旺盛で少年マンガとしてきっちりまとまっています。
<あらすじ>襲来する賭場荒らし・フクロウ! 獲物は雀荘・五稜郭、迎え撃つは腕に覚えの三銃士! 不屈の男たちは、全てを賭けて博奕に向かう――!
<書店員のおすすめコメント>『江川と西本』と同様、原作者の趣味が前面に押し出されたのが本作だと思います。『哲也』の連載を一時休載して本作の集中連載が行われていることからも、原作者の本作への並々ならぬ思い入れが窺えます。本作に登場する「牌ホンビキ」のベースになっている「手本引き」とは“胴”が一から六までの札のうち一枚を選び、“子方”は胴がどの札を選んだのかを当てるもの。本作では「牌ホンビキ」として、札を麻雀牌に変更し、博徒の心理や己が背負うもの、未来といったものが描かれています。注目すべきは主人公の梟が「牌ホンビキ」の勝負を通して人間性を取り戻していくところ。そのきっかけを与えるラバが良い味を出しています。ぜひ小山力也さんの声で映像化してほしいところです。