唯誠 さらば矢野康生

唯誠 さらば矢野康生

著:若野康玄

1,782円(税込)
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民族派右翼活動家から三代目山口組北山組に渡世入り。四代目山口組分裂を一和会きっての武闘派として生き抜き、あの石川裕雄に「もっとも影響を与えた」と警察資料に書かれた「矢野康生」。中野会副長として引退して17年経った今、自らの半生に別れを告げるべく全てを明かす。山一抗争の真実とは――。近畿大学に在学中、空手道部で主将を務めた私は、ある事件をきっかけに民族派の右翼活動家になる。その後、あるトラブルをきっかけに三代目山口組北山組内森組に若頭として渡世入りした。ヤクザの世界から右翼活動家になる者は多いが、その逆は極めて珍しい。心奥にあったのは、任侠と民族派の合流だ。修羅の世界にあって、私は武人としての義と礼に従って喧嘩に明け暮れる。当時のヤクザは、喧嘩の強い者こそ上に行くという、わかりやすい構造ということもあって、29歳で北山組直参に昇格。だが、ほどなく三代目山口組・田岡一雄組長による「右翼団体所有禁止」の通達が出る。任侠と民族派の道は、狭いものとなり、私には暴力の世界が残された。山一抗争において、北山組は一和会に参加。悟道連合会・石川裕雄(やすお)会長の後に私は北山組若頭となった。穏健派とされる北山組にあって、私は行動隊長として最前線で戦い、矢野組と矢野康生(やすお)の名前が知れ渡ることになる。四代目山口組・竹中正久組長暗殺の首謀者として知られる石川会長との関係を「ライバル」のように扱うメディアは多かったが、実際は肝胆相照らす兄弟分の関係だ。大阪府警などの資料には「石川裕雄に一番影響を与えたのは、矢野康生である」と書かれていた。そうした仲であるにもかかわらず、石川会長については、取材で問われても長く口を閉ざしてきた。本稿では伝説と化してしまった石川会長を「等身大」に戻すことを試みた。それは、竹中組・竹中武組長と交わした約束があってのことだ。北山組解散とともに、益田組傘下として山口組に戻った私は、五代目山口組跡目問題から始まる激震の時代を経験した。宅見若頭射殺事件によって中野会は絶縁されたが、事件の首謀者の一人、中野会・弘田憲二副会長とは一和会時代の兄弟分だった。02年に弘田副会長は沖縄で射殺されるが、葬儀に出席したことで、私も五代目山口組から絶縁される。その後、独立組織となった中野会に副会長として迎え入れられ、02年に引退する。一本独鈷となった中野会に移籍したことや、すぐに引退したことなどは「謎」とされているが、その真相も明かしたい。私自身は引退し渡世を去ったつもりでも、周囲は認めていなかったということだ。本書は「武闘派ヤクザ 矢野康生」への別れの表明である。「矢野康生」に対する惜別の気持ちは一つもない。(本文より抜粋)

ジャンル
ノンフィクション
出版社
徳間書店
提供開始日
2019/12/24

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