検証桶狭間。敵将・今川義元は信長を高く評価し、背水の陣で決戦に臨んでいた!

安藤昌季/MBビジネス研究班

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【書籍説明】織田信長。天下布武を掲げて戦い、戦国時代を終わらせた改革者であり、第六天魔王とまで言われたその壮絶な生きざまによって日本史でも有数の人気を持つ人物である。この織田信長の名を天下に轟かせたのが、桶狭間の戦いである。その戦いは1560年に起こった。駿河、遠江、三河の三国を制した「海道一の弓取り」とも呼ばれる戦国大名・今川義元が、2万5千とも言われる大軍で、織田信長が統治する尾張に攻め込んだのである。信長はわずか二千と言われる少数であったが、今川義元の本陣に自ら攻め込み、その首を取って勝利を収めた。これにより、信長は窮地を脱するとともに、独立した三河の松平元康(後の徳川家康)と同盟を結び、天下取りに乗り出すという重要な合戦である。あえて結論から書くが、信長という人物が勝ったのは「人事を尽くして天命を待った」ことにあった。すべきことをすべてしていたから、天命をつかめたということである。では、各種資料から、織田信長の地盤はどうだったのか、どのようにして桶狭間で今川義元と対峙したのかを考察し、桶狭間の戦いについての理解を深めていきたいと思う。【目次】長年言われてきたこと桶狭間に奇襲はあったのか信長の祖父・織田信定がやったこと信長の父・織田信秀がやったこと織田信秀の計略と経済基盤織田信秀、美濃・三河の双方と争う信長初陣足利家名門の意味織田信秀死す信長、大金を投じて500丁の鉄砲を買う信長、斉藤利政(後の斉藤道三)を唸らせる赤塚・萱津の戦いに見られる「信長らしさ」村木砦の戦い… 以上まえがきより抜粋

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