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続刊
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編:岡島慎二 編:鈴木士郎
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。当シリーズでは以前に1度、世田谷区を扱っており、今回はその第2弾である。前作では、まず世田谷の高級イメージをぶち壊すところから始め、そこから世田谷の現実と真の姿を見出そうとした。その試みは成功したと自負しているが、前作から約4年、相も変わらず世田谷は「高級幻想」に苛まれている。世田谷の高級幻想とは何か?多くの芸能人や金持ちが実際に住んでいる世田谷は、高級住宅地、セレブタウンとして認知されている。さらに今、下北沢や三軒茶屋、二子玉川といった人気タウンを筆頭に、区内の多くの駅とその周辺が再開発で変貌を遂げつつあり、世田谷という街の「パッケージ」は洗練度を増している。だが、そうした「かたち」にこだわっているのは得てして余所者。彼らが世田谷に住んだ、あるいは住みたいという背景には、自己顕示欲の充足という意図が多分にある。彼らが世田谷に求めるのは「ステータス」であり、「一流」の看板。とはいえ、単に世田谷に住んだからって一流ではない。高級幻想を抱きつつ世田谷へ住み、一流だと勘違いした者たちは、成り上がり精神全開で、小ずるく狡猾に世田谷ライフを謳歌しているのだ。もともと農村地帯だったのに、やがてハイソと呼ばれるようになった世田谷は、そもそもが成り上がりの街ではある。だが、ハイソ(一流)な部分はあっても、いい感じに田舎臭くて自然体なのが世田谷の美点である。世田谷とは本来、一流でも二流でもなく“1.5流”ぐらいがしっくりくる街。そんな「中の上」を地で行く世田谷民こそ、「世田谷の正統派」といえるだろう。本書では、冒頭に書いた前作のテーマを引き継ぎつつ、現在の世田谷の問題点を取り上げ、さらに区内にうごめく新旧世田谷民の実態に迫ってみた。知っているようで知らなかった世田谷がここにはある!
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2024/11/30 23:59 まで有効
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