アメリカから日本人が見た日米の「ねじれ」と「非対称」の歴史。1853年のペリー来航から160年以上の時間が流れたが、日本とアメリカの関係には常に「ねじれ」と「非対称性」がつきまとっていた。そもそも黒船来航こそが「非対称な関係」の始まりだった。善意と無反省からの「押しつけ」と「ラブコール」を取り混ぜてくるアメリカ。右往左往するだけの日本。このパターンは戦後改革にも言えるし、近年の構造改革論議でも同じだ。この「非対称性」より問題なのは「ねじれ」である。どうして、心の奥に反米を抱えた勢力が長期間にわたって親米政権としてふるまってきたのか。民主主義と人権の概念を掲げる勢力がどうしてアメリカへの反感を持ち続けているのか。また、日本の知識層には反米感情がある一方で、アメリカの知日派はアメリカにおける知識層だという「ねじれ」もある。日本からアメリカへの視線は常に現実的で打算的である。だがアメリカから日本を見つめているのは、理想主義的で、哲学的・思索的な人々だ。残念ながら、そこに共通のフィールドがない。歴史認識問題、沖縄基地問題、集団的自衛権、そして台頭する中国の存在など、さまざまなリスクが絡み、大きなクライシスにさらされている日米関係。そこにある日米の「ねじれ」に在米作家が鋭く迫る。
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